父が天国に行った。
健診を2年サボったら肺がんになっていて、胸膜に広がっていた。そして5回手術を受けた。最後の手術で出血が止まらず、母に手を振って手術室に入ったきり逝ってしまったと聞いた。
わたしは父の支配から逃れるため遠い県に住んでいた。高速で片道数時間。看取ることは無理だった。
お通夜で蝋燭を灯し、冷たくなった父を見た。
湯灌も、死化粧も拒んだ父の遺体には、薄らと無精髭が生えていた。
蝋燭を囲み、身内で葬儀の相談をした。
父の望む曲で送りたいと母。しかしCDは山とあってすぐに探し出せない。交代で蝋燭の番をし、CDを探した。プラモが好きだった父の棺にはプラモの写真を入れることにした。
そして父の机に遺書を見つけた。開くとたった一言。
「俺のものに触るな」
嘘のような、本当のお話。
【灯火を囲んで】
昨日まで夏だったのに、秋を飛ばして、一気に冬が来てしまった。
寒い! 朝ベッドから跳ね起きる。布団が薄くてとても寝ていられない。僕は毛布を引っ張り出し、薄手のパジャマも洗濯カゴに放り込んで、冬パジャマをクロゼットから出す。服も、昨日の薄さでは風邪を引くだろう。冬用のコートも必要そうだ。
すっかり春秋服がしまい込まれたままになってしまった。ちょうど良い気温の季節が来ないか極端に短いのだから仕方ない。
タートルネックシャツにセーターを重ね、ダウンジャケットを着て、家を出る。バス停までの草道、靴の下でシャリッと霜柱が砕ける音がした。
【冬支度】
父は夕食時、お酒を飲んで、仕事のストレスを子供にぶつける人だった。
標的になったのは大抵兄。
毎日3時間は、暴力と暴言が兄を襲った。
すぐそばで見ているわたしは、自分が殴られるよりも怖かった。
兄が進学して家を出ると、標的は勿論わたしに移った。
わたしの時は恐怖に支配されたまま、止まった。
今は父は天国にいる。
天国から、今でもわたしに罵声を浴びせてくる。
止まったままの時は、なかなか動こうとしない。
【時を止めて】
どうして、こんなに金木犀の香りがもてはやされるのか、わからない。
今は、化粧品、ハンドクリーム、シャンプーなど、こぞって季節の香りとして、金木犀の香りのものが売られている。
喜んで買う人の気が知れない、とつい思ってしまう。
何故かって。
わたしの小さい頃、金木犀の香りは主に学校のトイレの芳香剤だったからだ。
だから香りを嗅ぐと、学校のトイレを連想する。
昔から、トイレに食べ物の香りをおくと、食べ物がトイレを連想させるから良くないと聞いていた。
だからか、今ではローズ系の香りが多いように感じる。
わたしにはローズは食べ物だ。ローズペタルジャムのロシアンティー、クローテッドクリームとスコーンとの組み合わせ、ローズティーだって良く頂く。
トイレには食用ローズとは少し違う、フローラルな香りが望ましく思える。
金木犀は、どうしても、今でもトイレの香りなのだ。
【キンモクセイ】
今はもう、更地にして、売り地にして、新興住宅地になってしまった、わたしの育った養母の家の庭に、小さな小さなお墓があった。
それは、黒猫のクロちゃんのお墓。
いつの間にか家に住み着いていて、人懐こくて、頭が良くて、まだ小さなわたしのお友達だった。
養母にも人付き合いを禁じられて、家に閉じ込められていたわたしの、数少ない遊び相手だった。
でも、寿命は来てしまった。
猫さんの寿命は短い。
行かないでと願っても、逝ってしまった。
寝床にしていた箱の中で、毛布にくるまれて。
最後にニャアと鳴いて。
今はどうしているんだろう。
新しい猫生を生きているのかな。
そうだったらいいな。
【行かないでと、願ったのに】