「声の置き場所」
僕が口を開いたあと、教室にほんのわずかな間が落ちた。
誰も何も言わない。ただ、空気が一度だけ揺れた気がした。
「今の言い方、ちょっと違うよね」
笑い声が続いた。悪意はなかったのだと思う。からかうほどでもない、小さな指摘だった。ただその瞬間、僕の声は自分のものではなくなった。
次に話すとき、僕は語尾を少しだけ変えた。
イントネーションを平らにして、なるべく目立たないように言葉を並べる。うまくできたかどうかはわからない。でも、さっきのような間は生まれなかった。
それで十分だった。
家に帰ると、母がいつもの調子で話しかけてくる。
その声を聞いた瞬間、胸の奥にしまっていた言葉がほどける。僕は自然に返事をする。抑揚も、語尾も、何も気にせずに。
けれど、途中で一度だけ言い直した。
母は気づかなかった。
僕だけが、その違和感を覚えている。
次の日から、教室ではほとんど話さなくなった。
発言しなければ、間も生まれない。笑いも起きない。僕は静かに、そこにいるだけになる。
ある日、先生にあてられた。
立ち上がると、喉の奥で言葉が絡まる。どちらの言い方を選ぶべきか、ほんの一瞬迷った。その一瞬が、また間をつくる。
僕は平らな声で答えた。
何事もなく授業は続いた。
窓の外では風が吹いていた。
誰の言葉も揺らさない、透明な風だった。
放課後、誰もいなくなった教室で、小さく独り言を言ってみる。
元の言い方で。
教室は何も反応しない。
間も、笑いも、生まれない。
僕の声は、ただ机の上に落ちた。
それを拾い上げる人はいない。
帰り道、僕はもう一度だけ口を開いた。
どちらの言葉でもない、中途半端な響きだった。
それでも、空気は揺れなかった。
そのとき初めて、
僕は自分の声がどこに置いてあるのか、わからなくなった。
2/16/2026, 1:50:05 PM