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12/24/2025, 9:23:42 PM

遠い日のぬくもり


私は弱い。

嫌になっちゃう病がある。
そんな病名があるかどうか、そんなことは知らない。
バイトもやめたくなっている。怠けるつもりはないのだが、気持ちが疲れて休みたい気持ちが出てきてしまう。
特に今のような季節は重症化する。


最初の発病は幼稚園の時だった。
お昼のお弁当の時間。
私はなぜかお昼ご飯の時間が近づいてくると満腹感に襲われるようになっていた。
食べるのが嫌になっちゃう病の症状だ。

当然お弁当を開けるだけで気分が悪くなってしまう。
母は私が残してしまうのを知っているので、園児が一口で食べられる小さなおにぎりを3つと少しのおかずを入れたお弁当箱を持たせてくれていた。
子猫でも食べ切れる量だった。
知らない人が見れば虐待を疑いかねない量だった。
私はおにぎり1つも食べられないのだ。
我慢して、おにぎりのはしっこをかじるように食べるのだが、それ以上食べられない。

幼稚園のお昼ご飯の時だけなのだ。
家にいる時は朝ご飯も、晩ご飯も普通に食べられる。

私の嫌になっちゃう病は家族以外の人に囲まれる時発症するらしい。

私の通っていた幼稚園では、お弁当を残す時は先生にどれだけ食べ残したのかということを見せに行かなければいけなかった。
許可をもらわなければならなかったのだ。

私はいつもほとんど食べていないお弁当箱をちょっと怖い女の先生に見せに行く。

「あかんよ。もう少し頑張って食べましょう!」

先生に言われて、泣きながら自分の席に戻って、お弁当箱と睨めっこすることになる。
いつものことだった。

園児は食べ終われば、机の中に入っている画用紙を出して、お絵かきをすることになっていた。

私の机の中には、まっさらな画用紙の束がいつまでもそのままだった。
みんながお絵かきしているのに自分だけお弁当を少しずつ食べているまねをしていなければならなかった。
そのことが、とても苦しく恥ずかしかった。

幼稚園で楽しいと思ったことは一度もなかった。
辛いのはお昼ご飯の時だけではない。

七夕の日のこと、笹の葉に色紙をくっつけるという作業をみんなですることになっていた。
まわりの園児達は楽しそうにしていたが、
私は意味がまったくわからず、凍りついたように固まってしまった。

意味がわからないということは、当時の私にとってとても怖いことだった。
得体の知れない植物に色紙を付けることは、わけのわからない世界に引きずり込まれるような恐怖があったように思う。

嫌になっちゃう症状にパニックがプラスされてすべての人間が敵に見えていた。

その時、パニックになっていた私のところに出口くんという男の子がやって来て
「なんも心配せんでええでぇ」
と言ってくれた。

そしたら、不思議にパニックがスーッと消えていったのをはっきり覚えている。
出口くんがかけてくれた言葉が、パニックに捕まって固まっていた私を一瞬で抜け出させてくれたのだ。

まさに出口くんだ。

こんなこともあった。
雨の日が怖かったのだ。
これもどうしてなのかわからない。

朝、雨が降っていると幼稚園に行くのがいつも以上に怖かった。
空が灰色になっているのを見ると地獄に落ちていくような気分になってしまうのだ。
幼稚園に行く時は、いつも母と一緒に通園路まで行ってそこで待機する。
この時点で嫌になっちゃう症状はマックスになっている。
そこに先生が、7~8人の園児を引き連れてやってくる。
みんなに合流させてもらい、幼稚園に向かっていく。そこで母は帰ってゆく。

母と別れると一気に不安が押し寄せてくる。
それはいつものことだが、雨の日はその不安が10倍くらいに跳ね上がる。
雨の日はいつも半泣きだった。
次の合流地点では松茂良さんという女の子がひとりで待っている。
2人1組で手を繋いで行くことになっていたので、私はいつも松茂良さんと手を繋いで幼稚園まで行くことになっていた。

半泣きの雨の日は松茂良さんがいつも先生に

「先生、まっちゃんまた泣いてやる」

と報告してしまう。
とても恥ずかしかった。

しかし、そんな私が小学生になって特技と言えることがあった。
かけっこが早かったのだ。
運動会ではいつも1番だ。
それも2位の子を大きく引き離すようなぶっちぎりの1位だった。とにかく足が早かったのだ。

小学校の低学年の頃はみんなの中に入っていけなくて1人で運動場の隅でみんながドッチボールをしているのを眺めているような子供だった。

はっきり記憶に残っていることがある。
私の方にドッチボールが飛んできたのだ。
受け方も知らないので胸にドンと当たってしまった。
その時のボールの衝撃にびっくりした。
ボールに当たるとこんなに痛いのだと始めて知った。
それくらい運動らしいことはしていなかった。走ることも普段はしないし、運動会のかけっこのための練習みたいなこともしたことはない。
運動神経が特別良かったわけではない。
でも、かけっこだけは何故か誰にも負けたことがなかった。

このような子供の頃の体験を通して今私は思っている。

頑張れないことは無理して頑張ることはない。
頑張らなくても出来ることは出来るということだ。
この人生で無理して涙を流す必要などないのだ。
誰にでも誰にも負けないことが与えられているのだ。

今それが見つけられなくてモヤモヤしていても、必ずあると思うので、落ち込む必要などないということです。

遠い日の出来事です。

1/18/2025, 10:02:44 PM

ビードログラスの青を見つめて

ビードログラスの青を見つめていると、日常から離れてしまうような不思議な瞬間がある。

夕暮れの琥珀色とビードログラスの濃い青には魔法が宿っているのかもしれない。
脳内のどこかが共鳴してしまう。

家から電車で30分ほどで海が真正面に見えるカフェがある。

そこで夕暮れの海を見ながら水割りを飲む。

バックから小さなビードログラスを取り出してそれを眺めたり、夕暮れの海を見たり、約一時間、長居はしない。

暗くなりかけた頃、店を出て寄り道せずにそのまま電車で家に帰る。
車で海岸沿いを走るのも好きなのだが、水割りを飲みたいのでいつも電車で来る。

夕暮れの琥珀色とビードロの青を一杯の水割りで脳に取り込んでゆく。

深い青色のビードログラス越しに夕日の海を見る時手のひらに宇宙が舞い降りる。

至福の時だ。
裏切られたことは一度もない。



12/13/2024, 11:16:58 AM

小さな体が、こんなに軽くなってしまった。

愛情を注いで育てたはなちゃんが、死んでしまった。

カゴの中で右の羽を広げてうつ伏せで死んでいた。

足が痛くて辛かったね。
もし人間の言葉が喋れたら、なんと言ってたのだろう。

羽を拭いて、お尻も拭いて、爪を切ってあげた。

何度も何度も小さな口ばしにキスをした。
いつもの暖かい口ばしではなかった。
冷たくなった口ばしに別れのキスが止められない。

君を庭に埋める時、本当に別れがきてしまったんだと悲しみがこみあげた。

君たち動物は死の意味を理解してたのだろうか?

嘆きや悲しみを人間のように感じていたのだろうか?

僕との別れを悲しんでくれたのかなあ。

今どこにいるのかなあ。
どこにもいないのかなあ。

真っ白な体に土を尻尾の方から丁寧にかけていった。

そして体の中心まで土をかぶせた。

最後の時が来た。顔に土を被せる時、可哀想で可哀想で仕方なかった。

もう死んでいるのに、土で息が苦しくなってしまうと思ってしまい、悲しくて苦しくて逃げ出したい気持ちだった。

雨が降ったらいやだろうな、土が泥になって気持ち悪いだろうなと考えてしまう。

痛い体で我慢して必死で僕のところに飛んできた姿が忘れられない。

11/17/2024, 3:11:34 AM

小鳥が死んだ 。
はなちゃんという可愛い文鳥だった。
昨日の朝カゴの中で死んでいた。
よく懐いてくれてこころが通じ合っていた。
よくはなちゃんのおなかに唇をつけて、ちいさな生命の心臓の鼓動を感じていた。

はなちゃんとはもう会えない。
はなればなれになってしまった。

小鳥のような小さな命にも人間と同じような感情があることを教えてくれた。

今まで六年間一緒にいた。
もう会えないのは悲しいけれど、やがて僕も死んでゆく。