記憶の地図を頼りに歩く。
悲しいような、嬉しいような思いとともに。
町は様変わりして、記憶に残るそれとは大きく変貌していた。
遠い日、君と歩いたこの道。
僕も君もまだ若かった。
あの場所から、駅まで。
僕達二人の人生の、始まりとなった道。
今はその道を、駅から逆に辿る。
もう隣に君はいない。
数年前に、僕より先に人生を終えた。
米寿を迎えた翌年のことだった。
記憶の中の君は笑っていた。
隣には幸せそうな僕がいる。
向こうから、二人寄り添うように歩いてきて、僕とすれ違った。
振り返れば、もういない。
たくさんのものを失った。
だから、始まりの場所を見てみたいと思った。
もう終わりゆく人生だからこそ、始まりの場所を見ておきたかった。
僕と君の、始まりの場所を。
橋を渡り、踏切を越え、記憶の場所に辿り着く。
僕達が、夫婦の誓いを立てた結婚式場。
そこにはもう、まったく別のビルが建っていた。
…そうか、すべての思い出は崩れ去っていたんだな。
記憶の地図を消してゆく。
もう、これからの人生には必要ない。
新しい地図もいらない。
君との思い出だけを抱きしめて、静かに生きていこう。
新しいマグカップを買って、職場でコーヒーを飲んだ。
それだけで、なんだかとても新鮮な気持ちになれた。
人は、変化を求めてるんだな、と思った。
ホメオスタシスに抵抗する快感、ってやつか?
保守的な部分と、革新的な部分が共存している。
変えたくない気持ちと、変えたい気持ち。
きっと後者は、変えてみて初めて気付くこともあるだろう。
その快感が癖になって、その後は革新的な生き方に舵を取るかもしれない。
マグカップ以外でも、同様の感覚を得られる。
新しい靴、新しいスマホ、新しい車、etc…
性能や機能の良さによる喜びもあるが、やはり、今までと違う、という感覚がもたらす新鮮さは大きいだろう。
これは、人と人との出会いにも言えるのではないだろうか。
入学や入社、あるいはクラス替え、人事異動。
不安とともに、新しい友達や仲間が出来る喜び。
交わす話題や遊び方、一緒に行くお店なんかも変わってくる。
気付けば、それまで一緒に過ごしていた友達や仲間と疎遠になっていた、なんてことも…あるだろう。
これは、人間の本質的なものだと思うが、どうか。
変わらない安心とともに、変えてゆく冒険心が疼いている。
それを無視したままで生きている人も少なくはないと思うが、いざ変えてみたところで、気付く。
こんな世界があったのか、と。
何故もっと早く動かなかったのだろう、と。
もちろん、変えてしまって後悔することだってあるだろう。
でもそれは、変えてみなくちゃ気付けない。
そう考えると、恋人は?夫婦は?
スマホや車のように、古くなったら乗り換え、なんてことが許される?
ホメオスタシスからの脱却は、推奨されていると思うが…。
今でも思うんだ。
もしも君が、あの時、車道に飛び出してきたりしなければ。
僕の運転する車の前に、突然飛び出してきたりしなければ。
僕の運転では、君を避けることが出来なかった。
あとで知ったところによると、歩道を歩いていた酔っぱらいの男にぶつかられて、君はよろけ、車道に飛び出してしまったという。
それも運命だったと片付けるには、あまりにも僕の人生を大きく変える出来事だった。
そして、君の人生も。
君にぶつかった男は、君が僕の車に跳ねられるのを見て、慌てて逃げていったらしい。
もしも彼に、どこかで出会うことがあるのなら。
いったい何を伝えるだろう。
あなたのおかげで…いや、それはちょっと違うか。
でも、今では彼を見つけ出したい気持ちも大きくなってきた。
まさか彼も、こんなことになるとは思いもしなかっただろう。
運命のいたずらが、こんなことを引き起こすとは。
君の両親にも会いに行ったよ。
彼らから、君を奪ってしまったことに大きな罪悪感を感じていた。
だから僕は、君の父親の前で、必死に頭を下げた。
きっと君は、彼らの宝物だったろう。
それを僕は奪ってしまったんだ。
でも、君の両親は、許してくれたよ。
悲しいけどこれは、仕方のないことなんだ、と。
これからは君が、その責任を感じて生きていってほしい、と。
もしも君が、あの時、車道に飛び出してきたりしなければ。
僕の運転する車の前に、突然飛び出してきたりしなければ。
僕達二人は、結ばれることもなかっただろう。
ケガをした君を介抱し、病院まで車で運び、治療して入院となった君を、毎日のように見舞った。
そしてそのうち、お互いに恋心が芽生え、退院とともに交際を始めて、来月には結婚する運びになっている。
だから、酔っぱらいの彼には感謝したいくらいなんだ。
君と僕を引き合わせてくれたことを。
そして、僕たちの結婚を許してくれた君の両親にも感謝してる。
事故の件では彼らを心配させてしまったけど、もう二度と君を傷付けたりしないと、心から誓うよ。
必ず君を、幸せにする、と。
その部屋には静かにピアノの旋律が流れていた。
「素敵な曲ですね」
私の言葉に、目の前のソファに座る彼女は、薄く微笑んで答える。
「私の恋人が作ってくれた曲なんです。私だけのために」
「恋人が?それは素晴らしい。彼氏さんは、音楽をやってらっしゃる方なんですか?」
「ええ、ピアニストでした」
「…でした?」
「先日、事故で亡くなったんです。この曲を完成させて、まもなくのことでした」
「それは…すみません。お辛かったでしょうね」
「ええ…でもね、彼は今でも、この曲で私を包んでくれています。あの頃と同じように」
「なるほど。彼の忘れ形見ってことですね。…ずっと聴いていらっしゃる?」
「ええ、ずっと。この曲が聴こえないと、私は死んでしまいますから」
「それは…思いが強すぎるのでは?」
「いいえ、私には聞こえるんです。彼がこのメロディに乗せて、私に伝えてくれるメッセージが」
「彼は…何と?」
「君がこの曲を聴くのをやめたら、僕のところにおいでって」
「そんな…気のせいですよ。そんな風に聞こえてしまうだけで」
「メッセージはもうひとつ…君以外の人がこの曲を聴いたら、僕のところに呼び寄せるよって」
「…え?」
「私の家族が三人、立て続けに亡くなりました。だからあなたを呼んだんです、葬儀屋さん」
ピアノの旋律が、少し乱れたような気がした。
I love 休日の朝。
目覚めた後で、「今日は仕事に行かなくていいんだ」と気付く瞬間。
特に何の予定もない休日でも、何もないという余裕を感じられるのが嬉しい。
今すぐ起きて好きなことしてもいいし、このまま好きなだけ寝てるのも悪くない。
何かに縛られない一日の始まりを、心から愛してる。
でもまあ、この喜びも、日々仕事に行って働いてるからこそ得られるもんなんだろうな。
そのギャップが大きければ大きいほど、打ち震えるような喜びを感じる。
毎日がお休みで、それが当たり前になれば、今のような幸せを感じるのは難しいだろう。
当たり前に人はさほど喜ばない。だって当たり前だから。
I love 仕事、な人になれれば、こんな後ろ向きなことを考えずにいられるのか。
そんな人いるのか⋯まあ、いるか。
そーゆー人は、休日を疎ましく感じるのかな。
休んでなんかいないで、もっと仕事をしたい、と。
羨ましい⋯いや、羨ましくはないな。
仕事より愛する家族がいる自分のままでいい。
休日、家族と一緒に過ごすことを夢見て、日々の仕事に打ち込む自分のままで。
そっか、I love 休日の朝、というより、I love My Family だったな。
結局、これのために頑張ってるわけだ。
安易なオチに辿り着いた感もあるが、愛されるからこそ愛すべき存在が生まれる。
そんな存在と過ごす休日を待ちわびるのは、決して後ろ向きな考えじゃなかったな。
I love All of My Life.
時に嫌になったりする朝も含めて、すべてが生きているからこそ。