美音里

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「……不幸だと思った事?」
 僕の問いかけが意外だったのか、目の前の彼女──リリアーナ・アドルナートは二、三度の瞬きと共にそう繰り返した。
「ほら、君は……市井に生きていたのに、僕達の争いに巻き込まれたから」
 何も知らない間にファルツオーネファミリーの屋敷へと連れて来られて、訳も分からないまま自分が特別な人間だと教えられて、挙句の果てには敵組織の元へと連れて来られた。
「……そう言われてみれば、わたしって凄い経験をしているのね」
 自分のこれまでを振り返って、そんな呑気な纏め方をするのもどうなのだろうと思いながら、僕は言葉を続ける。
「つまり、そんな非日常的な経験をしている自分を、不幸だと思ったりしないのかな、って」
 マフィアが治める街で暮らしている、と言っても、彼女は所詮はただの女の子だった筈。少し硬いベッドで朝を迎えて、昼間は商店街の人々と言葉を交わして、夕方になれば神の元に集った家族と食事を囲む。それが当たり前だった身に突然ここまでの出来事が重なれば、不満や不安を抱いてもおかしくは無いだろう、と。そう言外に含みながらそっと顔色を伺えば、リリアーナは再び瞬きを繰り返して、やがて──困ったように笑いを浮かべた。
「確かに、幸運だとは言えないけれど、でも」
 自分の中で考えを模索していたのだろうか、数度視線を巡らせた彼女が、そっと瞼を下ろした。
「でも……わたしが選んだ事だもの」

 囁くように呟かれたその言葉は、風の音一つで消えてしまいそうな程に小さな声だったのに。
「限られた道だったのかもしれないけれど、ファルツオーネファミリーのお屋敷へ行く事も、こうしてヴィスコンティの屋敷へ来た事も──ニコラの側にいたいと思った事も、全部……」
 これまでの軌跡を確かめるように紡がれていくその言葉は、僕が先程反芻したものと変わらない筈なのに、不思議な程に眩い光を帯びていて。
「全部、わたしが選んだ事だもの」
 そこには哀れみや同情の一切を必要としない、確かな強さが秘められているという事実に、漸く気が付いた僕は。
「──」
 自分よりも若く、可憐で、慈しむべき存在の、しかしずっと強かな意思を前にして。ただ独り、息を呑む事しか出来なかった。

「だから、不幸だとは思っていないわ」
 微笑のままにそう話を締め括った彼女が、小さく首を傾ける。答えになっているか、と聞きたそうなその仕草に、僕は小さく頷いた。
「……グラッツェ」
 唇から零れた台詞がリリアーナの頭に疑問符を浮かべる事は、十分に分かっていた。それでも、僕は零さずにはいられなかった。
(……その理由は、君自身も気付いていないのだろうけれど) 
 だけど、リリアーナ、君は──君の持つ生来の強さは、確かに助けたんだよ。抱いてはならない罪悪感に苛まれかけた一人の男を、ね。
(ピオフィ ニコリリ)

2/20/2026, 2:47:37 PM