消えた星図
星座というものは古代ギリシア人が暇で暇でしょうがなかったからギリシア神話と結びつけて星と星を繋ぎ合わせて遊んだのが始まりだと聞いたことがある。
昔の人の遊びが星と星を繋ぎ合わせること、ってロマンチックすぎる。
そう考えてみたら、今では知ることのない「消えた星図」というものがあったのかもしれない。
愛 − 恋 = ?
愛は持続的に続くもので、恋は一瞬にして燃え上がる情熱のようなものだと定義する。
愛から恋の成分を引いたら……残るのはプラトニックラブか?
「肉体的な関係を伴わない、精神的なつながりを重視した恋愛」
というのがプラトニックラブの定義。
果物の中だと三軍。
そんなイメージがある梨。
味もほぼ水。
水が甘くなってみずみずしくなっただけ。
そんな感じの果物。
梨って好きな人いるのかな?
リンゴがマリオだとしたら、梨はルイージだね。
なんというか、リンゴと梨じゃ格が違うよね。
禁断の果実、なんていう厨二病めいたかっちょいい二つ名持ってるりんごにかなう訳が無い。
別に梨アンチという訳じゃない。
ごめんねふなっしー
〜〜〜
テーマ 梨
幸せとは。
こういう問いは哲学的でいいね。
蓋し、幸せとは幸せを求めていない時が幸せなのではないか。
アランの『幸福論』の受け売りに過ぎないが、実際どういう時に「幸せとは」ということを考えるのか、考えてみて欲しい。
それは、自身が幸せを感じていない時ではないか?
その他の「生きる意味」や「自分のやりたいことは何だ」といった問いも同様の性質を持つ。
そういうことを考えてしまうのは、精神状態のせいである、とアランは言っている。
故に、考え過ぎるな、ということだな。
考えて結論が出たとして、明日には変わっているのがオチ。
フランクルの書いた『夜の霧』でも似たような事が書いてある。
まあ、「実存主義」と一言で言ってしまった方が早い。
生きる理由を与えられる前に、我々は存在してしまっている。
故に、「生きる意味」という問いを出すこと自体無意味である、と。
うん……ここ最近はずっとこの考えだな……。
1年間振り返る。
思い出したくないことの方が多いから、俺は振り返らないぞ。
記憶の中にあるにせよ、気分が悪くなることはするものじゃない。
環境に人格は宿るならば、過去を思い出すだけで悪影響だろう。
その時の自分が戻ってきたらやり直しになってしまう。
今まで述べたことに関わらず、振り返ること自体そこまで意味のある行為と思えない。
一日を振り返るのであればまだ分かる。明日も一日を過ごすのだから、少しでも生活を良くしようという意識も働くというもの。
だが、1週間、1カ月、ましてや1年など振り返っても仕方ない。
そこまで想像は及ばないし、長い期間での計画というのは破綻しがちだ。
振り返る意味を言う前に書いてしまったな……。
振り返る意味。
振り返るのは少なくとも過去の栄光に陶酔するためではないだろう。
未来の為に振り返る。
人生というのは単調な日々の繰り返しだ。
ならば、1日を振り返れば1年を振り返ったのと同じだと言えるのではないか?
うん。そうだよ。だから、1年なんて振り返らなくていいんだよ。