「来場者を把握するためにフルネームをお願いします」
受付に座った長い髪を一つに束ねた若い女性は手のひらをこちらに見せて長机の一部を指した。
指されたほうを見るとバインダーに一枚の紙が挟まっていて、来場者が書き残していったであろう名前がずらりと並んでいる。
私はできるだけ落ち着いた声で「はい」と言って長机に自分のカバンを置いた。その動作をしながら名前が書かれた名簿に目を通す。
歪な線と線で作られた枠に、一人一人が違う線を組み合わせて一つの漢字を書き、自分の痕跡を残している。
漢字とは不思議なもので、一つの漢字に隠された味がある。
例えば、「穏」という漢字は温和で柔らかな優しい味がする。
逆に「厳」という漢字は堅くて苛烈かつ、厳格な味が染みついてしまっている。
ふたたび意識を視覚に戻す。さまざまな筆跡でかかれた漢字が視界に入っては消えていく。
そのたびに、その漢字の味が口いっぱいに広がって、その人の人生を食べたような気がして気分が胸焼けする。
私は、一つの名前で目をとめた。おそらく、名簿を一心不乱に読み漁っていたのは時間にして10秒ほどである。
その時、私の背後で床が軋む音がした。後ろでみていた職員が不審に思って私に声を掛けようとしているのかもしれない、いやそうに違いない。だって今の行動は明らかに不審であった。もし私がこの大学院の運営側なら一度声をかけてみるはずである。
私はバインダーの横に置いてあるボールペンを握って指の腹でノックを押した。が、既にボールペンの芯はでていたらしい。もう一度ノックを押してふたたび芯をだす。
カチ、カチ。ボールペンをしまって、出す音が妙に響いた。
そして私は私のために用意された私の欄に私が考えた名前を収めた。もちろん、私が考えた名前とまで言っているので、この名前は偽名である。こんなところに本名は書けない。
本当は、自分の筆跡も残したくないのだが、だからと言って筆跡で悟られないために、定規を取り出してサインをしだすのは不審すぎる。もしこの後に警察がここへ追ってきて、運営側に聞き込みなんかをおこなえば、警察側に私の偽名が広まることは間違いなしである。
できるだけ、どこにでも居そうな普遍的な苗字、普遍的な名前を書いたがデータベースにこの名前が登録されていなければ一瞬でこの名前は偽名であることがバレる。
そこで警察がさらに怪しく思って、この会場で聞き込みを続けると、今目の前に座っている受付の女性が「赤のインナーに白のコート、怪しげなサングラスをしていました」と私の特徴を証言される。この一瞬でそんな未来が見えた。
私はできるだけ、角張った文字で、いつもの筆跡と似せないように偽名を書いた。
受付の女性に視線を上げると、女性は真顔でパンフレットを手渡してきた。私は反射的に空いている方の手でパンフレットを受け取ると、ボールペンを置いてカバンを持ち、受付を後にしようと歩き出す。
「ご来場ありがとうございます、無料の質疑応答も行っておりますので是非」背後で女性の抑揚がない声が聞こえた。最後らへんの「おりますので〜」から声が遠くなったのはきっと、私の方ではなく、次の人の方へ顔を向けたからだ。
私は急ぎ足でエントランスからロビー、ラウンジと抜けてトイレの看板が吊り下がった廊下へと進んだ。
廊下へ入ると右手はガラス張りで建物内から中庭が見える仕様になっていて、左手にはいくつかドアがあり、その廊下の突き当たりにさっきと同じトイレのマークがみえた。
女子トイレに入って個室に鍵をかけると、私はようやく肩の荷が下りた。自分でもビックリするほど、気が楽になっていくので、やはり今の私は人の目が怖くて仕方がないのだということに気づいた。
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もうすぐ中学も卒業です。高校生なりたくない(体調心配、チャリ通無理、働きたくない、多分友だちできない)けど、時間は止まらんしそろそろ自分の好きなことでも見つけて知識つけたいな。
2/23/2026, 10:25:34 AM