「お前は、何がしたいんだよ。」
したい事、か。僕は只ーー。
「お前は、不要な人間なんだよ。」
幼い頃から言われ続けた言葉。この言葉を初めて言われた時、僕は只泣いていた。悲しくてではなく、嬉しくて泣いたんだ。死ぬ理由ができたって。頑張らなくたって良いんだって。でも、そんな僕に全力で、生きろって叫んだ人が居た。
彼との出会いは、学校の屋上での事だった。立入禁止のその場所は、僕のお気に入りだった。そこから見える景色は、世界を美しく加工してくれた。
「おい、お前。鍵を職員室から盗んだだろ。」
いつも通り、屋上から景色を見ていると、僕に向かって乱暴に言葉が放たれた。振り向くと、そこには無愛想な顔が見えた。僕は彼を知っている。
「やぁ、委員長。今日も正義の鉄拳を振り回してるの?」
彼は僕のクラスの学級委員長だ。言葉遣いは荒いが、正義感が強い。どうせ、鍵を勝手に持ち出した事を説教されるんだろうなー。僕は少し嫌気が差した。
「危ねぇだろうが。」
しかし、彼が放った言葉は、僕の想像の斜め上をいった。
「相変わらず、委員長は面白いね。」
「は?どういう意味だよ。」
彼は少し呆れながら、溜め息をついた。
「普通は鍵を返せって、言うんじゃないの?」
「んな事言わねぇよ。ここはお前のお気に入りだろ。」
「優しいね。」
「だがな。危ねぇようなら、ぶん殴るからな。」
彼は拳の骨を軽く鳴らした。よくこんな凶暴な人が、学級委員長やってるよな一。
「もう、暗くなるから帰れよ。」
彼はそう言って、屋上から姿を消した。
「おい、何してんだよ!死ぬぞ!」
「うん。知ってるよ。死のうとしてるんだから。」
「なんで、んな事。」
「死にたいからに決まってんじゃん。」
「なんでだよ。お前は、何がしたいんだよ。」
「何もしたくない。只、生きていたくはないんだ。」
「ふざけんな!」
「ふざけてない。でもまぁ、委員長には分からないよ。」
「あぁ、分かんねぇよ。でも、生きてくれよ!」
「そんな無責任な事、簡単に言うな!」
「言うに決まってる。俺は、お前に生きて欲しいから。」
「僕は只、命が燃え尽きる時まで、生に抗いたい。」
「なら俺は、お前が生を受け入れるまで、死を拒む。」
「なんで、そこまでするの?」
「俺は、お前の友達だから。」
あの日、僕は死ぬ事は出来なかった。でも、彼に一回止められたからって自殺を辞めるぐらいだ。きっと僕は何回やっても死ねなかった。それでも、生きていたくない。この気持ちは変わらない。僕は命が燃え尽きるまで、生に抗う。それだけが、僕を形作ってるから。
「いかないで!」
そう叫んでいたんだ。只、君を想っていたんだ。
「もう嫌だ。」
彼女が呟いた。手元には画面のついたスマホ。そこには、彼女宛の悪意が映っていた。
「なんで私が、こんな事言われないといけないの?」
彼女は泣いていた。そんな彼女を見ているだけの僕。大丈夫を聞く事も言う事もできなかった。只、彼女が病んでいくのを見ていた。そして、そのまま二日が経った。
彼女は、飛び降りて死んだ。夜明けの頃だった。
彼女は自殺する前に、SNSにある投稿をしていた。
【私は小説家だ。生きた文字を書くのが仕事だ。それなのに私の文字は君達に殺されてしまった。私は死んだ文字に縋るくらいなら、死を選ぶ。】
この投稿は瞬く間に、世間に広まった。なんせ彼女は有名だったから。本も面白ければ、トークもうまい。そんな彼女は皆から愛されていた。それなのに、彼女をよくと思わない人達は彼女を否定した。そのせいで彼女はこの世を諦めた。
彼女が死んでから数ヶ月が経った。世間では彼女の死は過去のものとなった。それでも僕は、まだ彼女を想う。これは愛ではなく、執着だ。彼女を助けなかったくせに、都合の良い話だ。
彼女が死んでから一年が経った。この頃、僕は眠れない。だからいつも、夜明けを待つ。彼女の居た痕跡を探して。
「今日は、屋上に行こうかな。」
このマンションの屋上は、彼女のお気に入りはスポットだ。そして彼女が死んだ場所でもある。
「懐かしいな。」
『本当にね。』
誰も返す事がないはずの言葉に、返しが来た。そして振り向くと、彼女が立っていた。彼女は、笑った。僕が出会った頃と変わらぬ笑みで。
『久しぶりだね。元気してたかい?』
僕は震える体で、必死に涙を堪えた。
『私はね。君が居なくて、寂しかったよ。』
これだけが後悔だ、と笑いながら言う彼女。僕は堪えきれず、涙が溢れた。
「ごめん。助けられなくて、ごめん。」
『良いよ。許してあげる。』
彼女は泣いている僕を見て、微笑むように笑った。そこには悲しみが見えた気がした。
『もうすぐ夜明けだ。』
彼女がそう切り出した時、世界は少し明るくなった。
『もういかなくては。またね。』
「待って!いかないで!」
彼女の目には涙が膜を貼っていた。そして僕が手を伸ばした刹那、彼女は塵のように風に飛ばされていった。その光景は、この世の何よりも美しかった。
僕は彼女の居ない世界に取り残された。暗闇の無音が住み着く世界に、僕は生き続けれるのかな?
「君は知らないもんね。」
そう言った彼女の表情は、酷く悲しそうに見えた。
「君と居ると、自分が馬鹿みたいに思える。」
俺は今、二ヶ月付き合った彼女に振られた。俺は、心の中で深い溜め息をついた。またこれだ。皆そう言って、俺から離れる。自分が馬鹿に見えるって、何なんだよ。
「また振られてたんだね。これで何回目?」
幼馴染の彼女は、可笑しそうに言った。
「うるせぇ。」
「おー。怖い怖い。」
こいつ、自分が彼氏と順調だからって。こいつが振られたら、大笑いしてやる。
「私、これからデートだから。またね〜。」
彼女は、笑顔で手を振ってきた。そして早足で、去っていった。俺は、嫌気が差した。明日は、惚気話を聞かされるんだろうなー。
あれから一週間。彼女は、学校に来ていない。
流石に心配になってきた俺は、彼女の家に訪れる事にした。幼馴染なだけあって家は隣同士。顔パスで家の中に入れた。そして、流れるように彼女の部屋に案内された。
「何で来たの?帰ってよ。」
彼女は不機嫌そうに言った。
「帰らねぇよ。理由聞くまでは。」
俺が言葉を返すと、彼女はより不機嫌になった。
「君には関係ないじゃん。」
「関係ないよ。でも、幼馴染じゃん。友達じゃん。」
彼女は暫く黙った。そして徐ろに口を開いた。
「彼氏に振られたんだよ。他に好きな子ができたって。」
はっ?それだけ?思わず言ってしまいそうになった。
「それだけって思ったでしょ。」
幼馴染、恐るべし。
「私は、君を振った子の理由が分かるよ。」
彼女は笑った。その笑みは、同情心を含んでいた。
「自分は本気の恋をしてるのに、君は本気にしてはくれない。そんなの、哀れで馬鹿みたいに思うもの。」
彼女の言葉に偽りはなかった。確かに俺は、恋をした事がない。付き合ってた子達にも、友達の延長としか思っていなかった。
「でも、しょうがないよね。君は知らないもんね。」
「何を?」
「恋をする事が、どれだけ必要か。どれだけ人を変えるのか。知らないもんね。」
彼女は悲しそうに、俺に言った。俺は何も言えなかった。
あれから一ヶ月して、彼女は学校に来るようになった。俺はこの一ヶ月、彼女の言葉を忘れた事はない。そして何も思いつかなかった。恋を知らないと言われても、恋なんて与えられるわけでもないんだ。どうやって知るんだよ。
「恋って何なんだろう。」
「ポエマーかよ。恋なんて見つけるものだよ。」
彼女は淡々と言った。こっちの気も知らないで。彼女は俺の気持ちを察したのか、悪戯っぽく笑った。
「まぁ、君には無理かもね。」
その時、咄嗟に言葉が出た。俺らしくない言葉が。
「じゃあ、君に恋をしていいですか?」
「本気なら、良いよ。」
「嫌な事を言われたら、これを耳に当てて。」
彼女は貝殻を二つ、僕にくれた。そこからは波音が響く。
「何で生きてるの?」
母は僕を睨みつけ、言う。僕は貝殻を耳に当てた。嫌な事、聞きたくない事を言われた時、僕は貝殻を耳に当てた。そうすると、僕の耳に届くのは波音だけになる。これを教えてくれたのは、幼馴染の女の子だった。
彼女は病弱で、いつも家の中に居た。そして向かいにある僕の家を、じっと見ていた。時々、僕は彼女を見舞いに行った。その度に彼女は、笑って出迎えてくれた。
「これを君にあげる。」
そう言って、彼女は僕の手に貝殻を二つ乗せた。
「耳に当ててごらん。聞こえてくるでしょ?波音が。」
僕が彼女に言われた通り、貝殻を耳に当てると、波音が耳に響いた。僕が驚いている様子を、彼女は微笑みながら見ていた。
「こうすれば、嫌な事は聞こえないよ。」
彼女は僕の家庭の事情を知っている。だからいつも、僕の家を心配そうに見ていたのだ。
「私はね。もうすぐ死ぬ。地平線の向こうに行くんだ。」
彼女は明るく言った。本当は泣きたいはずなのに、彼女は涙を一つも見せなかった。
「私は、君が心配だよ。」
彼女はいつもそんな事を言っていた。
彼女が死んでから、何年も経っているのに、僕はまだ彼女との思い出に縋っている。僕は今も、あの頃と変わらぬままだ。それは僕の周りも同じだ。暴力と暴言の家は、今も健全だ。変わってしまったのは、彼女だけだったんだ。
夜の海。そこには、終わりのない地平線だけがあった。僕は、ゆっくりとそれへと進んだ。
「地平線の向こうに行ったら、会えるかな?」
そんな事を思いながら、僕は濡れる服を気にも止めずに進む。次第に、僕の体は海に満たされる。耳には、波音が聞こえた。まるで僕は、貝殻の中に入ってしまったみたいだった。
「ごめんね。」
彼はそう言って、泣いていた。私こそごめんね。
「私は永遠に恋をしていたの。」
父が事故死した後に、変わり果てた母。毎日のように男の家へ出掛けていた。私はそんな母が嫌いで、高校卒業後はすぐに家を出た。母は私の事は気にもせずに、甘ったるい香水を身に纏い、男の元へと出掛けた。
あれから七年経った。未だに母とは会っていない。きっと今も恋多き人生を送っているのだろう。私も今は彼氏も出来て、充実した日々を過ごしている。
「まぁそんな事をないんだけど。」
好きな人は居る。しかし、私の片思いだ。それに叶わない恋なのだ。私が好きな彼には、好きな人がいるから。
「なんで俺が好きなの?」
彼は不思議そうに聞いてくる。私は決まってこう言う。
「貴方が大切だから。」
って。その度に彼は、泣きながら言う。
「ごめんね。俺にも大切な人がいるんだ。」
知ってるよ。貴方がどれ程その子の事が好きなのか。知っているのに、君を好きなのはやめられないんだ。ずるい私でごめんね。いつも貴方を泣かせてごめんね。
彼の香水の香りが好きだった。あれだけ嫌っていた母と似た香り。でも、なんだか落ち着いた。きっと私は、母に愛されたかったんだ。でもそれは叶わないから。他の誰かに愛される事を望んだ。愛されるなら誰でも良かった。でも、彼が優しくしてくれたから。彼に愛されたいって思ったんだ。
「こんな恋、したくなかったよ。」
不意に出た言葉は消えることはなく、涙を連れてきた。本当に惨めだよ。死者に負けるなんて。
「生きている間だけは、私を見てほしいよ。」
彼からは、甘い香りがした。それと同時に、線香の香りが纏わりついていた。