妬みとは、他人が持つ能力や持ち物を羨み、2者間で自分にはないことへの苛立ちを感じることです。
私は、最近まで街を歩くと妬みの感情だらけでした。
カップル、夫婦、家族で幸福そうに歩いている人たちを横目に見ると、どうして自分だけが不幸なのか、孤独なのかと思ったものです。
私が逆立ちしても得ることができないものをこんなに沢山の人たちが当たり前のように、いとも簡単そうに得ていることに大きな妬みを感じていたのです。
その妬みは2者間どころか、ほとんどの人間に対してのものでした。
しかし、今は不思議なことに全くそんな感情を持たなくなりました。
それはあることに気づいたからでした。
そもそも私には、人を幸福にする能力もなければ、人を幸福にする気もないのだと。
人をスマイルにする努力をする余裕すらない状況では、たとえ誰かと出会ったとしても、その人のために労力を費やす時間やエネルギーは果たして残っているだろうか。
私の人生は波乱万丈過ぎて、他人にかまっている時間がなかったり、心の余裕がなかったりで、結果的に普通の人にさえなれなかった。必然的に孤独を選んできたのです。
そして、今も時間に追われている。
この状態で人と幸せな時間を共有しようなんて無理な話なのです。
妬むのはお門違いなのであり、自分には人を幸せにする能力がないのだから、そもそもカップルや夫婦や家族になるべきではない人間なのであるということに気づいたのです。
ですから、最近は心の底から私以外の人たちには幸せになってもらいたいと思うようになりました。
彼らはそういうことに時間やエネルギーをしっかりと費やしてきたのだから。
他人と比べると、自分が惨めになって落ち込むことがよくある。
ただ、それは自分が他人を表面からみたプラスイメージで勝手に羨ましく思っているだけであることが多い。
逆に、自分についてはマイナス面だけを比較対象にしているにすぎない。
他人のプラス面と自分のマイナス面を比べるのだから、自分には勝ち目がないのは当然。
結婚を例にとると、既婚者の生活のプラス面と未婚者の生活のマイナス面を比べたら未婚者としてはメンタルが病むかもしれない。そして逆もありき。
また、結婚に関する世間の評価も二分されていて、正解はないということになる。
私は、以前から結婚願望がなかったので、今も未婚だ。
寂しい時もあるが、猫もいるし、自由を優先しているので寂しいからといって結婚したいとは思わない。
ただ、世間的には既婚者は勝者で、未婚者は負け犬という評価が依然として多いことは残念だと思う。
私としては、結婚にはリスクが多い気がする。どうしてもマイナス面が気になる。
例えば、誰かに世話をしてもらいたいとか、誰かに頼りたいとかといった動機で結婚したら、逆にこちらが世話をしたり、頼られたりすることになる可能性はある。
そして、相手が病気になったり、子供に障害があったりする事もありえる。
また、夫の収入目当てに結婚したがる女性の根性には嫌悪感すらある。
さらには、そもそも時間を自由に使えないのには耐えられない。
結局、結婚のメリットとデメリットを考えると、自分にとってはデメリットが大きい。
結婚以外の関係性か、もしくは、新しい形態の結婚があるなら、相手と共同生活できるかもしれないが…
そう考えると、自分がいくら惨めに思えても、実益をとるなら今のままで良いのかもしれない。
人からどう見られるかを気にする人は多い。
私も気にする方だ。
しかし、それを気にするあまり、対面する人の観察を怠ってしまうのは問題だ。
例えば、その人はどんな人か。性格は?興味は?信用できそうか?
そういったことを少ない情報から見抜かなくてはならないのに、それをする余裕がないのだ。
こちらが見られていると思うと、相手をしっかり見ることができなくなる。しっかり目を見て観察しなければならないのに。
もしかしたら、自分だけに興味があり、人に興味がないからかもしれない。
または、自信がないからなのかもしれない。
しかし、受け身では主導権は握れない。
見られる立場から見る立場に変える必要がある。
だからといって、身だしなみなどに無頓着なのも問題ではある。
要は、バランスなのだ。
守るだけでなく、攻撃に転じなければ機会を逃す。
より優位な立場になるには、人をよく観察することだ。
言うは易し行うは難し。
少しずつ訓練してゆくしかない。
私は朝起きれない。
冬ならなおさらだ。
子供の頃から朝はダメだった。
小中高のときはギリギリまで寝ていたので朝食を食べたことがない。
大学のときは午前中の授業に行けず、そのせいで留年した。
会社員になっても、段々本性が現れてきて、遅刻も多くなり、そのことから信用を失っていって続けられなくなった。
今も同じだ。
決して直らない。
だから、いつも朝起きれない自分を責めている。
人間どうしても合わないものがあるが、私の場合は朝方になることである。
人生の多くの失敗の大元が、どうしても朝起きれないことなのだ。
また、人よりも体力がないとも思う。
睡眠時間は9時間は寝ないと回復しない。
できれば、半日寝ていたい。
こんなだから、1日で人の半分のことしかできない。
普通の人間には程遠い。
ここまで来ると、起きてる時間が現実か夢か分からなくなる。
とにかく毎日が葛藤なのである。
私の人生の光と影の比率は1:9といったところか。
光輝く時期は、まさに一瞬しかない。
影の時代が長すぎる。
いや、光を得るために敢えて影の時間を過ごした感がある。
成功すれば、多くの光を浴びられるが、失敗すれば死あるのみ。
そんなギャンブルのような人生だったのかもしれない。
何度も何度も失敗し、再起不能にまでなったが、また立ち上がって挑戦している。
残念ながら今はまだ、影の時代だ。
その苦労が報われるか否かは近いうちに分かることになるだろう。
やっと、待ち望んでいた光が手に入るかもしれない。
しかし、手に入っても遅すぎる感がある。
一般の人々が当然のように手に入れているものを何も手に入れていないからだ。
時折思う。普通になりたいと。
普通でいいのだ。
でも、自分にはそれが一番難しかった。
とにかく、影はもうこりごりなので、何とかしたい。
いや、何とかしてほしい。
ポイ活なんてしている場合じゃない。