#7
マシューさんのお陰でいいひとときを過ごした後。
私達は夕市に足を踏み入れようとしていた。
けれど、夕市と言う割に、最早夜で、大人びた雰囲気が堪らない。
「これ…、私、場違いじゃないかしら?」
思わず溜息とともに漏らしてしまう。こんな場所に私みたいな人が入っても大丈夫なのか。
礼儀作法はあるけれど、年齢の壁を感じる。
そんな溜息に対する返答は2者2様で。
「そんなことないですよ!お嬢様は何時でも完璧です!」
と、私の背中を押してくれるのがガーナ。
「確かにそうですねー。お嬢様にはまだ早いかもしれません。」
と、腹立たしいのがハイル。
歯に衣着せぬ物言いに制裁を加えたくなったが、お陰で緊張が解けたので赦してやる。
「よし、行くわよ!」
自分を励ましながら夕市に足を一歩踏み出す。
瞬間、周りの騒音が何一つ聞こえない静寂が起こり、何かに導かれるようにして足が勝手に動き始めた。
漸く止まったかと思えば、小さな宝石商の前。
何故こんなところに?
疑問に思うものの、折角何かが連れてきてくれたのだからと、店主さんに声をかけてみる。
「あの…すみません」
「…おや?これはこれは可愛らしいお客さんだ。」
マシューさんといい、この店主さんといい、私のことをよく可愛いという。この地区の人達は可愛いと女性に言うのが口癖なのだろうか?
「えっと、宝石を探していまして…」
「そうかい。そこに並べてあるから、自由に見てみな」
店主さんはそう言って、隣の机を指した。言われた通り見ようと少し屈むと、ガーナとハイルの声が聞こえた。
「お嬢様!ここにいたんですか!」
「いきなりどっかに行くから驚いたんですよ。」
ガーナもハイルも心配げだ。完全に2人のことなど忘れていて、申し訳ない気持ちで一杯になる。
「ここで探してるんですか?」
ハイルが訝しげに訊ねてくる。確かに小さいけれど、ここに導かれたのだからしょうがないじゃない。
「店主さん。凛としていて……」
ガーナが店主さんに聞いてみようと声をかけている。
「っ…あった!」
その瞬間、目的のものを見つけて大声を出してしまう。
ぎょっとしたように周りの人が見てくるものだから、恥ずかしくて慌てて口元を押さえる。
「お、お客さん。それは、空恋石だねぇ。」
「空恋石?」
「おう。見た目は綺麗だが、あんまし縁起は良くねぇぞ。」
贈りもんなら止めといたほうがいいと店主さんは補足してくれる。
空恋、確かに叶わない恋なんて縁起が悪い。けれど、どうしてもコレがウォード様みたいなのだ。
「お嬢様がこれがいいと思うのなら、否定はしませんけど…」
ガーナは、少し微妙そうだ。やっぱり縁起が悪いからだろう。一方でハイルは「ウォード様がこれだと思うならそれでイイんじゃないですか?」と、肯定的。
どうしたらいいのだろう。
「まぁ、所詮は迷信だ。そこまで気にしなくてもいいんじゃねぇか?実際、この石贈って別れた奴らとか見たことねぇし。」
と店主さんがフォローを入れてくれる。
それならば、と、私は購入することにした。
これの他にウォード様だと思えるものはないと思うし、綺麗だったから。
「それじゃ、迷信が飛ぶようにとオマケだ。銀貨5枚を3枚にしとくよ。」
謎の理由でお金をまけてくれ、支払いを済ませた後は綺麗にラッピングしてもらった空恋石をポケットに仕舞う。
時間的にこれ以上夕市にいるわけにはいかず、御暇させてもらう。
ウォード様、喜んでくれると良いな。
空恋石で喜んでほしいなんて無理なお願いかもしれないけれど、そう願わずには居られなかった。
#6
「お嬢様何時まで寝ているんですか?もう着きましたよ。」
ガーナの声でハッと目を覚ます。大した距離もないのに眠っていたらしい。あまりの恥ずかしさにわっと顔を抑える。
「何してるんですか、お嬢様?早く行きますよ?」
本当に心配げな目を向けてくるガーナ。手を差し出しながら御者が呆れ気味に溜息をついている。
何だか居た堪れなくなりながら、馬車のステップを降りる。
降りた瞬間目に入ったのは、貴族、というよりは平民が好んで入りそうなカフェだった。
混雑はしていないから普通に入れたけれど、いつものようなドレスを着ていたら場違いだと追い出されていたかもしれない。
(市の時で良かった。)
そう思いながら扉を潜る。
客席は店内だけらしく、外へ出る扉は入ってきたところの他にはない。
埋まってる客席は3割くらい。中央地区では考えられない空席具合だけれど、南地区ではどうなのかわからない。
「らっしゃい!俺はマシュー。この店の店主だ。おたくらは初めての客みたいだな?」
キッチンからでてきた気さくな感じのおじさんがいきなり大声でそんな事を言うものだから、驚きのあまり口をパクパクと開いては閉じることしか出来ない。
「お嬢様。」
小声でガーナに囁かれて、慌てて意識を手前に戻す。マシューさんが、困ったようにこちらを眺めているのが目に入った。
「あ、すみません。はい。初めてここに来るもので、勝手が分からなくて…。」
「そうかそうか。そりゃあすまんことをした。可憐なお嬢さん方とお付きの人、丁度3人席が空いてるから其処座りな。」
マシューさんが指さした先には、三人掛けのソファがあった。
言われた通り其処に向かって、座ろうとしたところで気がつく。
「あれ?どう座るべきかしら、これ。」
「何でもいいんじゃありませんか?」
御者は面倒くさげにさっさと右端に座ってしまう。
「お嬢様が主ですから、お嬢様が真ん中では?」
「え?っちょ、ガーナ…」
戸惑う私をよそに、ガーナがグイグイ私をソファに押しこむ。
大人しく座ってしまうと、マシューさんが注文を取りに来た。
「この辺の特産物だけを使ってんだが…わからんだろうからな、好きなの選べ。」
「マシュー!ジュディーのお勧めとかどうだ?」
奥の席からそんな声が飛んでくる。ジュディー、とは誰だろうか?この店に詳しい人なのかもしれない。
「ジュディーか。確かにあいつのお勧めは信頼できるな。」
マシューさんは軽く頷いて、「サービスだからちょっと待っててな」と言い残してキッチンに戻ってしまった。
サービスと言ってくださったので、その間にメニュー表を見る。
紅茶にコーヒー、カクテルもあるみたいで、ドリンクだけでも種類が豊富だ。
後はデザートみたいなゼリーにパンケーキやクレープ。幅広いジャンルを取り扱っているみたいだった。
「ほい。ジュディーお勧め、シーグラスだ。」
マシューさんが透き通った青のグラーデションみたいなパフェを渡してくれる。
見ているだけでまるで、波音に耳を澄ませている時のような爽やかな気持ちになれる。
「わぁ。美味しそうですね!」
心からの賞賛を込めて言えば、マシューさんは照れくさげに鼻を掻いた。
「…!」
勝手に先に一口食べていた御者が、驚いた声を漏らす。
「ちょっと、なんで先に食べるの!」
苛立ちのままシーグラスにスプーンを差し入れて口に運ぶ。
「美味しっ…」
ジュディーさんとやらは凄い人だ。確かにお勧めに納得してしまう。正直これで満足してしまった。
「マシューさん。とても美味しかったです。また、今度来ますから、その時に他のメニューも味合わせてください。」
食べ終わったパフェの入れ物を手渡しながらマシューさんにそう言う。
「そうか。それじゃ、ジュディーに伝えとくよ。可愛らしいお嬢さんのためにお勧め品をくれとね。」
冗談ぽく答えてくれるマシューさん。断るお金を無理矢理押し付ける形で支払いを済ませ、店を出る。
「そうだ、お嬢さんの名前は?俺は来る人には皆名前を聞いてるんだ。」
「私?私は、シェリルです。こっちがメイドのガーナで、そっちは御者のハイル。」
「そうか。シェリルちゃんに、ガーナちゃん。ハイル君か。また来てくれよ!」
姿が見えなくなるまでマシューさんは手を振り続けてくれた。
#5
馬車に乗り込み、暫く揺られていると見覚えのない景色に移り変わり始めた。
どうやら私が普段生活しているのは中央地区とやらで、帝都には他にも北地区と東地区、西地区に、今向かっている南地区があるのだとか。
何より驚いたのは、地区によって全然雰囲気が違うこと。
北地区は風の魔力粒が多く、緑色の風。東地区は炎の魔力粒が多く、赤色の風。西地区は、雷の魔力粒が多く、黄色い風。南地区は水の魔力粒が多く、青い風なのだそうだ。中央地区は、全てが均等に混ざるがゆえに無色らしいのだが。
実際、馬車が進むにつれ、窓越しの景色が青みがかっていっている。
魔力粒というのは、コレまた厄介で一地区に一人しかいないという魔法士の魔力源になるとともに、なんの害もない動物たちに中毒症状を起こさせ、魔物化させてしまうというメリットとデメリットを兼ね備えたものだ。
因みに、この魔法士というのは珍しいが故に家族以外には知らせないのだそう。
「お嬢様。後数分で南の市に着きますよ」
ガーナに言われてよくよく景色を注視してみれば、成る程、分かり辛いが夕方のような気もする。
「夕市はついた時には開いているのかしら?」
「いいえお嬢様。馬車が到着するのは夕市が開く一時間ほど前となっております。」
「そうなの。それじゃ、その間何をしようかしら。」
私の学習範囲は中央地区だけで、南地区については学んだこともないし特産品も知らない。
どうしようかと真剣に悩んでいると、御者が嗤いながら言ってきた。
「お嬢様。でしたら近くにいいところがございますよ。」
笑いながら言われるのは馬鹿にされているようで癪だけれど、いいところとやらが気になるので続きを促す。
「ウォード様の贔屓にしてる店ですよ。」
こんなところでウォード様の名前が出てくるとは思わなくて、思わずバランスを崩してしまう。
「ウォード様の!?」
「ええ。気になりますか?」
「気にならないわけがありませんわ!」
「でしたら、其処に向かいましょうか。」
言うなり御者は手綱を握り直す。方向が右に曲がって、どんどんと中央地区に似た町並みになっていく。空気が色づいていなければ、中央地区と言われても疑わなかっただろう。
「南地区にこんなところがあったんですね…。」
ガーナも知らなかったらしく、窓の外を楽しそうに眺めている。
「はは。この辺りはマイナーですからね。この辺に住んだことでもない限り南地区の住人ですら知らないんじゃないでしょうか?」
「?それじゃ、貴方やウォード様はこの辺りに住んだことがあるのかしら?」
ふと疑問が口をついて出る。すると、御者は一瞬バツが悪そうに顔を顰めてから口を開いた。
「無いわけではないですね…。ウォード様とは一時期関わりがありましたから、その時に。」
「そんなこと知らないわよ!詳しく!」
「あはは…。それは今度にでもウォード様からお聞きしてください。」
ドレスすらくださらないウォード様が教えてくれるのかしら?つい悲観的になってしまう。
言葉尻を濁す御者に恨みがましい視線を向けながら、ウォード様お気に入りのお店を楽しみに背凭れに垂れかかるのだった。
#4
待ちに待った朝市の日。
何時もはガーナに起こされないと起きないというのに、珍しく早く起きてしまった。
「ふわぁ…」
大きく伸びをしてからベッドを降りる。けれど、私だけじゃ、ドレスを着るのも髪を結い上げるのも何も出来ない。いかにガーナ達メイドに頼り切りが分かってしまって少し陰鬱になる。
「お嬢様、朝ですよ…って、どうやらその心配は要らなかったようですね。」
ガーナが部屋に入ってくるなり、起きている私を見て驚いた顔をする。
「ねえガーナ、朝市というのは一体何時くらいに向かえばいいのかしら?」
「そうですね、最も賑わうのは7時から9時頃でしょう。ただ、この辺の朝市は6時頃から開いていますから、少し早めでもいいかもしれませんね。」
今の時間は6時半。市場は平民の行くところだから軽装がいいとなると、邸宅を出るのは45分くらいだろうか。そうなると、市に着くのは7時5分前くらいとなる。
「ん、そうね。なら、準備が終わったら出ちゃいましょうか」
言いながら、ガーナにドレスを着せてもらう。普段なら絶対に着ないような何の飾りもついていないドレス。けれど、意外に着心地は良かった。
軽く1つ括りにしてから、薄っすらとしたメイクを施され、馬車に乗り組む。
少し揺られていると、市より数メートル離れた地点で馬車が止められた。
「お嬢様。ここからは徒歩となります。」
御者の誘導に従い、ガーナとともに市まで歩いていく。市に近づくに連れ、人々の笑い声が大きくなっていく。
「ねぇガーナ。朝市ってこんなに騒がしいの?」
「ええそうですね。誰でも手を出し易いお値段となっていますし、身分もといませんからね。」
暫く朝市を巡っていると、宝石コーナーに辿り着いた。
「お嬢様、クリスタルならこの辺りに置いてるんじゃないでしょうか?」
通り過ぎようとしたのをガーナに止められてはっと立ち止まる。確かに、クリスタルなのだから、宝石コーナーに置いてるに違いない。
「え、ええそうね。ありがとうガーナ。」
止めてくれたガーナに礼を告げ、一店舗ずつ宝石を見て回る。けれど、中々コレというのがない。
「どうしましょう。ウォード様!というのがないわ。」
「…そうですね、お嬢様がイメージするウォード様はどんな方ですか?」
「ウォード様?気高く凛としていらして、案外可愛らしいところもあって、優しい方。かしら?」
「でしたら、そのイメージの宝石をお探しになられているんですね?」
「え、ええ。多分そうだけれど…」
ガーナの問いかけの意図が読めず戸惑っていると、いきなりガーナが店の店主に話しかけた。
「申し訳ありませんが、気高く凛として、それでいて可愛さと優しさを含んだような宝石はございませんか?」
「ええー、なかなか難しいことを言うねぇ。家では取り扱っていないけど、南の方の市にならあったんじゃないかなぁ?」
南の市。ここらは数キロは離れている。其処までいかないとないなんてと、ガッカリしていた。
嗚呼、遠くへ行きたい。そうすれば、ウォード様にピッタリの宝石をお送りできるのに。
一人嘆いていると、話し終えたガーナが戻ってきて、少しだけ御者と話をする。それから、私の方に向かってきて、
「お嬢様。南の市までま行きましょう。南は夕市ですから間に合います。」
そう言ったのだった。
#3
夜会まで2週間を切った。
その間、ウォード様から手紙が届くこともなければ、ドレスが送られてくることもなかった。
(なんでだろう?私、何かしたかしら?)
淑女にあるまじきソワソワぐわい。けれど、ウォード様の所為。ウォード様さえ、話してくだされば、私はこんなにも緊張しなくて済むのに。
(あ!そうだ!)
ふと妙案が思いつく。
「ガーナ!こちらへ来て頂戴!」
そう言うとガーナ、つまり私のメイドがそっとドアを開けて入ってくる。
「お嬢様、いったいどうされましたか?」
「ガーナ、私ね、市場へ行きたいの!」
「市場、ですか?」
「ええ!お父様に打診しといてくださる?」
「畏まりました。ご要件は以上でしょうか?」
「そうね、もうない…あぁ、いや、ウォード様からの手紙は届いてる?」
「いいえ。未だでございます。」
「そう…。じゃあもう下がっていいわ。」
がっかりしながらそう告げると、ガーナは恐る恐ると言った感じで部屋を出ていった。怒鳴るわけでもあるまいし、堂々としていればいいのに。第一ウォード様から手紙が来ないのはガーナの所為じゃないだろうに。
ガーナは見た目は可愛いし、私のお気に入りだ。もっと髪型を変えて、オドオドしなくなれば皆が釘付けになるに違いない。
ガーナをいかに垢抜けさせようか考えていると、執事が私のことを呼びに来た。
どうやら、お父様は今日の夕食の席で私の話を聞くつもりらしい。
「ありがとう。」
執事に礼を告げてから夕食会場へ入る。豊満な肉の匂いが立ち込め、色とりどりの食卓は食欲を唆る。
「お父様。お待たせ致しました。」
「嗚呼。」
お父様はそれだけ返すと、近くの席を指さした。お父様はいつも寡黙だから、仕方ないのかもしれないけれど。
「市場に行きたいのだそうだな?」
食事をしようとナイフを取り上げると、お父様からいきなり聞かれる。
「はい。その通りです。」
ナイフを元の位置に戻しながら答える。
「何故だ?」
「実は…ウォード様へのプレゼントにクリスタルを渡したくて…」
恥ずかしくて少し言い淀んでしまう。お父様がそれに気づいたかは知らないけれど、小さく溜息を付いたのは見えた。
「それなら、宝石商を呼ぼう。」
「それでは意味がないのです。お父様にもお土産を買って差し上げたいのに。」
「そうか。なら、護衛を付けてなら、いいだろう。」
「本当ですか!」
「嗚呼。明日にでも行けばいい。」
お父様から了承を得た私は、珍しく楽しい気分で食事を終えることができた。
「ガーナ、私、明日市に行けることなったわ!」
「それは良かったですね。ウォード様へ何か送るのですか?」
「ええ!クリスタルを。ウォード様に似合うものがあるかしら?」
待ちきれずに、ガーナを呼び出して恋バナをするなんて、過去の私ではあり得なかった。
ウォード様ってやっぱり、凄い方だ。
「明日は私も市に行けるそうですから、そこでウォード様に似合うものを探すのをお手伝いさせていただきます。兎に角、今日は早くおやすみなさいませ。」
ガーナはそう言って、私に布団をかけた。
暫くは眠くなくて寝れなかったけれど、寝返り打つうちに、何時しか微睡みの中へと落ちていったのだった。