お題 「0からの」
産まれたての自分自身の生命と
0からのスタートは、ゼロ地点から
どれぐらい人と関わる事が出来るように
なったのだろうか、
一つの毎日のルーティニングの活動を
どれ程、理解されて、
催促や確認をせずに本人が納得ゆく形に
整えて生活という、周囲、ご近所様も含めて
進歩しただろうか、そんな応えを思っている
当たり前に出来ることが自我として
旧姓の中の掟の用に誰かに褒められる事を
望み続けて今もそんなアダルトチルドレンの
様な意識が親族やパートナーに繋がっていて
自立した関わり方や、
自意識に自閉せずに生活出来ている事も
私自身は評価を受け取るまでは
理解されなかったし、その理解も旧姓家族は
認めようとせずに、
病だなんだと滑稽だと愚問した。
理解されて心の余裕が無いと、
応える返しも、まだ慣れない。
自分のペースでまともな会話できる
旧姓の周囲は存在しないと思っている。
一に、一だ。
今の時点でも、関わる誰かの物真似は、
自己表現の執着や、嫉妬だ。
自身が作り出したと褒めてもらいたいだけだ
ここの筆者は、同じ境遇に近いのかもしれない。
CDや本というのが、
落ち着く場所だった事、
学校に疲れて、人の波に疲れて。
いつも外ではそのお店にゆくことを、
今も楽しみにしてる人。
最近は、サンクチュアリ出版や、
自己分析からの法則や、意識の言葉に関する関わりのある書籍がまだまだ潜んでいる。
あまり分野を知らない。
でも、息抜きの完読は次の朝日が昇るその
時間だったりする。
小ソサイティの心のメンタルケアは、
言葉に記す言葉が悲しかった覚えがある。
だから今は、相手を信じる、
家族を支え合う。
なにもないには、助けてもらう加護は
本人の成長と、ご褒美が必ず高級品じゃない
出来事で、自分自身に貢献することで、
つながる誰かに加護が増える。
0からの視点それは、静養室の様な内装で
スチール椅子とベニア板と瓶箱と、
レンタルの介護用簡易ベットしかない様な
人は今からは、自分自身の本当の病の
執着を傾聴を家族から向けられる。
息の根を知られるようだ。
まだその何十時間前だ。
その0地点には今は親族はなっていない事だけ内緒ね。
2/22/2026, 12:58:30 AM