sairo

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窓辺に座り、暗い空を見上げる。
細い三日月が笑う星空は、どれだけ見ていても動く様子はない。
凍てつき、時を止めてしまったかのような星々に誰かの背が重なって、眉を寄せ唇を噛み締めた。
嫌なものを思い出した。視線を下ろし、暗いばかりの周囲を見つめる。星空以上に冷たさしか感じられない暗闇。重なる何かを振り切るように、窓に背を向け部屋の隅で蹲る。
目を閉じれば、すぐに意識は微睡んでいく。
この行為に意味があるのかは分からない。眠り、朝を迎えた所で、同じ日を繰り返すだけだ。
何度繰り返しても変わらない。どうすればいいのかも分からない。
嘆息し、諦めたように眠りにつく。
どうか、と願う言葉すら、もう浮かんではこなかった。



「おはよう。ご飯、できてるわよ」

キッチンから聞こえる母の声に、特に返事を返さず席に着く。
それを誰かに咎められることはない。テーブルの向こうで新聞を読む父も、見るともなしにテレビを見ている兄も、変わりはない。

「今夜の天体観測のイベント。あんたも行くんでしょ?」

何度も繰り返し聞いた言葉に、思わず顔を顰める。込み上げる溜息を殺して、静かに首を振った。

「行かない。興味ない」
「夜は冷えるからね。ちゃんと暖かくしないとダメよ」

殺しきれなかった溜息が溢れ落ちた。
自分が何を言っても、どんな行動を取っても母の言葉は変わらない。

「今の時期は空気が澄んで、星が良く見えるからな。楽しみだろう」
「俺、やっぱ行きたくないんだけど。寒いし。面倒だし……お前に付き合ってやるんだから感謝しろよ」

母だけではなく、父や兄、出会う人々すべての行動に変化はなかった。
自分一人だけ、同じ時間を繰り返しに気づいている。時間が巻き戻っているのではない。まるで舞台の上にいるかのように、あらかじめ決められた台詞、行動を自分以外が取っている。

「お兄ちゃんは相変わらず素直じゃないのね。前々から楽しみにしていたでしょう」
「か、母さんっ!それは内緒にするって言ったじゃんか!」

自分一人だけが異様だ。目を逸らすように無言で朝食をかき込み、席を立つ。
家族は変わらず、楽し気に会話を楽しんでいる。変わらない内容。変わらない仕草。目にするのも嫌で、部屋を出た。

「お前、本当に星が好きだよな……俺のジャンパー貸してやるから、風邪だけは引くんじゃないぞ」
「なら、俺のコートはお兄ちゃんに貸してやろう」
「やだよ。父さんでかいから、俺が小さく見えるじゃん」
「心配しなくても、俺の子なんだからすぐに大きくなるさ」

自分がいなくとも、家族の団欒は続く。
耐え切れず、耳を塞いで走り出した。



部屋に駆け込み、目を閉じ耳を塞ぐ。
何故こんなことになっているのか。一番最初の記憶を思い出そうとするが、繰り返し過ぎたためにどれが始まりだったのかすら曖昧だ。

「なんで、どうして……」

疑問を口にしても、答えはない。
代わりに感じるのは、強い目眩。立っていられず、ずるずると座り込む。
目の前が白く点滅して、目を開けていられない。頭を押さえ、目を閉じた。
次に目が覚めた時には、夜になっているのだろう。どんな行動を取った所で、例え逃げ出した所で、結局最後に行くのは天体観測が行われる天文台だ。
父と兄と、三人で向かった天体観測。凍てつく星空を思い、それに重なる去って行く背を思い、強く唇を噛みしめた。



「やっぱ、夜は冷えるな……寒くないか?」

兄の声がして、閉じていた目を開ける。
見上げた空は、一面の星空。天文台の敷地内になる丘の上で、望遠鏡を前に立ち尽くしていた。
誰も星も月も動きを止めていることに気づく様子は無い。皆楽しげに望遠鏡を覗き、興奮したようにはしゃいでいる。

「ほら、これでちゃんと見えるはずだ。試しに覗いてみろ」

父に促され、兄は望遠鏡を覗き込む。少しして感嘆の溜息が出るのも、何度も見て知っている。
前回は、天文台の中に逃げ込んだ。今回はそんな気力さえ沸かない。

「すっげぇ!お前も覗いてみろよ!」

笑顔の兄が、こちらを見る。その後ろで、父もまた微笑ましげに見つめている。
見た所で変わらないはずだ。けれど逆らった所で、何かが変わる訳でもない。
小さく溜息を吐いて、望遠鏡を覗き込む。
凍てつき、動くことを止めた星々。それが見えるはずだった。

「――っ!」

最初に見えたのは、黒だった。
烏の羽。一瞬そう思ったものの、すぐに違うものだと気づく。
それは人のように見えた。黒い翼を生やした少年がこちらを見て佇んでいる。
慌てて望遠鏡から顔を離し、空を見上げる。遠くに見えた影が。瞬きの間に目の前に降り立った。

「お前、こんな所で何してんの?」
「えっと……?」

首を傾げながら問う少年に、同じように首を傾げ困惑する。

「記憶の中に落ちてるなんて、器用だな……いや、もしかして、お前ごと記憶を閉じてるのか?」

自分にはまったく分からないことを言われ、口籠もる。居心地の悪さに視線を彷徨わせ、そこで辺りの異変に気づいた。
周りの人々が固まっている。星空のように凍てつき、少しも動かない。

「なに、これ……」
「あぁ、何にも知らないのか。迷い込んだっていうより、閉じ込められたって方が正しいのかもしれないな」

怯える自分とは対照的に、少年はどこか悲しげに目を細めてこちらを見ている。少年の口ぶりからこの異変の原因ではないことは分かるが、それでも怖ろしさを感じ後退る。

「そんな怖がらなくてもいいと思うんだけどさ……というかお前、これからどうすんだ?」
「どうするって……?」
「このままここで、動かないでいるのか。それともここを出て、先に進むのか……ここにいるなら俺は行くけど、ここを出るって望むんなら一緒に行くこともできる」

少年の言葉に息を呑んだ。
ここを出る。つまりこの繰り返しから抜け出せるということ。明日を迎えるということだ。
無意識に握り締めた手が汗ばみ、震える。視線が彷徨い、それでも足を踏み出せば、ぐいと強く誰かに腕を引かれた。

「なっ……!」

振り向いた先の黒い影に、肩が震える。見慣れたシルエットから兄のものだと分かる影が、逃さないとばかりに腕に絡みついていた。
恐怖で立ち竦んでいれば、今度は逆の腕を掴まれた。振り向く視線が背の高い父の影を認め、声にならない悲鳴を上げた。

「やだっ!離して……離してっ!」

がむしゃらに腕を振るが、振り解くことができない。
恐怖と困惑と、そして怒りの感情に頭が真っ白になっていく。

「嫌だ!手を離したくせに!置いていったくせにっ!」

自分でも訳の分からない感情が、ぐるぐると渦を巻いている。
誰かの背が脳裏に浮かび、振り払うように暴れた。

「進むんだから、これ以上邪魔をしないでっ!」

感情にまかせて叫べば、強く風が吹き抜けた。
目も開けていられない程の強風。耐えきれず目を閉じ蹲れば、掴む腕が離れていくのを感じた。
自分の中の感情のように、風が渦を巻いている。ふわりと体が持ち上がる感覚がして、次の瞬間には何も感じなくなった。

「そろそろ目を開けても大丈夫だと思う」

少年の声がして、恐る恐る目を開けた。

「――あ」

眼前に広がるのは、果てのない星の海。地上から見た時のような凍てつき止まった感じはなく、時折煌めいては流れ落ちていく。

「きれい……」
「ん。よかったな」

気づけば少年と手を繋ぎ、空を飛んでいた。少年の背の翼が羽ばたけば柔らかな風が起こり、頬を撫でて過ぎていく。

「進むって望んだから、途中までは送る。でもその後は、自分で歩いて行かないと駄目だから」
「分かった……大丈夫。ちゃんと歩けるから。ありがとう」

礼を言えば、少年は大きく羽ばたいた。いくつもの星が横を過ぎて、すぐに見えなくなる。
まるで流れ星のようだ。少し前の激しい感情の渦のことなどすっかり忘れ、過ぎる星を見つめ目を細める。

「そろそろ降りるから。手を離すなよ」

言われて、強く手を握る。同じように握り返してくれる手の熱が、近づく大地に対する恐怖を解かしてくれている。
とん、と地面に降り立てば、足に伝わるその固さに一度だけふらついた。少年が手を引く前に、足に力をいれて真っ直ぐに立つ。

「大丈夫。一人でもちゃんと立てるし、進めるから」

だから、と少年の手を離した。
一人でも立てていることに、密かに安堵する。気持ちが揺れてしまう前にと、少年に背を向けて歩き出した。

「頑張れよ」

少年の声に手を上げて答える。
振り向くことはしない。歩みを止めることもない。
見上れば、美しく煌めく星空が広がっていた。
あの繰り返しから、前へと進めたのだろう。

星空を見ながら、切り取られ繰り返したあの日のことを考える。
ただの夢だったのか。誰かか、或いは自分の願望だったのか。

「何だっていいか」

苦笑して、視線を下ろし前を見た。
原因が何であれ、もう今の自分には関係がない。

振り返らずに進むのだと。そう決めたのだから。



20251201 『凍てつく星空』

12/3/2025, 9:42:50 AM