今日も学校が終わった。夕陽に響くチャイムと、これから部活が始まる生徒たちの楽しそうな声が響く中、俺は1人、黙って校門を後にした。
友達はいるが、一緒に帰るほどの仲ではない。部活も所属しているが、幽霊部員の実質帰宅部。習い事の経歴は未だ白紙のままで、バイトもしたことがない。
俺の唯一の世界との関わりは、SNS。俺のことが嫌いで過干渉な親に隠れて行う、顔も、年齢も、どこに住んでいるかも知らない相互のフォロワー達との交流だけが、学校外で俺が人間と関わる瞬間だ。
狭くて古い家に着いて、誰もいない、薄暗い廊下を進む。後は自分の部屋に引きこもって、よれた部屋着でネットの海に沈むだけ。薄暗い部屋を照らすのは、ブルーライトの毒々しい光で十分なのだ。
ネットスラングと下品な話題、到底華の高校生が過ごす放課後の時間とは思えない。締め切った遮光カーテンも、何年干していないか分からないベッドのマットレスも、健全な高校生活とは正反対のものだろう。でも、この生活をやめるつもりはない。不健全で、不健康。醜くて、社会不適合な生活が、俺にとっては最適なのだ。
そんな地の果てに堕ちきった生活のある日のことだった。あるフォロワーと、会う約束をした。相手は俺の一つ上の男らしい。リスキーなのは分かっていたが、好奇心がそれを上回った。
俺と彼は以前よりずっと密に連絡を取り合うようになり、その度にお互いのことを知っていった。案外近くに住んでいて、好みも似ていて、何より性格がそっくりで。探れば探るほど、俺はすっかり彼に心を許していた。ここまで他人と距離が近くなったのは初めてだった。
そして、彼との約束の日。俺は精一杯選んだまともな服を着て、何度もやっぱり断ろうかと悩んで、そうして、ようやくドアを開けようとした。確かに、外と関わろうとした。
ドアは開いてくれなかった。ああ、最悪だ。よりによって今日だった。
きっと、母さんが外からドアをガムテープか何かで塞いだのだ。俺が勝手に、外の人間と会わないように。俺は露骨に準備しすぎた。これまで服など微塵も興味を示さなかったのに、急にねだったりしなければよかった。
泣きそうになりながら、彼に会えなくなったと伝えた。返信は無い。もう、泣きそうどころではなかった。勝手に視界は滲んで、みっともなく玄関に座り込んだ。
真っ暗な部屋の中泣いていた俺は、気付かなかった。スマホが受信した彼の返信の内容に。
テーマ:待ってて
ある休日の昼下がり。食後の心地よい眠気に揺蕩っていた俺は、電話の鳴る音に意識を浮上させた。
「ふぁ……誰だよこんな時に……」
寝起き特有の苛立ちを隠しもせずに愚痴を吐きながら受話器を取る。見覚えの無い番号だったので、セールスか、あるいは詐欺かと余計腹が立った。
『お、やっと出た!元気してた?』
電話の向こうの声は、やたら明るい男の声だった。なんとなく、聞き覚えがあるような気もする。しかし、電話の声なんて現実とは違っていてあまり当てにはならないのだ。きっと間違い電話か何かだろうから、適当に話を遮って切ろうとした。
「あー……すんません、多分間違い電話っす……それじゃ……」
受話器から耳を離そうとした瞬間、煩いくらいの、音割れした叫び声が聞こえた。
『あー!!ちょっと待って!!ちょっとだけでいいから!』
あまりの煩さが頭に来て、文句の一つでも言ってやろうとまた受話器を手にした。その時だった。
『もー……覚えてないの?確かに電話番号変わったけどさぁ……ほら、高校の時一緒につるんでた!』
そう言われて、ふと思い当たる人物が一人いた。当時は体格に恵まれた事もあって周囲から避けられていた俺に、唯一馴れ馴れしく絡んできた変な奴だ。言われてから聞けば、声もそいつと合致する。
「……弁当忘れて草食おうとしてた?」
『なんで声忘れてソレ覚えてんの!?そうだけど……!』
合っていたらしい。見知らぬ電話番号がソイツの電話番号に変わったところで、当初の疑問は拭えない。
「……で、何の用だよ。つかどこで俺の電話番号知った。」
そう、携帯番号ならまだ、昔の友人なんかを伝手に知ることもあるかもしれない。しかし、今電話しているのは家電。よほど身近な人物か、あるいは公的な機関とのやりとりにしか使っていない。
[ん〜?……秘密。まぁ細かいことはいいじゃん?それより、言いたいことあったから電話したの!』
露骨に誤魔化された気もするが、まぁいいだろう。アイツは俺の母さんと面識があったはずだ。きっと、そこからだろう。そう信じて、話を聞いた。
「……んだよ。」
『僕、来週そっち引っ越すから!んでお前と同居する!あ、これお前の母さんが決めたから拒否権無しね!それじゃ!』
一方的にまくし立てられ、電話はぷつりと切れた。やっぱり母さんか、とか、引っ越すのか、とかどうでもいい考えは浮かんだものの、一番重要な情報は中々飲み込めなかった。
「…………は?」
アイツの「伝えたいこと」は、どうやら俺に大波乱を持ち込んできたようだ。俺はしばらく呆然としたまま、受話器を置くことさえできないでいた。
テーマ:伝えたい
学校から帰る道の途中にある、古くて小さな一軒家。そこは、僕らの学校ではちょっとした心霊スポットとして有名だった。夏になると、よく男子たちが肝試しにここへ行って、やれ小さな女の子を見ただの、首を吊っている男がいただの噂を流している。僕も話に混ざりたかったけど、その子たちは僕のことが嫌いみたいで、近付くと僕を叩くから行けなかった。みんなはその噂を怖がっていた。でも、僕はちっとも怖くない。
「ごめんくださーい。」
カラリと少し錆びたような音を立て、今時珍しい柄入り磨りガラスの引き戸を引く。中は古びてはいるが清潔で、肝試しに来た者達の痕跡も綺麗になっていた。彼らはきっと土足で上がるだろうから、掃除も大変だろう。
「いらっしゃい。」
そう、この家には住人がいるのだ。仕事の関係だとかで、夜は家を空けているらしい。だから、肝試しに行く男子たちにも注意の一つさえ無いのだろう。にしても、それを学校に報告するなり、張り紙をするなり、何か対策をすればいいのに、といつも僕は思う。泥だらけの靴で乗られたフローリングを拭くのも、壁に描かれた落書きを消すのも、簡単じゃないだろうに。
「今日は何もしようか。」
穏やかな声が聞こえた。彼はあまり顔を見せたくないらしく、いつも襖越しに僕と遊んでくれる。畳の和室は、肝試しなんかで入られたら掃除が大変どころの騒ぎではないだろう。
「えっとね……うーん……なんでもいい!えへへ、お兄さんのお話、また聞きたいな!」
お兄さん、というのは僕の推測だ。声からして、僕のお兄ちゃんと同じくらいだと思うから、たぶん中学生か高校生。この家にはお兄さんの妹さんもいるのか、きゃあきゃあと騒ぐ、鈴の音のような可愛らしい声が聞こえる時もある。
「そう?嬉しいけど、ほんとにいいの?」
なんて言いつつ、お兄さんはまた面白い話をしてくれる。彼の話してくれる怪談のお話は、とても面白いのだ。
「あ……もうこんな時間!お母さんに怒られちゃう……僕もう帰るね!また明日!」
「……うん、待ってるね。」
うっすら、襖が開いた気がしたが、きっと気のせいだろう。お兄さんは、僕が襖を開けるのをとても嫌がるから。
次の日、また肝試しに行ったらしい男子たちが、真っ青な顔をして話していた。廊下の奥、左手側の和室の襖を開けたら、男子たちのうちの一人、よく僕を叩く子が突然いなくなったと。
そんなわけないのに、と僕はぼんやり思った。きっと、怖くなって一人で帰ったというのがオチだろう。僕は落書きのされた机を見下ろして、今日の怪談は何だろうかと、あの家に行ける放課後を心待ちにしていた。
テーマ:この場所で
僕はいい子なのだ。みんなそう言ってくれる。優等生といえば、と問えば、学校の先生も、親も、友達も、みんな口を揃えて僕の名を挙げた。
彼らの期待を裏切らないために、誰にも嫌われず、迷惑をかけず、平凡な日常を過ごすために、僕は必死だった。毎日毎日、表面上の僕が誰の願いも断れないのをいいことに利用してくる奴らを相手して、無駄な仕事を増やされて、それでも愚痴の一つさえこぼさず笑顔で受け入れた。
そんな、僕にも唯一、何より嫌いな人がいる。
そいつは必死に取り繕って被っている猫を、いとも容易く、たった一言で剥がしてしまうのだ。僕と同等が、あるいはそれ以上に人々に好かれているのに、何故か僕とは振る舞いが真逆。クールぶっていて一匹狼、素行不良に粗野な物言い。それなのに、彼はその全てを許されていた。
ずっと前、ほんの二、三言話したことがある。その時に分かってしまった。彼は、天性の人誑しなのだ。
いつも一人で、態度は冷たい。それなのに、案外子供っぽく、幼稚で、素直。話してみれば話し上手で、誰にでも話題を合わせられる。僕なんかより、ずっと器用に生きているタイプの人間なのだろう。
僕はそれが、気に食わなかった。何故みんなあんな奴を好くのかと。内心ずっと、彼に対する嫉妬と羨望の混じり合ったドロドロとした感情が渦を巻いていた。
そんな折だった。僕はほんの少しのミスで全てを失った。一度だけだ。たった一度、クラスの中心人物から頼まれた頼み事を断った。その日は妹の誕生日で、どれだけ人に好かれようと努力している僕でも、流石にそこを邪魔されるのは嫌だった。
彼はそれが気に食わなかったらしい。次の日から僕はクラス中から無視されて、先生達も気まずそうな顔をして見ぬふりをする。親には迷惑ばかりかけているし、こんなこと言えそうにない。誰もがみんな敵になって、僕は逃げ場も無いままに押し殺されそうになっていた。
僕はいい子なんじゃなかった。誰にとっても、都合のいい子でしかなかった。
そんな絶望に浸かりかけていた僕を救ったのは、僕が心の底から嫌いだった、彼一人だけだった。
一匹狼で、誰の意見も聞かない彼は、中心人物の男子の命令にも平然と逆らった。みんなの前で、僕に話しかけた。
彼が自分から人に話しかけることは滅多にない。それも相まって、あの男子生徒の癪に障ったらしい。僕らは2人で、クラス中から無視される存在となった。
けれど、もうそれでよかった。一人ではなかったのだ。誰もがみんな敵になっても、彼はまっすぐ僕を見ていてくれた。大きすぎた嫉妬と嫌いが裏返って、重たくて、見せられないような醜い執着と愛に変わっていく。
誰も見ない教室の隅で、僕らはずっと、ふたりぼっちになることを選んだ。
テーマ:誰もがみんな
「お兄さん、最近よく来てくれますね。」
目の前で色とりどりの花を丁寧に包む店員の彼が、不意に言った。
柔らかく繊細な花を、これまた柔らかい紙で包んで、上から透けるような不織布を巻いて、最後にリボンを巻く。ここ最近、ほとんど毎日目にする光景になった。
包んでもらう花束はいつも同じもので、赤いアネモネに同じ色のチューリップ、差し色にブルースター。ふわりと香る花の匂いと同じ匂いが、目の前の彼から漂ってくる。
「最近、好きな人ができまして……」
照れからついはにかんで言うと、彼は一瞬目をぱちりと瞬かせてから、花の綻ぶような笑顔を浮かべた。
「あ、やっぱりですか?うっすら思ってたんです!貴方が買っていく花、いつも愛を伝える花言葉のものばかりですから!」
やはり、彼は花屋の店員らしく花言葉も知っていたらしい。俺の選ぶ花はいつも、どれを取っても恋人に贈るようなものばかりなのだ。
「でもお兄さん、バラは買っていきませんよね。中々いませんよ?」
「バラは……特別な日までとっておくことにしたんです。」
彼はまたくすくすと笑って、赤色のリボンをきゅっと結んだ。
「ふふっ……案外ロマンチストなんですね。」
高身長でそれなりに鍛えている俺は、傍から見ればロマンチックなものとは縁遠い存在のように思えるだろう。しかし、姉がいる影響なのか、俺は見た目に反してロマンチストの節があった。
「ええ、お恥ずかしながら……店員さんは、ロマンチストなのはお嫌いで?」
「まさか。僕も好きですよ、そういうの。やっぱり憧れるじゃないですか。」
なんて彼が頬を赤らめてまた笑ったものだから、俺はもう我慢できなかった。花言葉にどれだけ詳しくても、どれだけ俺がここに通っても、鈍い彼は気付いてくれないらしい。それならば、直球で、真っすぐ伝えるしかないだろう。
「……はい、できました。」
花束を手渡されたのを、そのまま彼の手に戻す。そして彼の手を取って、俺は今日、花束を本来の目的で、好きな人に好意を伝えるために使った。
その日からもう、俺の家で花束が萎れていくことも、捨てられないリボンが増えていくことも、もう無かった。
テーマ:花束