まだ十数年前、今よりずっと冬が寒かった頃。
今住んでいる土地はまだ雪国と言えて、粉雪が降っては積もって、日中融けて、そこに更に夜、粉雪が積もって、路面スケートリンクになった。
土地の人は小さい頃からその状況に慣れているので、防滑シューズなど無くても器用に転んだり滑ったりせずに歩いていた。
わたしは県外から転居したので、この路面一面に広がる凍てつく鏡の上をマトモに歩けなかった。
北海道で買った防滑シューズも役に立たない。
仕方なく登山用のアイゼンを使った。
温暖化で雪も余り積もらなくなった今では、思い出話。
【凍てつく鏡】
さっぽろ雪まつりを見にいった。
小樽で時期を同じくして氷のフェスがあると知り、そちらにも足をのばした。
初めてのアイスバー。カウンターだけでなく、壁、床、椅子まで氷である。当然寒すぎて座れない。ホットワインを頼むも、手の中でみるみる冷めていく。
通路にはキャンドルが灯されていて、光が雪に反射しとても幻想的で綺麗だった。
【雪明かりの夜】
わたしは結婚式をしていない。
見世物になるのも、余計な出費も嫌だったからだ。
でも配偶者の居住地へ行って、土地に拒まれていると感じたので、近場の由緒正しい神社で、結婚奉告祭をあげた。御神酒を捧げて、神官様に祝詞を読んでいただいた。太鼓は録音だった。だが儀式が終わると、ふっと体が軽くなって、土地神さまに受け入れていただけた気がした。
余談だがその七年後、まだ外見が若いうちに、写真を残しておこうと、改めて写真婚をした。こちらは出来れば写真ではなく、油彩の肖像画を誰かに頼みたかった。まあ画家さんの伝手も無かったので夢は夢で終わった。当時の写真データは、今でも大事にとってある。
【祈りを捧げて】
わたしは多分、親に抱っこされて育っていない。
だから畢竟、ぬくもりというと猫の話になる。
猫は人付き合いを禁じられたわたしの遊び相手だった。引越しの段ボールが積まれて迷路になった洋間を掃除していた時、猫がついてきて、迷路に迷い込んで、バックが出来なくて(お尻をふりふり下がらないとその子には無理で、その隙間が全くなかった)どんどん奥へ行ってしまい、悲しい声で出られないよう、と助けを求めてきた覚えもある。
猫らはコタツに電源を入れておいておくと当然のように中で丸まっていて、コタツがぬくまったかなと足を突っ込むと猫に当たるというのが日常だった。
赤外線は猫の目に良くないと、顔だけは出させた思い出である。
猫らとの思い出も遠くなった。皆天国に行ってしまった。いずれはわたしもいくからね。
【遠い日のぬくもり】
地震だ!
その時、わたしと養母(伯母)は夕食の卓を囲んでいた。伯母は大正生まれ、関東大震災も戦争も経験している。だから停電しても、サッとキャンドルを出してきた。流石に用意が良い。
マッチをすって、キャンドルに火をつける。あたりは揺れるキャンドルの明かりで、幻想的な空間になった。でも、やはり手元は暗い。お茶碗の中や、お味噌汁の具は確認できない。
手探りで食事を続けていると、割とすぐに電気が復旧した。伯母はキャンドルを吹いたりせず、真鍮製の、キャップみたいな洒落たものを取り出して、そっとかぶせて、火を消した。
【揺れるキャンドル】