長くてもあと30年ぐらいで死ぬことになる。
そして健康的な生活ができるのは、そのうち何年か。
そう考えると、お金を稼ぐことにこだわっている時間はない。
自分の思うままに、後悔しない時間の過ごし方を。
楽しいと思えることに時間を使いたい。
最近ダイエットをしているので、かなり糖質を摂っていない。
昔は、気分の赴くまま、おいしいものを食べていた。
そのおかげか、あの頃は今のように精神的に追い込まれてはいなかった。
今は、自分で自分を苦しめている。
お金が足りないと思うからから、仕事詰めだし、太るのが嫌だから、食べたいものも食べていない。
それが、何年も続き、当たり前のようになっている。
幸福感は感じない。いつもダメな自分を責めている。
でも本当はそんなことをしている時間はないはずだ。
いつまでこんな生活に耐えているのだ。
もっと本能に忠実になってはどうですか?
あとで後悔しないためにも。
秋の恋はロマンチックでしょうね。
最後に恋に落ちたのはいつ頃だろうか。
なぜ、恋に落ちたのか。
それは、あまりにも美しかったから。
いや、美しく見えたから。
申し訳ないのだが、女性の外面に恋をしたのだ。
なかなか、内面に恋をすることはない。
いや、むしろ内面は見ないほうがいい。
男という生き物は、喜んで女性に騙されなければ恋愛はできない。
女性も男性の上っ面に騙されたからこそ、恋愛したはずなのだ。彼の本性を知ったら冷めるはずだ。
そう、恋愛は幻想そのもの。
ああ、それでも、この穏やかな秋色の街中で、やっぱり大人の恋がしてみたい。
たとえ幻想とわかっていても。
簡単には、愛しているとは言えない。
そもそも愛とは何か分からないかだ。
ある心理学者は、男女の愛とは、性欲であるか、もしくは、長いつき合いからの情であるかのどちらかであると言っていた。
ということは、前者に関して言えば、つき合いの短い関係では、相手に対して性欲があることを、翻訳して、愛しているということになる。
それで納得がいった。確かにそうだ。
愛とは何かに悩むことはなくなった。
やはり、感覚として感じていたように、愛=性欲だったのだ。
後者に関しては、残念ながら長いつき合いをしたことがないので、私にはわからない。
だから、これからは性欲があることを愛と呼ぼう。
そうすれば相手は喜ぶはずだ。
私の理想は、竹やぶの森の中で、静寂に包まれながら本を読める空間に引っ越すことである。
しかし、現実的に考えると幾つかの必要条件がある。
第一にライフラインが整っていること、第二に毎日食料を宅配などで補給してもらえること、第三に身の回りの世話をしてくれる人がいること、第四に近くに医療機関があることである。
快適な空間に住むことができても、これらの条件がなければ快適な生活は望めない。
つい現実的に考えてしまうので、夢もロマンもないのだが、このような贅沢な隠居生活のコストは高くつくのだろう。そもそも不可能だ。無理がある。
だから、空想でこの桃源郷を楽しむしかないのだろう。
騒々しい都会のど真ん中で暮らしていると、静寂がどれほど贅沢なものかがわかってくる。
ああ、悲しいかな。今夜も酔っ払いの叫び声が聞こえてくる。
前回の投稿で、私の本質は灯火と月と言いました。
今回は、灯火の側面がいかに怖いかを示してみます。
それは、我慢して我慢してもう限界に達したときに大火事となって現れます。
ある会社で人間関係に悩みながも、何とか通勤だけはしていました。既に適応障害又は鬱病になっていましたが病院に行く気力もなく、会社を辞めるエネルギーさえなくなっていましたので、少し新たなストレスが加わると立ち上がれないほどの状態でした。
そこに社員旅行というイベントがせまってきていましたが、行く気になれず何も準備していませんでした。社員旅行の前日がちょうど休日だったので、いざとなったら必要な買い物などの準備をその一日でしようと思ってもいました。
しかし、その前日に上司から急遽休日出勤を頼まれました。嫌ですとは言いましたが聞き入れてもらえず出勤することに。
帰りも遅くなり、そこから社員旅行の準備は深夜から朝方までかかり、迂闊にも出発の2時間前に寝てしまいました。当然寝坊し、すぐに出発しましたが、当時は携帯電話もなく、何も連絡できずに1時間以上遅れて会社に着きました。
遠くから見てみると、高速バスが何台も止まっており、みんな席に着いており、誰かを待っていました。そこには社長や専務などの重役もいたと思います。そんなところへ飛び込む勇気もなく、私は道端にうなだれて倒れてしまいました。今までの緊張の糸がプツンと切れて、頭の中が真っ白になってしまいました。既に欝で弱っていた私はもちろん合理的判断などできるわけもなく、失踪しました。
その後の失踪生活のお話は、機会があったら投稿したいと思います。
ここで言えることは、火の性質を持つ人間が切れてしまったら自らをも含めて全てを焼き尽くす恐れがあるということです。