「阿吽のビーツ」
終わりの音は始まりの音に移り変わる。
貴女の心臓は赤子の心臓となり消えてしまう。
「ずっとこれからだったのに。」
こう思っていたのは僕だけではなくて貴女もだった。
なのに貴女はどうして僕を一人にするのですか。
夜の空には花火が上がる。
少し湿った空気のなかで乾いた笑いが口から零れでる。たった一人の娘を腕に抱いて。
娘は空の花火を掴むように手を伸ばす。
娘の口から心底楽しそうな笑い声が零れる。
二人の笑い声と花火の音たった一人が歩く下駄の音。
ここには貴女の足音はなかった。
みんなどこかへ行ってしまった。
大切な貴女の笑い声。話し声。将来の事。
夢も希望も全てどこか遠くへ行ってしまった。
貴女はきっと死んでしまった。
仕方がないことだった。妻子揃って生きることは難しいと医者にも言われていた。
それなのに貴女は娘を生かすことを決めた。
代わりに貴女が死ぬと分かっていたのに。
貴女はもう死んだのだ。
でもきっと生きていると信じていたいから貴女の死を嘆くことはもうやめた。
貴女を奪った娘を恨む夫としての心。
娘を愛そうと試みる父親としての心。
どうにか愛を持って二つの心を分かち合っていた。
これが貴女の望んだ未来ならば僕はそれを守って生きていこう。
夜は深まり娘は眠りにつく。
ほんの昔貴女は言った。
「私が死んでもこの子を愛してくださいね。」
大きく膨らんだ腹を愛らしそうに撫でる貴女。
僕はなにも言うことができなかった。
「ふふっ。貴方はきっとこの子に曖昧な答えしか返せないのでしょうね。この子が何気ない問いかけをして貴方が曖昧な返事をする。そしたらこの子が腹を立てて拗ねる。そして貴方が申し訳なさそうにこの子に謝る。そんな日常がきっと続くんでしょうね。」
目をそっと伏せて呟く貴方は自分のいない未来を語る。嫌だ。それだけは確かに心にある。それでも
彼女が娘を生かすことを決めた。この決意を僕が邪魔してもいいものか。僕は分からなかったんだ。
「そんな日常でも大丈夫。きっと2人が笑える。そんな日常が続きます。例えこの子が洗濯に失敗しても皿を割っても、どんまい大丈夫。だとか声をかけてくださいね。それに私が死んでも貴女たちはきっと大丈夫。」僕は静かに泣くことしかできなかった。
「そうだ。私が言えない分この子に愛してると伝えてくださいね。お母さんはあなたを心から愛していたよってね。貴方から言ってくださいね。」おちゃらけて笑う貴女は僕が愛した貴女だった。
もしも僕が娘を愛し愛を与え、守り抜けたのなら
ならば僕に。僕の言葉にも少しお返事くださいね。
反
貴女のいない世界が真っ暗だ。
貴女が言った。
「貴方を愛しています。だからこの子を愛してくださいね。」
これは果たして誰のためのことばなのか。
この答えを僕は考えてはいけない。
考えたって曖昧で僕を一人にした貴女をだんだん恨んでしまう。
涙がすっかり乾いた頃には娘に対する愛情がどこかに行ってしまった気がしたんだ。
僕は優柔不断で馬鹿だろう。
貴女を止めなかったことに後悔を繰り返し、眠った娘を睨む。殺してしまおうかなんて考える。
でもそんなのは悪い夢だって自分に言い聞かせる夜の果て。
そんな日常が続く毎日でも。
この子に対して愛を与え、与え。愛を養う。
それで、この子と笑う。そうしていたら許されると思ったんだ。優柔不断な僕を直して、生きていけば。
『まだここにいられる気がしたんだ。』
貴女が空で言っている気がする。
貴方に預けた命を守り優しくしてね。
私だって本当は貴方のもとに帰りたいのよ。
それでも貴方は私を愛してはだめよ。
僕ら。僕らはまだこれからだったのに。
どんまい なんて言えないんだ。
きっと僕らには素晴らしい結末が待っていたんだ。
それでもこれは貴女が望んだ僕と娘の素晴らしい結末なんだろう?
だから愛を与え与えられて。お互いに言葉を探すことなく心からの言葉で会話する。そんな日常を。
(ずっとこれからだったのに。)
それでも。それでも。
貴女にいて欲しかった。
なんて言ったら君は呆れて言うんだろう。
「私はこの子を心から愛しているのです。」
ならば僕は貴女を愛していた。
それにこんな僕からの愛しか貰えないこの子も可哀想じゃないか。って言い返したらきっと彼女はこう返すだろう。
「だから言ってるじゃありませんか。
私の分までこの子に愛を伝えてくださいって。
お母さんはあなたを愛していた。と伝えてくださいって。」貴女は一息で言いきり胸を張るだろう。
想像すると笑えてくる。同時に涙が零れてくる。
本当に僕は『それでも貴方から言って欲しかった。』
それを聞いても貴女は笑いながらも真剣な顔で言うのだろうな。
『貴方から言ってくださいね。』と。
「始まる鼓動。」
歌曲~阿吽のビーツ~
「おいで。」
小さい頃から大好きな人がいた。
町から少し外れた小さな家で、ひっそりとたった一人で住んでいた。
小さな家の住人は、私が幼い頃はまだ高校三年生ぐらいでまだまだ幼さの残る顔立ちだった。
木材を主に使われ作られた家は暖かく、秘密のお家のようでとても大好きだった。
何よりもその家のなかで暖炉に火を灯し、暖かい笑顔で私に「おいで。」と呼び掛ける彼が大好きだった。
当時の私はまだまだ社会を歩いていなくて、中学校に入学したぐらい。
中学校といっても小さな町の中学校だからか、生徒はみんな見知った顔。
それでも中学生といったら、人を信じることができずに不安定になる頃だ。
家族も友達もそばにいるのが時折苦しくなる。
そんなときに私はよくあのお家に行っていた。
「お邪魔しまーす。」
私が幼さの残る声で家に声をかける。
そのお家は平屋である程度の声で家全体に声が響く。
「はーい」
ベランダで煙草を吸っていた彼は直ぐに煙草を消し、
部屋にはいってくる。
部屋に戻るとお菓子と紅茶を持って暖炉の前に座る。
そして私に一言言う。
「おいで。」
その一言を聞いた私は嬉しくなって彼の胸のなかに飛び込む。
それが私の日常だった。
3年程たって私が高校へと進学した。
彼のあの家は彼の存在ごとどこかへ行ってしまった。
今もどこかで暮らしていればいいけど。
彼がいなくなったあの日から私は思うことがある。
私の存在が彼の負担になっていたのかと。
高校三年生と言ったらまだ未成年で煙草なんて吸ってはいけない。それでも彼は吸っていた。
彼には思い詰めていたことがあったのかもしれない。
「おいで。」
の一言は彼にとって退屈な時間の始まりで、早く私に帰ってほしいと思っていたかもしれない。
それでも彼はなにも言わず私につきあってくれた。
あぁ。彼はとても優しい人だったんだ。
雪が降り、凍える朝にふとあのお家の方向をみてしまう。暖かいあの家は暖かい彼はもういないのだと実感する。
私はいまだにあの「おいで。」以上に暖かい言葉を聞いたことがない。
「たばこ。」
白い吐息に紛れた煙草の香り。
臭い。そう思っていた過去もあった。
でも今では苦じゃない。
これが大人になるってことかぁ。ってたった一人になった今、煙草を吸う。
昔は楽しかった。
この一言はいろんな人がいろんな所で言う。
私だってそうだ。昔は楽しくて仕方がなかった。
毎日が輝いていて自分が大好きで仕方がなかった。
私はいわゆるギャルで、いじめられるよりは、
いじめる側だった。
未成年に関わらず、煙草を吸うような同級生に囲まれて、引きこもりがちな同級生のありもしない悪い噂を広めて、それを楽しむ。
最低な私だった。
それでもそんな私にだって気になる人がいた。
「なに考えてんの?バーカ」
笑いながら話しかけた。
「煙草の次はお酒ですか」
ふざけて言った。
「なに?」
彼が言った。
無愛想な。それでもどこか楽しそう。
「煙草って美味しいの?」
私はさらに問いかける。
「別に。」
たった一言でも、私は嬉しかった。
「私は煙草きらーい。」
彼は興味なさげに言う。
「へぇー。」
たったそれだけ。意味のない会話でも私は楽しかった。
彼は正直言うと、問題児でいつも先生に怒られてそれでも反省せずにまた怒られる。そんなヤツだった。
それは高校を卒業しても変わらなかった。
卒業してもたまにヤツと会う機会があった。
その度に顔に傷を増やして煙草の匂いが染み付いた服を着て。これぞ不良。みたいな感じだった。
またヤツとあった。
私もさすがに真面目に働いて、派手だった髪色を黒に戻して、服もシンプルな白色。
昔の面影なんてない。
でもヤツはなにも変わっていなかった。
髪は金色。ピアスはバチバチ。
こいつはいまだに不良してんのか、と思った。
その頃にはヤツへの恋心なんて冷えきってただの
ダチだった。
いつも話すのは橋の上で、いつも私に煙草を差し出してくる。私は吸わないから、と言って断るけど。
ヤツの吸っている煙草は何年も変わっていない。
少し甘い匂いのする煙草だった。
ヤツが死んだ。
交通事故であっけなく死んだ。
即死だったって。
誰が予想したんだろう。
ヤツの葬式には意外にもたくさんの人が集まっていた。ヤツは愛されていたんだな。
涙は出なかった。ただ心のなにかがかけた気がした。
あれから何年もたった今。
私は真面目に働いて、バリバリの社会人になった。
それでも毎日、夜になったらベランダにでて煙草を吸う。ヤツがいつも吸っていた煙草。
甘い匂いのする煙草。
今日も煙草と酒を片手にベランダにでる。
「さむっ」
思っていたよりも外は寒い。
夜の気温をなめたらいけないな。
「星綺麗。」
ヤツと会わなくなってから一人の時間が増えて、独り言が増えた。これもヤツのせい。
「この時間が一番の幸福。」
煙草に火をつけて口元に運ぶ。
「煙草の次は酒ですか。」
そういって手にもった酒を喉に流し込む。
「はぁー」
幸せすぎる。
こんなことにしか幸せを見いだせなくなったのはヤツのせい。
「ふふ。」
ちょうど酔いが回ってきて楽しくなってきた。
「ガチで部長腹立つわぁ。」
と、思ったらなんだか腹が立ってきた。
酔っぱらうとなんだか昔に戻った気分になる。
「何で、ヤツは死んだんだよぉ」
なんか、悲しくなってきた。
「ほんとに、ヤツなんて嫌いだ。」
なんだか、目頭が熱くなった。
「やべっ。仕事ちょっと終わってないんだった。」
酔っている状態で仕事をやるのは悪いこと。でも
まぁ。いいか。たまには息抜きも必要だしな。
「さぁて。部長のためにちょっくら働きますか。」
煙草を消して部屋に戻る。
明日も私は社会人をまっとうするよ。
ヤツなんて忘れて、結婚して子供を産んで、幸せになってやる。
いまは出会いがないだけだ。
私の服に甘い煙草の香りが染み込んでいる。
ヤツと同じ匂いだ。
「たばこ。」
「奏」
死の縁におかされた者が最後に思い浮かべるものは一体何なのだろうか。
今は昔。人々に希望を与えた者がいた。
彼女は奏。彼女の歌は人々の心を救い、暖かい。
彼女は救世主だった。
戦いの絶えない国で生まれ育った彼女は戦いの絶えない国で歌を歌った。
人々に光を与えて回った。
彼女は奏。美しい黒髪をなびかせた美しい女性。
彼女に恋をした者も少なくなかった。
彼もその一人だった。
彼は紅。彼は歌姫を守る護衛だった。
誰よりも彼女のそばにいながら、誰よりも彼女に恋い焦がれていた。
ある朝、彼女は言った。
「戦いは絶えないものだ。終わらないものだ。
人は一体何のために戦うのだろうか。」
その言葉は希望に溢れていて、この先を切り開くものだとこれを聞いた彼は思った。
けれど彼は分かっていなかった。
この言葉がどれだけ人間に失望し、絶望した言葉なのかを。
今日も彼女は歌を歌った。
人を救うためと、ただひたすらに。
その目からだんだん光が失われていくのを目の当たりにした彼はなにも言えなかった。
今日も彼女は歌を歌った。
人を救うためと自分に言い聞かせながら。
その目には光などはじめからなかったようだ。
今日彼女は歌を歌った。
いつもと違った絶望の歌を。
彼女のきれいな歌声が掠れた炭のように消えていく。
戦いは終わらぬと天高らかに歌い放つ。
その日彼女は襲撃にあった。
いつものように歌っていたときだった。
弓が彼女の肩を掠めた。
血がにじむ。戦いとは終わらぬものだと、体を使って表しているようだ。
彼女は歌った。
馬に跨がり逃げる最中も。
生命を捨てたような。それでも存在感のある歌声。
彼は馬から降りた。
彼女を馬にのせ、馬を走らせた。
彼は敵を滅ぼすつもりだ。
戦いを続ける者だ。
彼は言った「貴女の歌が私の救いだった。」と。
誰にも聴こえぬ声で。
彼女は泣いた。
馬に乗りながら。
馬の止めかたなど分からない。
馬はただ走り続けた。
彼が乗り移ったように、彼女を遠くへ遠くへ逃がすように。
気がつくとそこはのどかな森だった。
馬は疲れたように木のそばで腰を下ろした。
彼女は近くの岩の上で静かに座った。
彼女は分かっていた。
彼はもういないのだと。
ありがとうも、さようならも、ごめんねも
なにも言えなかった。
苦しい。寂しい。このまま声帯を切り裂いて歌えぬ体になってそのまま命を絶ちたい。
彼女は分かっていた。
自分が本当は彼を好いていたと。
彼女は分かっていた。
きっといつか戦いは終わるものだと。
彼女は分かっていた。
歌はなければと。
弔いの歌でも、希望の歌でもない。
ただの私の歌。
私の救いだった彼に私の無事を知らせる歌。
彼女は歌った。
その歌声に森が共鳴するように。
葉が微かに歌う。
美しい声だった。
今この瞬間は戦いなどなく、平和だった。
生きていることを嘆き悲しみ。
生を喜び唇を噛む。
唇から滲む血も。
瞳から流れる涙も。
これはきっと生きている私の無事を知らせる命の叫びだ。
あぁ。私は今とんでもなく幸せなのかもしれない。
張ったつもりもない糸が。
掘った記憶のない溝が。
作った覚えのない壁が。
たった一言を妨げる。
目に見えない、けれどこれらは誰にでもあって
これらを切ったり埋めたり壊したりすることは他人にはきっと許されない。
それがどれだけ自分を好いてくれている人でも。
ならばどうすればいいのか。
そんなのはきっと分からない。
自分への愛を、救いを述べる言葉も、何もかも心には届かない。
だって境界線があるから。
自分の言葉が遠くへ飛んでいかないかもしれない。
私は誰かに何か言いたかった。
それだけは覚えている。
けれどその言葉は壁を超えることができなかった。
誰もいない壁の奥にただでさえ僅かな声を届けることはきっと叶わない。
あぁ。貴方になんと言いたかったのだろうか。
その言葉は確か、暖かいものだった。
「心の境界線」
何を言っているのか時折分からなくなる。
それはどんな人間でもそうで、消えたい人間が消えることはこの現代社会で許されない。
言葉とは時に残酷で心に真っ直ぐ刺さってくる。
辛くて消えたくて仕方がない。
そんな明日がやってくる。
それでもなぜか今日を生きている。
生きている理由を一から百まで説明することはできない。
消えたくて仕方がないとき。
そんなときは明日と今日の境界線。
部屋の隅っこでスマホをいじりながら自分なんて…と恨み言を吐いて、ギャグマンガを読む。
少しでも笑えるのなら、今はまだ大丈夫なのだと
勝手ながらそう思う。
「明日と今日の境界線。」