〈散ってゆく桜人〉
あの人は死んだ。
皮肉なほど綺麗に咲き誇る桜にそう言われた気がした。いつまでも宙に浮いている私に、現実を見ろと言わんばかりに。
あの人は桜が好きだった。
好きな人の好きな物は不思議と興味が湧いてしまうもので、いつの間にか私も、桜が好きになっていた。
だから今でも、桜を見ると貴方を思い出してしまう。
「今日ね、桜が綺麗に咲いてたよ今年も行こうよ、花見」
私しかいない部屋に散った言葉が沈黙に沈んでゆく。
風に吹かれて散った花弁が泥水に落ちるように。
そうだった。もう、居ないんだった。
癖で発してしまった言葉に、勝手に落ち込む。
本当にいなくなってしまったの?
何処にいるの?
本当はどこかで生きているような気がしてならない。
あの人が死んだなんて、嘘でしょう?
現実を受け入れられない訳では無い。実感が湧かない。
今日も玄関の鍵が空いて、ただいま、おかえり、って言うのかな、って、思ってしまうくらいには。
だって、昨日は、
ずっと一緒にいようねって、笑いあっていたじゃない。
今年の花見はどこにしようって話していたじゃない。
昨日と今日を隔てるものは何?
確かにここは貴方が生きた世界で、一緒に笑いあった場所にかわりはなくて。
それなのに、もう、貴方はいない。
私もいつか忘れてしまうのかな、貴方の顔、香り、声、癖、話し方。
それが怖くて、それだけが怖くて、執着するように毎日貴方を思い出してしまう。
いつか薄れてしまうだろう貴方との記憶は、皮肉にもあの桜の木で思い出すのだろう。
今、私の目の前であなたが居ないことを教えてくるこの桜の木で。
(桜)
〈解って〉
手を繋げば分かるから、なんてどこかで耳にしたけど何言ってるの、分かるわけないじゃん、手を繋いだだけで。
というか、勝手にわかった気にならないで欲しい。
理解しているように振舞ったり寄り添われるの、
ほんと嫌い。
そんなこと思うのは歪んでしまった人間かもしれない。
手を繋げばわかるから、って最初に言ったのはきっとこういう人間とはかけ離れた素敵な人だったのだろう。
どうやったら分かり合えるのだろう
...手を繋げば解るかな
(手を繋いで)
〈ガラス玉〉
透明な世界にいたようだった。
それは決して美しい物への比喩表現ではなくて、
辛くてだるいだけの朝のことなのだけれど、
それでもそんな朝に楽しさを見出そうとして自分の通学路を他人事のように見つめてみた朝のことなのだけれど、
ずっと見ていると見慣れた光景ですら綺麗に見えてくる。
田んぼと、小さな住宅街と、挨拶さえも返してくれた事がないご近所さん。流行りの物も売っていないしオシャレなカフェもない憧れが憧れで終わってしまうここが、
大嫌いなはずなのに。
もしかしたら学校が憂鬱過ぎてこの光景が綺麗に見えすぎているのかもしれない、なんて思いながら重すぎる足を引き摺って歩く。
でも透明な世界にいるだけで、私は何かから逃げ出せるような、嫌いな日常から抜け出せるような気がした。
普段は見流してしまう小道とか、よく使う散歩の道を、
もし学校に行かないでここから遠くまで行ったのなら、
どんな景色が見られるだろうか、その時はどう言い訳しようか、なんて思いながら見るだけ。
それはガラス玉を太陽に透かすような、スノードームを覗き込むような感覚かもしれない。
そんなことをしながらつまらない私はまた、学校の門をくぐってしまう。
(透明)