やたら風の強い日が増えた気がする
しかも、昔よりその威力が増した気がするのは
気のせいだろうか
“ヘアセット”なんて言葉がむなしいくらい
無惨に形を崩して、あらゆるものを吹き飛ばそうとしている。
なにか怒ってます?と問いたくなるほど。
キミの威力を肌で感じたのは確か小学生のとき。
グラウンドの真ん中で、一瞬にして巻き上がる砂埃の嵐に、慌てて目を瞑ってた。
ここまで書いてると、キミに対してなんだかあまりいい印象がないようにみえるけど 実はそんなこともない。
ふわっとやさしく頬をなでられたら気分が上がるし、
キミの手にかかれば、命を吹き込んだようにモノが自己主張をはじめる。
キミの後押しを背中に受けて、一等賞のゴールテープをきったこともあった。
あらがえば行く手を阻まれてしまうけど、
キミの力を味方につけられたら、きっと。
見えない風を感じたときは、
怖がらずに身を任せてみたい。
どこまでいけるかな。
27:風に乗って
この世での学びがあるとか
はたまた、前世からの因果とか
生きることへの問いはいつの世もつきまとう。
なんでこんな思いをしなくてはならないのって
生きる辛さを感じる時に、
生きる意味にまで思考を巡らす余裕はないの。
たとえ意味が分かったところで、
この辛さが軽くなるわけでも無くなるわけでも
ないでしょうに。
だから、あえて意味を考えることはしないけども
なんとなく ここまで生きてきて 思うには
これが “生かされてる” ってことかもしれない
人生の終わりに何を思うかは分からないけど
今はそんなことを感じてる
25:生きる意味
善悪の基準って何だろう?
他人の行いには厳しいのに
自分は許されると思うこと
自分に直接関係のないことであれば無関心
自分が当事者となった途端に大騒ぎ
じつにブレやすい善悪である。
世の道理を自分の物差しだけではかることはできないけど
せめて、自分の中の善悪は一定でありたいなと思う
綺麗事かもしれないけどね。
24:善悪
たとえ“間違い”だったとしても
あの時はそれが“正しい”と思って決断したんだ。
ううん、もしかしたら
“間違い”だとうっすら頭をかすめながら
あえて突き進んでしまったのかもしれない。
今になってみても 正直分からない。
後悔はないと言ったら嘘にはなるかも、、
でも
たとえば時間を巻き戻せるとして
あの時をもう一度やり直すことができたとしたら?
それでも、結局はおなじ道を歩んでいたりして。
自分が下した選択が、常に“最善”でありますように
20:たとえ間違いだったとしても
「他には何もいらないよ」
決して嘘ではない
本当にそう思ったんだよ、その時は
でも人って欲張りなものでさ
それだけじゃ足りなくなって
挙げ句、ないものねだりまで、、、
まったく我ながら嫌になるねぇ
でもさ、改めて考えてみたら
“ 何もいらない ”は自分のまわりに “ いるもの ”
や“ 欲しいもの ”が溢れているからこそ出てきた
言葉なのかもしれない
もとから何もなかったら、“何もいらない”とは
ならないわけで。
“何もいらない”って、実は至極贅沢なことなんじゃって
今は思ってる。
だからもう、軽々しくは使いません。
18:何もいらない