『溢れる気持ち』
午前に
「お手紙です」
と、俺宛に届いたお便り。
離れているあの子からだった。
なんとなく開けるのがもったいなく躊躇われて、気に掛かりながら、ずるずると、こんな夜更けにまで引き伸ばしてしまった。
真っ暗闇の中、外に出て座る。
風はないのに、空が泣いているみたいな不思議な音が聞こえてくる気がするほど、なにかの存在を感じてならなかった。
一つ大きく息を吐いて、手のひらの上で小包を開く。
すると、
溢れてきたのは透明な水だった。
夜のためか、まるで黒曜石の煌めきを閉じ込めたような、つらんつらんとした輝きを放っていて眩しいくらいだ。
それを零さないようにしっかり手でお椀を作っていると、
あの子の明るい声が聞こえてきた。
声と一緒に手のひらの中の泉にキラキラした文字が浮き上がって踊っては消えてゆく。
その文字は白金色をして、それは天の川のようだった。
ふと、天の川を渡って出会う男女の話が頭をよぎる。
1人のようで1人じゃない。
この世界で生きている間に気づけて良かったことを、改めて身に沁みて再確認した。
日だまりのなかのような言葉たちのあと、最後にあの子の輪郭がぼやけて見えた。
ぼやけていてもわかる笑った顔。
それはやわらかく揺れたあと、そのまま静かに消えていってしまった。
…感動しすぎてあっという間の恋文だった。
しばらく余韻に浸りながら手のひらを見つめていると、その泉に流星群が映り込んだ。それらは次々に流れてまるで川の流れのようになった。
思わず空を見上げると、見事な流れ星たちが、一途に行く先を目指して降り続けていた。
綺麗だ…。
手元に目線を戻すと、かけがえのないそれを口に含んだ。
僅か数分のお便りは、俺の世界に再び光を連れてきてくれた。
深呼吸して、夜の空気で肺をいっぱいにしたあと、俺はさっと立ち上がった。
『特別な夜』
1匹の蝶が、午後の光のなか、ひらひらと風に舞う。
それを夢中になって追いかける、幼少の女の子がいた。こるりだ。走りっぱなしで頬は赤く、足元も時々つまづくが、目をぱっちりと開けて、笑みを浮かべながら蝶を追いかける。
蝶を両目で見続けながら走っていたこるりは、突然柔らかい何かを踏みつけて大きく転んだ。
「ぐえ」
顔をこすりこすり体を起こして振り返ると、そこにはまっすぐな髪が印象的な男の子がいた。その男の子は、こるりよりやや年下に見える。お腹を踏まれたらしいその子は、痛みに顔を顰めながら、つまづいて倒れたこるりのほうを見ていた。
「あの、ごめんね!見てなくて。大丈夫?」
こるりは急いで飛び上がって、その子を介抱する。
「だ、大丈夫。もう治った。」
その男の子はこるりを安心させるように笑いながら上半身を起こした。
風がそよそよと2人の周りの草を揺らした。土の埃っぽい匂いと、草のツンとする匂いが、濃く漂った。
「ここで寝そべって、何してたの?」
「えっと、空、見てた。」
その男の子は、少し照れながら、答えた。
「へぇ!面白そう!」
目を輝かせるこるりの脇で、その男の子はもう再び横になった。それに倣って隣に仰向けに倒れたこるりの目に、先ほどより水色が薄くなった空が飛び込む。
「きれー!」
「草になってみるのも悪くないんだよ。」
その男の子はこるりのほうを見て、楽しそうに言った。刻々と空は夕焼け色へとページを捲り始める。
2人はそのまま空がだんだんと色を変えていく様を見続けた。時々、蝶がその上を気紛れに横切った。
やがて、日も静かに沈み、あっという間に紺色の空に星が瞬き出した。
その男の子はゆっくりと体を起こして、うーんと背伸びをした。その顔を覗き込むと、晴れやかな顔をしていた。その顔を見れて、自然にこるりの口角も上がる。
「初めて夜がやってくるの、ちゃんと見たかも。」
「そっか!さっきのが、じゃぁ、1回目で特別かもね。」
その男の子は整った黒髪をさらさらと風に流しながら、楽しげに言った。
「これから、ちゃんと最初から来るの見てた夜が始まるね!おれ、わくわくするんだ、いつも。」
「わたしも!」
こるりとその男の子はにこっと笑い合って、ばいばいと手を振った。
家に帰ると、母親から遅い帰りを散々怒られた。そのあと、弟のたけ坊と一緒にご飯やお風呂を済ませ、寝床に入るまで、いつもは感じていない夜の気配がずっと意識された。
目を閉じる。目を閉じたこるりの目の裏側には、今日だった昔に思える映像が朧げに映し出される。
(この夜が、ちゃんとやってくるのを、わたし、見てたんだ。)
不思議と誇らしいような気持ちを感じる。
(わたしが起きるまで、そこにいてね。夜?…)
そんな願い事を心で唱えながら、こるりの今日は静かに閉じた。