木枯らし

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2/7/2026, 5:33:02 AM

時計の針はいつも一定に、美しく残酷でありました。

「時計の針」

暗い部屋で一人、私は。
なぜそうなったのかも理解できず、床に伏していたのです。
常に酸素が足りなくて、胸の辺りがズキズキ痛む。
励ましてくれる人はおらず、唯一愛した恋人は戦へ出向いておりました。

いつまでも、一人ぼっち。それが私でありました。

それから、哀しくも何年待とうと、彼は帰ってきませんでした。
私の病も深刻化して、とうとう声すら出せなくなった。
日の光の無い暗い部屋では、時計の針だけが鳴っています。

【誰か助けてくれますか。】

不安で苦しくて、叫び出しそうなほど辛いのです。

頭が朦朧として何も、なにもわからないのです。

何もおもいだせません。
きりのように消えるのです。

彼をわすれてしまうのが私はとてもこわいのです。

あのやさしく低い声を。へいたんで頼りのない顔を。おおきくて男らしい手を。
わすれたくはないのです。

けれど。
けれども、とけいの秒針はいっていに時を刻んでいます。
わたしの命をかくじつに、とけいがさらって行くのです。

…むねがとても痛いのです。
病のいたみではない、別のなにかが、わたしの心をしめつけます。

それは、そう。だれのことでしょう…? 

一つ、私が贈った時計を持って、戦へ出向いた誰かも同じ気持ちなのでしょうか。

【おねがい。たすけてくださいな。】

命がきえてしまいます。
きおくのなかにいる、だれかの命が。
なにもわからないのです。

けれどわたしはそれが、どうしようもなく怖いのです。



これは、
誰かの人生である。
日記の一節である。
秒針の一つの波である。

文法も辿々しく、彼女の病気も、見ていた景色も何もわからない。

けれど、いつまでも「彼」だけを想うこの文章を見るたびに。
私の胸は熱くなり、頭には小さな時計の針がチクタクと鳴り響いているのです。

1/20/2026, 2:39:04 PM

「海の底」

 夜の海へ出かけると、人魚に魅入られて海底へ連れ去られてしまうらしい。

 「だから夜に出かけてはいけないよ」

 父や母は子守唄のようにそんな言い伝えをよく話してきた。
 上半身は人の姿で、下半身が魚の尾。嵐の前に現れ、美しい歌声で人を魅了し、船を沈ませる。厄災の象徴。

 しかし、そんなものはただの言い伝えに過ぎない。
 なぜなら僕は知ってるからだ。

 8月の夜、海沿いに面してる窓からその姿を見た。

 人が、女性なのか男性なのかわからないほど、辺りは暗くて。それでも、海の水面にキラキラと反射する尾が美しく。ここらでは見慣れない青い瞳が、暗闇でもわかるほど怪しく輝いていたことを、よく覚えていた。

 おいで、おいでと優しくあやす様な歌声に、気がついたら眠ってしまっていたけれど。

 あれが人魚だと云うのなら、厄災の象徴と云うのならば。それはなんて…



 言い伝えの船乗りは、人魚に魅入られ海の底へ落ちたらしい。
 美しい歌声に包まれながら。

 でも、きっと。
 海の底へ落ちるのは人魚に魅入られるからではない。
 人魚に魅了されるから落ちるのだ。

 あの人魚のいる海底へ連れ去られてしまったのは、僕自身ではなくて、僕のちっぽけな恋心だった。

 戻れなくなるとわかっていても、僕は。
 あの美しい歌声に、包まれて死ぬのを望んでしまうんだ。