「俺、いずみちゃん宛てに恋文を書こうと思うんだ」
「……コイブミ?」
俺は唖然として、隣に座る男の顔を見た。前島は何やら覚悟の決まった顔をして、重々しくうなずいてみせる。
「コイブミってラブレターのこと?」
「そうだとも」
「お前、ついにおかしくなったのか?」
俺は前島に詰め寄って、制服の胸ぐらを掴んだ。けれども前島は眉ひとつ動かさず、目はどこか遠くを見ている。
「そんなん書いてどうする。泉先生を困らせるだけだろうが」
前島の親友として、それから、いずみ親衛隊の一員として。俺は黙っていられなかった。
泉あずさ先生──通称いずみちゃんは、我が高校の美人国語教師だ。男子生徒の大半は彼女のファンであり、そのマドンナぶりは、生徒間でひそかに親衛隊が発足するほどだ。もちろん俺と前島も加入している。
いずみ親衛隊には鉄の掟がある。
一つ、泉先生を困らせるべからず。
一つ、抜け駆けすることを許さず。
一つ、あらゆる外敵から泉先生を守るべし。
前島は今、このうちの二つを犯そうとしている。とんでもない無法者である。親友じゃなければ、今ごろ殴っていただろう。
「目を覚ませよ前島。掟を忘れたか?」
「高野。俺はもう、掟とかどうだっていいんだ」
肩を掴んで揺さぶる俺の手に、前島はそっと触れた。静かに言葉を続ける。
「たしかに生徒である俺がいずみちゃんに告白したら、いずみちゃんは困るし、親衛隊のメンバーからは裏切り者と糾弾されるだろう」
「だったらなんで……」
「でもさ、だからって俺の気持ちは変えられない」
前島はそう言って、薄く笑った。さざ波ひとつ立たぬ水面のような微笑みだった。
「俺はただ彼女に届けたいんだ、俺の想いを」
「前島……」
「叶わないとわかってる。でも俺、伝えないまま卒業するなんて嫌なんだ」
だからわかってくれ、高野。そう言って俺をまっすぐに見つめる親友の目の奥には、青い光が揺れていた。俺は直感的に、完敗だ、と思った。
「……わかった。お前の気持ち伝わったよ」
「高野……!」
「でも前島、恋文はやめたほうがいい」
「え!? なんで!?」
「お前の字が絶望的に汚いからだ」
俺の言葉に、前島は頭を抱えた。どうやら自分の字が汚いことは盲点だったらしい。
「高野どうしよう。俺、直接告るのは無理。手紙じゃないと」
直接言えるほどの漢気は持ち合わせていないようだ。まあ、そういうところが前島らしいといえば前島らしいが。俺はため息をついて「しょうがねえな」と言った。
「俺が一肌脱いでやる」
「高野?」
「小2から中2まで書道教室通ってた俺の実力を舐めるなよ」
「高野……!」
さて、役者は揃った。俺たちはさっそく放課後の教室を飛び出して、可愛いレターセットを買いに走ったのであった。
【テーマ:あなたに届けたい】
「なあ相田。likeとloveの違いってなんだと思う?」
放課後の教室にて、向かいに座った沢村は、突如そんなことを問いかけてきた。
俺はシャーペンを動かす手を止めて、顔を上げる。沢村はいたって真剣な顔で、俺を見つめ返した。
「……えー。likeよりloveのほうが、なんかこう、抑えきれずに溢れ出す感じ?」
「なにが溢れ出すの?」
「パトスとかリビドーとか。あとジェラシー」
「勘で喋ってない?」
「わかんないんだから勘で喋るしかないだろ」
言って、俺は学級日誌を書くのを再開する。一時間目、数学。備考、みんな寝てた。二時間目、化学。備考、実験をした。三時間目、世界史。みんな寝てた。
「四時間目ってなんだっけ?」
「おまえさ、真面目に考えろよ」
沢村は俺をじとりと睨んだ。これって俺が悪いのか? 俺は今、真面目に日直の仕事をやってるんだが。さっきから業務をサボっているのは沢村のほうだ。
「俺は真面目に聞いてんだよ」
「……まあマジな話でいうと」
俺はペンを置いた。
「相手のために死ねるかどうか」
「君のためなら死ねる、が愛?」
「そう」
俺はうなずいた。正味、俺に愛のなんたるかはわからない。けれども何かしら答えない限りはこのよくわからない尋問は終わらない気がするので、とりあえずそれっぽいことを言っておいた。
すると沢村は、そうか、とつぶやいてから、ふいに俺の手をがしりと掴んだ。それからまっすぐに俺の目を見据えて「相田」と呼んだ。
「なに」
「それならどうやら、これは愛だ」
「え?」
「いま頭の中で一回死んでみたんだけど」
「は?」
「相田のためなら俺、全然いけるわ」
「へ??」
「あと四時間目は国語」
【テーマ:I LOVE…】
一番目が柴犬。次にコーギー。また柴犬。四番目にパグ、五番目にチワワ、最後にフレンチブルドッグ。
「合計六回、散歩中の犬とすれ違った」
指折り数えて報告すれば、同居人は鍋の中の味噌汁をかき混ぜながら「すごいな。最高記録じゃない?」と言った。
「みんな光る首輪つけてた」
「そっか」
「光ってる犬って愉快だよな」
「わかる」
味噌汁を一口すくって飲むと、同居人は「うん、うまい」とうなずいた。
「もうできるから、手洗ってきな」
「ん」
言われたとおりに、俺は洗面所へ向かった。
洗面台の前に立つと、鏡にうつる自分と目が合う。ネクタイを緩めながら、前より幾分か顔色の良くなった男を眺めた。
以前の俺は、我ながら幽霊と見紛うほどひどい顔色をしていた。飯を食っても味がしない。夜はまともに眠れず、ただ暗い天井を眺めるばかりだった。
あいつと同居するようになって、今の職場に転職してからは、それもわりかしマシになったと思う。前までは、帰り道に何回犬とすれ違ったかなんて、気にする余裕はまるでなかった。
けれどもここ最近は、自販機のちょっと珍しい缶ジュースとか、新しくできたパン屋とか、道端に咲いてるちっちゃい花とか。街中のどうでもいい風景が、自然と目に入ってくるようになった。
そうだ、今週の土日はあいつと一緒に出かけよう。ふたりで目的もなく街へ出て、どうでもいい幸福を享受しよう。味噌汁の匂いが漂う中で、ぼんやりとそう思った。
【テーマ:街へ】
明けてしまうのが惜しい夜のことを「アタラヨ」というのだという。
漢字はどう書くのと聞いたら、彼はおもむろに私の手を取った。それから先細りのひとさし指で、私の手のひらの上に、その字を書いてみせたのだった。
「こう書くんだよ、わかった?」
そんなふうに問われたけれど、私は肌にふれる彼の体温ばかり気にして、せっかく教えてくれた漢字をまともに見ちゃいなかった。そのせいで、どんな漢字だったか思い出そうとしても、まるで思い出せない。
あのときちゃんと聞いておけばよかった。辞書をひけば正しい漢字が書いてあるんだろうけど、彼から教えてもらわなければ意味がない。けれども彼が私に「アタラヨ」という言葉を教えてくれたあの夜は、たしかに明けるのが惜しい夜だった。
いまはどうだろう、わからない。彼が隣にいなければ、朝を朝とも思えない。だから今日も、いつかの体温の記憶を抱きしめながら、目を閉じるのだ。深い深い夜の底で、いつまでもあなたを想っている。
【テーマ:ミッドナイト】
特別な夜にしようと思ったのだ。小心者の俺にとっては、一世一代の覚悟だった。好きな女の子を遊園地に誘うだなんて。
震える手で二人分の割引チケットを差し出せば、松井さんは笑って「いいよ」と言ってくれた。その笑顔があまりにも可愛くて、俺はすっかり舞い上がってしまったのだ。
眼下の夜景にはしゃぐ彼女を見ていたら、とうとう気持ちがおさえきれなくなった。考えるより先に、言葉が出ていた。
すきです、と上ずった声で告げた俺を前に、松井さんは困った顔をした。それから彼女は、黒目がちのまるい瞳を気まずげに伏せて、小さな声で「ごめん」と言った。
「私、ニッシーのことは友達だと思ってるから」
その言葉で、俺はたちまち我に返った。冷静になれば、あたりまえのことだ。もしかしたら松井さんも俺のこと、なんて、馬鹿な勘違いにも程がある。頬がじわじわ熱くなっていく。
「あ……そ、そっか! なんかごめん変なこと言って! 全然忘れてくれていいから!」
「あ、え、いや別に変では……ちょっとびっくりしただけで、気持ちは嬉しいよ、普通に」
「あ、そ、そっか……」
「うん……」
「………………」
沈黙が落ちる。あまりに空気が重すぎて、ゴンドラごと落ちてしまうんじゃないか。恐らく今の俺たちは、観覧車に乗っている客史上、いちばん気まずい。
よく考えたら、観覧車に乗ったときに告白するのはリスクが高すぎる。頂点ぴったりで告白してOKされたならいいが、そうでなければ振った相手と振られた相手が、地上に戻ってくるまで無言で向かい合い続ける地獄の時間が発生する。現に今、発生している。
ゴンドラから出るなり、彼女は俺を振り向いて言った。
「ちょっと用事思い出したから、そろそろ帰るね」
「えっ」
「じゃあね、またバイトで」
「…………」
駅まで送るよ、と言う前に、彼女は足早に去ってしまった。観覧車のりばの前に、俺はひとり、ぽつんと取り残された。
しばらく唖然としてその場に突っ立っていたが、俺はやがて近くのベンチに力なく腰を下ろした。幸せそうな顔をしたカップルが、ライトアップされた観覧車に乗り込んでいくのを、ぼんやりと眺める。
俺、何やってんだろ。自分があまりにダサすぎて、もはや笑えてきた。どうして俺はこうなんだろう。何をやってもうまくいかない。
うなだれて洟を啜ったそのときだった。正面から、とんとん、と肩を叩かれた。
顔を上げると、水色のうさぎが立っていて、思わず「えっ」と声を上げた。
正確には、うさぎのきぐるみだ。もっと正確にいえば、この遊園地のマスコットキャラクターである"ラビくん"のきぐるみである。
ラビくんは、右手に持った風船をひとつ、俺のほうに差し出してきた。
「え、お……俺にくれるの?」
聞けば、ラビくんはこくりとうなずいた。それからもふもふの手を伸ばして、俺の目元を拭くような仕草をしてみせた。
「な、泣かないでって?」
ラビくんはまたこくりとうなずいた。それからぴょんぴょんジャンプしたかと思えば、奇妙なダンスを踊り始める。
とにかく、一生懸命慰めようとしてくれていることは伝わってくる。あまりに必死なものだから、俺はつい吹き出してしまった。
「はは、ラビくんありがとう。ちょっと元気出たよ」
そう伝えると、ラビくんはまた嬉しそうに飛び跳ねた。きぐるみ着た状態でよくそんなにジャンプできるなと、一瞬ロマンのないことを思ってしまったのは内緒だ。
ある意味で特別な夜になってしまったが、過ぎてしまったことは仕方ない。ラビくんの優しさに触れて、俺は早くも、失恋から立ち直りかけていた。
しかしながら、帰り際になんとなく立ち寄ったおみやげショップで、俺はラビくんに手ひどく裏切られることになる。
手に取ったハート型のクッキー缶には、イラストが描かれていた。ラビくんと、その隣に並んだピンク色のうさぎが、仲睦まじく手を繋いでいる。
「……お前も彼女いるんじゃねえか…………」
もう二度と、その遊園地には行かないと誓った。
【テーマ:特別な夜】