〈青空の復讐〉
雲ひとつない青空を見て、死のうと思った。
この綺麗な世界に、私がいるのは間違えていることのように感じて。
私だってそこらの人間と変わらないはずだけど、最近どうも他の人と違うような気がして怖い。
それは決して、高嶺の花を気取っているだとか、友達がいないって言う訳では無い。
それだけならどれほど良かったか、
人間として生きていくのには向いていない
様な気がしてならない。
世間的に当たり前と言われている事が、
どうも難しい。
「当たり前の事を当たり前にやる事は、意外と難しい」
とかそうゆうのではなくて、
いわゆる一般常識と言うのだろうか、
例えば、社会人が書類の提出を間に合わせる
だとか、学生が家に帰ったら宿題をするとか
の、本当の当たり前が出来ない。
神様の間違えで人間の形にされた何かなのだろう。そう思いたい。
神様はこの青空の何処にいるのだろう、見つけたら一発
ぶってやる。
そして聞き出したい。なんで私なんかを作ったのか、こんなに醜い人間にしたのか、
ただの気まぐれだったら許さない。
なんの罪も無い青空を睨みつけて、
何も無い空を歩き出した。
(青い青い)
〈絵にならない1日〉
「はぁ、だる」
これ、今日起きて初めに放った言葉。
それ言っちゃったらもっとだるくなるじゃん、とか思ったでしょ。
分かってるよ。分かってるんだけど、どうしても言わずにはいられないんだよね。
だって土曜日の朝八時から部活だよ?
休日じゃないじゃん?全然休んでないですけど?
って言いたくなる。ほんとに。
話は変わるけど今日暑くなかった?
もうほぼ夏だよね。
ほんとに日本の春と秋どこ行ったのよ。
おかげで桜が夏の風物詩みたいになってるよ。
熱いし日焼けはするし最悪だよ。まったく。
いいこと全くない気がしてきた。
って思ったけど家に帰ったらそんなこと無かった。
涼しいしアイス食べれるしもう最高。
そんな空間に居ると桜の咲いた夏の空が綺麗に見える。
ずっと見てるとえもいえぬ気持ちになってきて、調子に乗ってちょっとお散歩しようかな、とか考えた。
ほんとアホだよね〜
さっきまで汗だくだくで、日焼けする〜。
って最悪な気分で帰ってきてたのにさ。
これはアホだと思われてもしょうがない。
でもでも。絶対共感できると思うんだけど、夏の空見てるとなんかどこにでも行けるような気になってこない?
冒険に出たくなるって言うか、新しい物語が始まる感じ。
この景色の中に私がいたのか〜!!
と思うとちょっと嬉しい。実際歩くと話は変わるけどね。
ご近所さんには私が物語の主人公に見えてたのかな?
んなわけない。想像するとちょっと楽しいけど。
でも物語の始まりがため息とだる、はちょっと絵にならなすぎる。明日はちょっとやめとこ。
(物語の始まり)
〈メッセージ〉
遠くの声を、言葉を聞いてみたい。
今はスマホがあるから、どんなに離れてたって、簡単に相手に思いを伝えられる。
とても便利だけど、なんだかそれがとても寂しい事のように感じて仕方がない。
昔は勿論スマホなんてないから手紙を送ったりしていたのだろう。手紙はとっても好き。今の時代に急に書けって言われると思いつかないし面倒くさく感じるけど、昔はきっと溜め込んでいた想いを一気に書き出して送っていたのだろう。1文字1文字に思いを込めて。そんな文が届いたら、どんなに嬉しかったのだろう。想像もつかない。
スマホが悪いと言いたいわけじゃない。
思いを伝えるのが容易になりすぎたのが嫌なのだ。
画面の向こう側は本心か、はたまたお世辞かの見分けがつかないし、自分をさらけ出せる場では当然無い。
もう自分が認めて欲しいのか、本心を見つけて欲しいのか、何がしたいのかわからなくなる。
本当の気持ちを知って欲しい。
人の奥底に眠ってしまった遠くの声を聞きたい。
(遠くの声)
〈何者かへの依存〉
新しい本を買ったとき宝の地図を手に入れた気分になる。
たとえつまらない日常生活から向け出せなくても、本さえあれば私は、何にだってなれるし、何処へにでも行ける。
本を読む時、自分視点の人物の姿・形が明かされていない時は自分の理想の姿とか、普通に自分を当てはめて、何者かになった気分で読む。
それはきっと何かになりたい、どこかへ行きたい自分の心が現れている証拠だと思う。
私はまだ学生だから、社会のルールだとか、社会の厳しさなんてものはまだ理解しきれていないし現実を見れていないと思う。
だからこそ、何者かになってみたいし、大人になったら沢山旅したい、なんて思う。
実際は何者かになれる人なんてほんとひと握りで、将来はデスクでPCと睨めっこをして、お金が有り余る訳でも無く、休日は家に引きこもるのだろう。
そんな未来が見えているし、今が楽しい訳でもない。
だから私は、今日も本の世界に依存する。
(新しい地図)
〈散ってゆく桜人〉
あの人は死んだ。
皮肉なほど綺麗に咲き誇る桜にそう言われた気がした。いつまでも宙に浮いている私に、現実を見ろと言わんばかりに。
あの人は桜が好きだった。
好きな人の好きな物は不思議と興味が湧いてしまうもので、いつの間にか私も、桜が好きになっていた。
だから今でも、桜を見ると貴方を思い出してしまう。
「今日ね、桜が綺麗に咲いてたよ今年も行こうよ、花見」
私しかいない部屋に散った言葉が沈黙に沈んでゆく。
風に吹かれて散った花弁が泥水に落ちるように。
そうだった。もう、居ないんだった。
癖で発してしまった言葉に、勝手に落ち込む。
本当にいなくなってしまったの?
何処にいるの?
本当はどこかで生きているような気がしてならない。
あの人が死んだなんて、嘘でしょう?
現実を受け入れられない訳では無い。実感が湧かない。
今日も玄関の鍵が空いて、ただいま、おかえり、って言うのかな、って、思ってしまうくらいには。
だって、昨日は、
ずっと一緒にいようねって、笑いあっていたじゃない。
今年の花見はどこにしようって話していたじゃない。
昨日と今日を隔てるものは何?
確かにここは貴方が生きた世界で、一緒に笑いあった場所にかわりはなくて。
それなのに、もう、貴方はいない。
私もいつか忘れてしまうのかな、貴方の顔、香り、声、癖、話し方。
それが怖くて、それだけが怖くて、執着するように毎日貴方を思い出してしまう。
いつか薄れてしまうだろう貴方との記憶は、皮肉にもあの桜の木で思い出すのだろう。
今、私の目の前であなたが居ないことを教えてくるこの桜の木で。
(桜)