霧が出ていて
冷たい暗闇の中。
もちろんこのままだと
何も見えない。
でも自分の前に手を出し
何も無いところにふっと手を添えると
ベルのチリンッという音と共に
中世ヨーロッパ風のランタンが現れる。
淡い光を放ち
たちまち周りを明るく照らす。
そのまま私は慣れた足取りで進んでいく。
記憶のランタン。
ここではこのランタンで
記憶を見ることができる。
方法は簡単。
見たい記憶を
この霧の空間から
ランタンで照らして探し、
見つけたらその記憶の所で止まり
ランタンの明かりを少しずつ消していく。
ランタンが現れた時と同じような
ベルのチリンッという音が鳴れば、
記憶は再生されていく。
しかし、誰もが記憶を見れる訳じゃない。
この霧が充満する暗闇の中では
ランタンがあっても
見渡せる範囲は限られる。
ここへどうやって来たのか
どうすれば戻れるのかすら
分からない人がほとんどだ。
だからここに来た人は迷子になる。
帰れなくなる。
右も左もわからなくなって
ただ記憶だけを探し続ける。
私はもう何千回と来ているから
ここへの来る方法も
記憶の道も帰り方も覚えている。
ランタンの持ち手も手に馴染んでいて
持っていない方が
落としていないかと不安になる。
今日見たかった記憶は
いつもと同じくだらない記憶。
私にとってくだらなくて
大切な記憶。
"Good Midnight!"
迷子になる人に出会うことは無い。
その人はその人の
数多くの記憶の狭間にいるから。
けど私は管理人のような者になってしまったから
今ここにどれだけの人がいるかは
ざっとだが把握できる。
私はもちろん優しくないから
案内しようとも
助けようとも思わない。
自分の記憶を見続けて
自分で鳥の籠に仕舞われる。
たくさん食べて飲んで、
固まった絵の具を
取り出して描いて、
ただ夕暮れを待っていた秋が終わり
冬へ。
今年も雪は降るのかな。
天気予報を見ながら衣替え。
天気は美しいと日々思うけど
その天気で気分は晴れない。
気分も天気みたい。
カーディガン、セーター、
もこもこのパーカー。
貼るカイロは嫌いだから
貼らないカイロをたくさん買っておく。
ある程度終わったら
おいしいココアをつくって一息つく。
どんな冬になるだろう。
最近はクマのニュースも多いからなぁ。
家でぬくぬくしていたいなぁ。
目を瞑れば
高原が浮かぶ。
雲の影が遠くの方まで見えて
まるで現実じゃないみたい。
暖かくてぽかぽか。
いつの間にか寝ていて
起きたら夜になっていた。
"Good Midnight!"
こりゃあ、
ただ夜を待つ冬が始まりそうだな。
そう思ったら
いてもたってもいられなくて
夜を楽しむ準備を始めた。
にゃあっと
ただ私をじっと見つめてくる。
君の詩を書いてきたんだよ。
でも57577なんて全然気にしない
本当にただの文だけど。
メモ用紙を取り出して
君の前で読んであげる。
君を照らす月は
君の目と同じ黄色。
君を照らす太陽は
君の声と同じ明度。
私を照らす君は
私の幸せそのもの。
にゃーっと
君は私の書いた詩を褒めてくれた。
人前で読んだら
詩なんていえたものじゃないと
笑いものにされるだろうなぁ。
なのに君はとっても優しいなぁ。
頭を少し撫でて
それからぎゅっと抱きしめる。
君の目は、鳴き声は、
本当に綺麗だなぁ。
生き物の温もり。
自分より小さなものなのに暖かくて
優しくて綺麗。
ずっとここにいたいと
心から願ってしまうほど。
"Good Midnight!"
真夜中の君は
闇から私を救い出してくれる
神様みたいだった。
その黄色い目が
その明るい鳴き声が
私の全てをどうにかしてくれた。
目を凝らして見えるのは
木漏れ日の跡。
木々が覆い茂って
木漏れ日は年々面積を減らしていく。
少し前までは
ここも広く途方もない草原だった。
木が、花が、
草に負けじと苗や種をまいた。
細く折れそうな木が大樹へと、
踏み潰してしまいそうな小さな花が大輪へと
各々が大きくなっていった頃
もうそこは草原ではなく
ジャングルのようになっていた。
栄養も光も
全て大樹と大輪に吸われてしまった草は
大きくならずに枯れていった。
私はここの草原が大好きだった。
だから環境監察官として
ここにいるのに。
あくまで監察官なので
私ができることは
現状をノートに書き留めるだけ。
草を蘇らせることも
木や花を減らすこともできない。
悔しい気持ちはもちろんある。
無力な自分の立場が
死ぬほど恨めしいこともある。
でも自然の摂理だと割り切れなければ
ここでは生きていけない。
"Good Midnight!"
生きていくために
草原を大好きな景色を殺す。
もうこんな世界いらないと思うほど
頭を抱えてしまう世界だ。
パンケーキ。
甘くてさらっとした蜂蜜は
甘くないパンケーキの生地によく合う。
ナイフは利き手で、
フォークはその逆で持つ。
ナイフは簡単に入っていくけど
急いで切ってはいけない。
ゆっくり前後に動かして
最後に引いてそっとお皿から離す。
フォークはパンケーキを突きぬけて
カチンとお皿に当たらないよう
細心の注意を払う。
こうして口へと運ばれたパンケーキは
じゅわぁっと溶けて
甘い時間とぱさっとした時間を
作ってくれる。
"Good Midnight!"
パンケーキは週に2回まで。
私と私へささやかな約束を。