ぬえ

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7/22/2024, 8:20:46 AM

「欲しいものが無い」ということで、常に満ち足りているという自分を他人に向けて演出したり、「時間が欲しい」などと言って忙しいアピールをしていたりと、私が欲しかったものはそんなものではないことに今改めて考えてみるとそう気付いた。

他者からの賞賛。

言葉にしてみれば、こんなものだったのだろう。

そんな形のない欲しいものを求めている間に、自分が具体的に何を欲しているのか分からなくなってしまったような気もする。

そもそも、Z世代の特徴として形のある物を欲しがらないという特徴があるらしく、私も漏れなくそうであるという可能性もあるが。

まあ、お題に答えるのなら、今の私に欲しいものはない。

これまでの見せかけの願望ではなく、私はもう欲しいものが手に入っているからそう言っているだけだ。

それに、常に足りない、満ち足りないと思うよりは満ち足りていると思ったほうが……いや、これは正当化だろうか。

ふと思ったのだが、欲しいものというのはこれまであったものが無くなって初めて欲しいと思うのではないだろうか。

手に入れたことで明確な何かが得られる確信がなければ欲しいとは思わない。少なくとも私はそうだ、




7/17/2024, 12:18:56 AM

空を見上げて思い浮かんだこと……

普段、空を眺めて思索に耽っている人などいないだろう。

お題として出されて初めて考える者が多そうだ。

私もそうなのだが、世に遍在する物に接すると私は大抵過去のことを思い出す。

大空の下で彼女と戯れ合ったこと……

7/15/2024, 4:59:00 PM

終わりが来るということは何かが始まることの裏返しでもある。

唯一始まりのない終わりがあるとすれば……それは死だろうか。

死であるにしろ、視点を変えれば始まりでもある。

彼とはもう二度とは会えない、彼のいない人生を歩んでいくということ。

死がなぜ辛いのか、まともに考えなくても分かるだろう。

会えないから辛い。

だが、もっと論理的に説明すると、彼と関わっていた時特有の「私」の性格が無くなることに対する悲しみがその死の悲しみの本質であるはずだ。

別れとは、実は他者との別れではなく多様にいる自己との別れなのである。

7/11/2024, 12:02:13 PM

誰かからの連絡があると、私はすぐに見てしまう。

必要とされている、と思うからだろうか。

返信が終わると同時に、すぐに虚無感に苛まれていたときもあった。

7/9/2024, 12:28:20 PM

他人の当たり前、となると、それは常識のことを問われているのだろうか、と感じる。

私の当たり前。他人と同じではないところか。

つくづく思うのだが、私は「他の人も同じだろう」と思うことで安心感を得ることもあれば、「これは私だけがしていることだ」とマイノリティに属することで優越に浸ったりしている。

「当たり前」とまで言える領域に達していないこと言える。読書だとか。

だが、当たり前とは、言い換えれば習慣だ。

「習慣にしたい」とか、そういう意識を持ってしまったら余計やる気がなくなる。なんのために読書習慣をつけたいのか忘れてしまいそうになる。

何度も考えているのだが、これは自己目的化と環境の問題なんだと思う。

読書そのものを楽しむ意識を持つ。後は環境。

環境のせいにしないようには、やはり環境をデザインするしかない、と今の私は思っている。

スマホを触ってしまうなら、スマホを封印していればよい。単純だ。自制心なんて関係ない。

まあ、休みの日位しかうまくいかないのだが。

やりたいことには二種類あると感じる。

一つ目は刹那的なやりたいこと。これは半ば無意識的なものだ。惰性ともいう。なんとなくツイッターを見てしまったり、スマホを触っていたり、気づいたらユーチューブを開いていたりと。スマホ依存なんじゃないかと思うくらい、私はスマホがあるとダメ人間になる。

二つ目は、少しハードルが高いが、その分リターンも大きい意識的な行為だ。読書であったり、買い物であったり、まず意識しなくてはできないような行為。

お題から話がそれたが、私が言いたいことは「当たり前(習慣)を作れたとしても、本来の目的を忘れてしまっては意味がないし、いやいややりながら習慣を樹立させることはまず無理だから、自己目的化と環境を意識して当たり前を作っていこう」ということだ。

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