一尾(いっぽ)in 仮住まい

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12/9/2024, 4:09:06 AM

→短編・あの日から、決めたこと。

 電車で席を譲ったら、「すみません、ありがとうございます」と言われた。
 僕はにこやかに言った。
「どうぞ、どうぞ、ごゆっくり」
 親切は気持ちよく。感謝には笑顔で応える。ある時から僕はそれをモットーにしている。
 脳裏に浮かぶ彼女の顔を戒めとして。驚きに目を見開いた彼女の顔を。
 あれは中学生時代のことだ。学校の階段から落ちそうになった同級生女子を助けた。
「ありがとう、ごめんね」
「謝る意味とか意味不明」
 彼女の言葉にカチンと来て、噛みつくように言い返した。思春期特有の正誤感覚は、攻撃的で妥協や白黒以外を認めない。
 彼女は、もう一言「ごめんなさい」と呟いて顔を伏せた。
 彼女の萎縮した様子に、背中がカッとして熱くなった。言わなくてもいい主張をした自分に気が付き、罪悪感で胸が潰れそうになる。しかし、勇気のない僕は何も言えなかった。
 それ以降、彼女と話をした記憶はない。

 親切に自己主張を持ち込んではいけない。
 後悔は先に立って旗を振ってくれやしないのだから。

テーマ; ありがとう、ごめんね

12/7/2024, 3:21:29 PM

→部屋の片隅で、私の誇りが咲いている。

部屋の隅、
割れたカップ、
壁のコーヒーのシミは、まるで大きな花。
昨日の決別をお祝いしてくれてるみたい。

さよなら、あなた。
怒鳴っても、宥めすかしても、
私はあなたの付属物にはならない。

私は私の人生を生きてゆく。

テーマ; 部屋の片隅で

12/7/2024, 9:04:15 AM

→短編・さかな馬鹿

 僕は偏見の少ない人間だと思い込んでいた。それを思い上がりだと知るきっかけになったのは、彼のおかげだ。
「こんばんは、逆サマ〜」
 水槽の中、流木の下から彼が姿を現した。お腹を上にして泳ぎながら、僕に擦り寄るように水槽の際までやってくる。
「ホント、面白いよなぁ、お前」
 彼の品種はサカサナマズ。だから名前は逆サマ。
 ホームセンターの熱帯魚売場でお腹を見せて泳ぐ姿に、「死にかけか?」と思わず二度見したことが、僕が彼をお迎えする縁になった。
「エサの時間だぞ〜」
 水槽にフードを撒いてやると、逆サマは逆さまのままちょこちょことついばんだ。
 まさかこれが通常の状態だったなんてなぁ〜。すべての魚が腹を上にしていたら死ぬ間際、ってある意味バイアスのかかった状態だよな。
 自分の知識や見識など自然の前では微々たるもので、世界は広いのだ。
「あっ、逆サマ、底にエサが落ちてるぞ〜」
 僕の声を聞いたわけではないだろうけど、逆サマは水槽の底まで泳ぐと、くるりと半回転して背を上に腹を下にエサを食べ始めた。よく見る魚の泳ぎ方。底を漁るときはこの姿になる。
「食いしん坊め!」
 ちょうどその時、僕が水槽をチョンと突いたのと、エサを食べ終わった逆サマが腹を上にするタイミングが重なった。
 ちょっ、逆サマ! 銃で撃たれて死んだフリっぽい! めっちゃかわいい! 動画撮っときゃ良かった!

テーマ; 逆さま

12/5/2024, 5:40:57 PM

→短編・A or B

 会社の同僚が体調不良で仕事を休んだので、昼休みに私は彼女にメッセージを送った。
―帰りに何か差し入れ買っていこうか?
 彼女と私は同じ沿線上に部屋を借りていて、私は何度か彼女の部屋を訪れたことがあった。
 彼女からの返信が来ていたのは、夕方だった。
―ありがとう、でも遠慮しとくね。全然元気だから心配しないで。
 生気のない彼女の顔が脳裏をよぎり、妙に心がざわついた。最近の彼女は塞ぎがちで、タスク管理ができなくなっていた。
 どうメッセージを返そうか? 深追いして追い詰めるようなことになってもよくないよな。
 マゴマゴしているうちに、スマートフォンが彼女からのメッセージを知らせた。
 そのメッセージに私は固まった。
―眠れないほど、辛いことはない。
 え? 何これ? これはどっちに読み取ればいい?
  →A.眠れないことが一番つらい 
  →B.辛いけれど睡眠不足になるほどではない。
 ヘルプなのか、日常会話の一端なのか。私は食い入るようにそのメッセージを眺めたが、デジタルの行間は何も教えてはくれない。
 返信を考える時間がもどかしい。きっとこれはAのヘルプだ。突き動かされるように私は彼女の部屋に向かった。
 もしBなら、お節介だと笑い飛ばしてくれたら上々だ。

テーマ; 眠れないほど

12/4/2024, 3:39:11 PM

→短編・あなたが落としたのは……

「あなたが落としたのは、夢ですか? それとも現実?」
 近所の裏山を散策中、すっ転んで山の斜面を滑り落ち、尻もちついたところが湖で、私の中から何かがぽちゃんと湖の中に落っこちた。
 そしたら女神様が出てきて、さっきの選択を迫ってきた。
「えーっと、自分でどっちを落としたのかわかんない時はどうしたらいいんですかね?」
 女神様は両手にキラキラ光る玉を胸の位置に掲げ、小さな子どもをあやすような穏やかな声で言った。あの両手のヤツ、どっちが夢で、どっちが現実なんだろう? 両方ともキラキラしてるけど。
 夢と現実、どちらも必要だけど、選べるんなら答えは決まってるかな。
「そういう時は直感重視……」
「マジか!?」
 ヤベッ! 神様相手に食い気味に言っちゃったよ。
 コホンと咳払いの女神様。そして、そこはさすがに神の懐の広さでニッコリと笑った。「直感重視の人もいますが、やはり私は現実をお勧めしますよ」
「やっぱそーですよねぇ」
 私は釣られて愛想笑いを浮かべた後、自分の選択を伝えた。
「私が選ぶのは………」

 おっ、空にクジラが泳いでる。いいねぇ〜。
 私、昔から漫画の主人公になりたかったんだよなぁ〜。世の中、何があるかわからんもんだね。夢叶っちゃったよ。
 裏山をおりた私は、ご機嫌で帰路についた。

テーマ; 夢と現実

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