卑怯な人

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6/27/2025, 8:39:20 AM

「最後の声」

 燦々と輝く大きな太陽、何処までも続いているかのように思ってしまう広く蒼い空、己の命が尽きるまで必死に未来へ繋ごうとする蝉の声。そして、その中で少年は駆けていた。
 
         「終わりは無い」

       「畦道は何処までも続く」

 それが彼にとっての希望であり、生きる意味だった。
彼は世界を知らない。純粋無垢な少年で、重荷をいっぱいに背負っていた。そんな重荷を少年は、まるで無いかの様に駆けている。彼は何処へ行くのだろう。

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 ある一人の社会人が満員電車の中で外を眺めていた。ジリジリと強く輝く太陽、何一つ変化のない空、いずれ死んでしまうであろう蝉の大きく耳をつんざくのではないかと思う声。そして、その中で社会人は眺めていた。

        「終わりはあるのか」

      「何処まで走れば救われるのか」

 彼は希望を探すため、絶望に浸る。それが彼の生き方だった。彼は知ってしまった。邪念を持った社会人は、昔背負った重荷に押し潰されそうになっていた。もう走る気力すらも無い。私は果たして進めるか?

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 ある一人の老人が病室の窓から外を眺めていた。
長く共に歩んできた太陽、大地を包み込むかのような大きな空、己の命を最後まで輝かせんとする蝉の声。そして、その中で老人は終わりを眺めていた。

        「終わりはあった」

       「だが、私は幸せだった」

 彼は薄れる意識の中で、静かな喜びと少しばかりかの哀愁を一生を振り返るように目を閉じた。この先、私は「知る」ことが出来ないだろう。後は「無」に帰るだけであると、彼は旅の終わりを感じ取っていた。重荷を下ろす時である。いつか、また重荷を背負って進めるだろうか。彼はただ、終わりを待っていた。

                  了

6/8/2025, 11:22:36 AM

「君と歩いた道」

 六月の、夏の暑さも感じる風が病室を包み込んだある日のこと。私は一人、病室で読書に浸っていた。この日はやや風が強いらしく、風が純白のカーテンを大袈裟に揺らしていた。白いベットと鉄パイプの椅子、白い壁、そして蒼い空。無駄をすり減らした美しさすら覚える部屋の中で、私は自らを見失いかけていた。
 入院とは暇をかなり持て余す物だとは知っていたが、いざ体験すると何もすることがない。自宅にいた頃に何をしていたかも忘れてしまいそうな程に、私の過去は病室の白い壁に吸い込まれていった。とにかく、私はただその日が過ぎ去るのを見つめているだけだった。
 見舞いに来る人もいない。遠縁の親戚はいれど、最後に会ったのは十数年前のことである。妻はいたが、彼女が四十三の時に乳癌で先立った。妻との間に子は儲けなかった。私含め二人とも収入も時間も無く、貯金には少ししか回せなかったのだ。だから、最後の時まで二人で支え合っていた。そして、ふと思うのだ。子も儲けず、金銭的な余裕が無いが為に、妻に旅行や贅沢もさせてやれなかった。私は彼女に何を残せただろうか。時より、そんな後悔に襲われる。もし妻にもう一度会えるなら、会話ができるのなら、謝りたい。そんなことを薄目で澄んだ空を見ながら考えていた。
 私ももう長くはないだろう。この空を眺めるのも、明日を迎えるのも、限りが見え始める歳だ。その時、特に強く風が吹いたようで、最近切っていなかった髪が揺らされる。私も若い頃は日中外へ出て、色んなところで遊んでいた。それも、今の身体と精神ではとても再現出来そうにない。

       「時の流れとは残酷よな」

そんな考えに、私は私に自嘲のこもった鼻笑いを一つした。とんだ贅沢な考えである。ならば、そんな事すら考えることの出来なかった彼女はどうなる。余命宣告をされた後、空を眺め続けていた彼女の姿をまたも忘れかけていた。ずっと共にいると誓ったはずなのに。自分のことが嫌になることが増えた。
 なぁ、君は幸せだったか?初めて二人で歩いた古書店街、必死にバイトをして行った沖縄も大学時代の話で、就職し結婚してからはこれといった思い出は無い。それでも君は文句一つ言わず、最期の時まで一緒にいてくれた。私は与えられてばかりの人間だったんだ。だから、君に謝りたかった。贅沢な暮らしをさせてやれなかったことを、何も返すことが出来なかったことを。
 私もいずれ逝く。だから、もう一度君と話をしたい。どんなに辛いことがあっても支え合っていたあの頃のように、退屈なんてなかったあの日々に...

 夕方に差し掛かる時刻
 老人は写真を手にして眠っていた。

                   了

6/7/2025, 1:07:28 PM

「夢を見る少女のように」

 ある日の真夜中のこと。突然バイクの走行音が部屋を駆け巡り目を覚ましてしまった。ふと窓を見ると開いたままであった。寝る直前、換気のために空けておいていたのをそのまま忘れて眠ってしまったようだった。
 私は動きたがらない身体を無理矢理起こし、窓を閉めて床に就いた...はずだったのだが、どうも眠れない。どうやら頭の方は覚めてしまったらしく、潔く眠りにつく気はないようである。さて、どうしたものか。
 仕方がないので、何かしら行動を起こして眠気を誘い出そうと一旦自室の椅子に座った。私の椅子の横には閉め忘れたやや大きめの窓があり、そこから月光が差して私を照らしていた。

「たまにはこういったのもいいものか」

そう考えていたが、私の頭の中では未だにバイクの音が響いていた。
 ふと暗闇に同化しかかった掛け時計を見ると、うっすらではあるが針は午前二時を指しているのが見えた。街はもう完全に寝静まった頃だろう。先程のバイクは例外として、街はほんのり冷たい静寂に包まれていた。
 私の住んでいる場所は郊外で、都心でなくても昼間になればバスやトラックなどの音で騒がしくなる。だが、それも打って変わって夜になると、私以外人間がいなくなったと感じられる程に静かになるのだ。何度か経験したはずであるが、どうも慣れることはなかった。
 時に、郊外の空というのは素朴であると私は思う。よくテレビ等で見る空は満天の星々が主役を競い合うかの様に輝く。しかし、郊外という中途半端な場所では、夏になると大三角形、冬になるとオリオン座、その他少々、という程度で味気ないものである。だからこそ、月が映えるのだ。そんな素朴な夜空が私は好きなのだ。
 少し前、近所の広い公園で少女たちがプリンセスや魔法使いなど、各々幻想的な夢を語り合っている場面をふと思い出した。だが、悲しいかな、そういった夢は私たちが成長するにつれて現実を直視し、気づけば意識しなくなる。
 しかし、夢は消えでも根幹は消えない。夢は形をかえただけなのだ。昔、私たちが描いた夢は感動となって未来まで共にする。一生涯夢であった彼らは私たちに感動の手を差し伸べてくれる。夢が夢であり続ける必要はないのだ。
 少しだけ懐かしい気持ちになったところで、私はあくびをした。色々と考えている内に落ち着いてきたようだ。明日も早い。また時間は過ぎ、夜がやってくる。今度はどんな顔を見せるのだろう。そんなことを考えながら、私は眠りに就いた。

                 了
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 中の人の一言 「受験は悪夢」

5/7/2025, 12:11:53 PM

「木漏れ日」

 昼下がりの河川敷。雲一つない蒼い空。時折吹くやや強い風。当たり前だと思っていたことでも、こう意識してみると存外美しいものだと感じながら、一人、少し空を見上げながら歩いていた。
 時期は春。多くの人が望んでいた季節が訪れ、多くの人々が運動に勤しんでいた。野球で軽快な音を響かせながら、ボールを遠くへ弾く音。それに伴うチームメイトであろう人々の歓喜の声。颯爽と走り抜けるスポーツバイクの軽く少し振動しているかのような音。そして、一歩一歩大地を踏みしめる砂利の音。どこか心に響くように感じられた。「自分は気づかぬうちに疲れていたのだろうか」そんなことを考えながら足を進めた。
 そもそも、河川敷に散歩に来たのはただの思いつきで、座り仕事で疲れたとか、面倒な事が片付いたとか、そういったことも無く、ただ歩こうと、思いつきのまま行動に移したのである。しかし、思いつきにしてはいい物を得たと自分はそう感じている。普段の感動は身近にあったのだ。
 その後、三十分程歩いただろうか、木々の生い茂った公園を見つけた。この時間帯、多少の子連れがいると思ったのだが全くの無人で、一休みするには丁度いいと、少しばかり休憩をとることにした。ベンチに腰を下ろし、空を見上げる。春とは言えど、日があまり当たらないと少し肌寒い。しかし、その肌寒さが却って眠気を誘った。昔は眠気など気にもとめなず、外ではしゃぎ遊んでいたのに、いつからこんなに怠惰になったのかと、内心ほくそえみながら自問自答していた。
 嗚呼、いい加減意識を持つのも辛くなってきた。瞼に重みを感じるようになり、数分後に起きることを私は予期した。そして、目を細めた世界は、まるで宝石のように輝いていた。木漏れ日が私の瞳に入り込む。どこか懐かしいような、泣きたくなるような、とにかく不思議だった。その瞬間だけ、私は子供の頃に帰ったような、そんな感覚が全身に駆け巡った。そして、その木漏れ日は私を過去に連れていこうと私の体を包み込んだ。このまま夢へと向かう途中、少しだけ現実から逃げたくなった。


                   了
 

3/27/2025, 12:48:00 PM

「春爛漫」

 三月の終わり。それは一つの物語の終わりであると、私は時折思う。春になると人は変わる。良くも悪くも『春』に突き動かされるのだ。それが今生の別れであろうとも。
 忘れもしない。共に最期を見届けると約束した妻が亡くなったのも春だった。その時の外の景色は、憎たらしいほどに見事に桜が咲いていたのをよく覚えている。
 春は我々の運命を凝視している。その目が示すは悲愴で愉悦も含む到底理解不能なもの。しかし、彼らに同情の心は無い。彼らの仕事は見届けることただ一つ。私の思いも妻の死も直ぐに忘れて消えてしまう。
 そんな桜も爛漫。何時ぞやの誰かが言っていた

    『桜の木の下には屍体が埋まっている』

なんて言葉も言い得て妙だ。実際には埋まっていなくとも、間違いなく彼らは私たちを利用している。何が目的かは分からない。だが、それだけは確実に言えるのだ。

                    了

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