みんな洗脳されている。
男性は男性ホルモンに洗脳されており、女性は女性ホルモンに洗脳されている。
特に女性が男性を選ぶ基準は分かりやすいが総合的である。
まずは、生活力。つまり経済力。しかし、若い男性については将来性で判断する。
次に、自分を守れるかどうか。自分だけを好きでいられるかという基準である。
3番目としては、優れたDNAかどうかだ。才能やイケメンや性格といったところか。
極めて現実的ではないか。種の生存本能である。
これだけの要素が揃っていれば、男性は自分に自信を持つことができる。
逆に言えば、この3つの要素のうち一つでも大きく欠落していれば、モテないということになる。
また、それを自覚して、自信を失った男もモテない。
一方で、男性が女性を選ぶ基準は単純ではあるが、その理由はよくわからない。おそらく、種の保存からだろうか。
第一に、美しいこと、又は、可愛いこと。
第二に、自分を受け入れてくれること。
女性の男性からの価値は、単純なので、皆、美容にはコストをかける。
しかし最近は、女性の社会進出も目立つので、このような基準にも変化が生じるのだろうか。
男性の経済力は落ちてきているし、女性も経済力をつけてきている。
女性は自分より格下の男性は相手にしないし、男性も自分に自信をもてない状況になる。その結果恋愛も結婚もしない男女は益々増えていきそうである。
しかし、それはお互いに本望ではないはず。
本当は、恋愛したいはずである。
潜在的に恋愛に縛られているのである。
結局、男と女は高齢になってホルモンから解放されてきて、やっと自由を取り戻せるのかもしれない。
洗脳から目覚めるのである。
夢の中から出ることができない。
楽しすぎて出たくないからだ。
明らかに現実はつまらない。
いや、恐怖でしかない。
20代後半によく思ったものだ。
将来の最悪の事態だけは避けようと。
しかし、その最悪の事態が発生してしまってから、どう生きたらよいのかは考えていなかった。
このような想定外の厳しい人生には、若い頃頭に浮かんだ恐怖が詰まっている。
ホラー映画は怖くない。
現実の人生そのものが一番怖いからだ。
そして、悪夢も見ない。
現実の人生がより悪夢に近いからか。
夢の中の自分は幸せである。
もちろん、日によっては小さな愛の物語の断片も出てくる時もある。
愛も恋も仲間も、夢の中に全てある。
現実のノルマが終わったら、早速、夢の中に逃げ込もう。
それはそれで、人生の安らぎになっているのだから。
最近は、現実に興味がなくなってきた。
以前は楽しそうだと思っていたことが、今は面倒なだけだと思うようになってきたからだと思う。
年をとるとは、思っていたより怖いものなのかもしれない。
物理的に衰えることに関しては覚悟していたが、心理的なものまで変化してしまうとは。
私は、思い出づくりとかいって、誰かと無理やりどこかへ行ったり、写真を撮ったりするのが大嫌いだったし、今も嫌いである。
なぜなら、自分が高齢になったときに、思い出だけを頼りに生きていきたくないからだ。
年をとっても、現実に社会に貢献したり、若い頃以上にアクティブに楽しんだりして過ごしたかったのだ。
しかし、楽しめるかどうかは、その時の心理にかかっているので、この分では楽しめることはかなり限られてきそうで、とても残念なのである。
現実がだめなら、映画や小説などは楽しめるのかということになるが、これもだめかも知れない。
映画に関しては、15分ぐらいでつまらないと判断して、観るのをやめてしまうことが多くなってきたからだ。
将来、科学が進歩して、長時間、自分の夢の中で冒険できる装置などが開発されれば、少しは楽しめるのかもしれないが。
私にとっては、いや、世界中の高齢者にとっては、それが何よりのオモテナシなのかもしれない。
世の中のほとんどの事は解明されていない。
例えば、宇宙の起源と未来、生命の起源と死後についてなど。
仮説は存在するが、立証はできない。
また、死後についてなどは、オカルトとして認識され、真剣に研究されてもいない。
科学で解明できないことは多い。
そもそも科学の歴史はまだ浅い。
科学の時代の前には、宗教の時代や占いの時代があったのだ。
人間は万能ではない。むしろ罪深い動物である。
そして味方によっては、地球にとって最も危険な害虫なのである。
最近、民家にクマが出現して人間を襲う事件が多いが、そのずっと前から、人間は自然に入り込み、破壊し、動物たちを殺してきたし、今も殺し続けている。
自然の中に勝手に道路を作って、車で鹿などの野生動物を数多殺してきたのである。
ちなみに私の猫も車に何匹ひき殺されたことか。
クマが悪いのか、人間が悪いのか。
問題は何なのか。
また、戦争は終わらない。
ウクライナやガザで起こっている侵略行為を誰が阻止できるのか。
憎しみは次世代に引き継がれる。
こうしてみると、本当に人間は罪深いのだ。
どうすれば世界は、地球は平和になれるのか。
人は幸せになれるのか。
終わらない問いが、今日も明日も続くのだ。
おそらく数年間、人と話さなくても大丈夫だと思う。
とは言え、無人島だろうが、刑務所の独房だろうが、言葉が通じない異国だろうが、ひとりで大丈夫ということではない。
今の環境では大丈夫ということである。
その理由は、猫たちに囲まれているからだと思う。
人との縁は薄いが、その代わりに動物との縁が深いのである。
捨て猫や野良猫が、いつの間にか家に居着いてしまう。
私自身が、猫が集まる体質なのだと思う。
しかし、こちらも家計に負担がかかるし、世話も大変なので経済的にも時間的にもコストがかかっている。
とは言うものの、猫の命を見捨てるわけにもいかず、家族として受け入れている状況なのである。
その見返りに、猫のお腹の、ヤワラカ感や、フワフワ感で心を癒してもらっている。
猫たちとは、テレパシーで通じているので、話さなくても大丈夫なのだ。