「同情」
同情しないで欲しい。
同情して欲しい。
私の悩みを理解できるわけがないのに。
私の辛さをただ受け止めて欲しい。
適当なことばっか言うくせに。
だけど、我慢しなくて良いかもと期待する。
どうせ、どこか他人事に思っている。
それでもその言葉に救われる。
簡単に同情なんかされて
許せない。
もっと慰められたい。
相反する気持ちをどうしよう。
1番安心できる人に全てをさらけ出してしまいたい。
と思うのは自然なことだ。
そして、自分が泣きついたら
静かに受け止めて抱きしめて欲しいと思うのも
また、自然なことだ。
同情に求められているのは
安心感。
自分の辛さを自分が訴えた時に聞いて欲しい。
なんて身勝手な、
だが、
限界を迎えた末の逃避にも似た、自然な思い。
今日はちょっと詩でもどうでしょう。
詩というか、なんというか
自己流に振り切っているけど。
好きな本に出てくる登場人物をテーマに。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
星降る夜に
君を見た
ハープの音色とワインが似合う夜だ
俗な体温が君には馴染まない
ああ美しき君よ
闇を越えるのだ
毛並みは燃えるように輝き
日を浴びて猛々しく立ち上がる
その先に
気高く美しく
生粋の純正者のように
そばに咲く幸せさえ
君のものにしてみせよう
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
ではでは。
「1000年先も」
地球が残っていたら良いな
人が生きていたら良いな
人1人の人生が100年換算とすると、
子供を産んだとして、約30代ぐらい分はある。
私の名が残れとは言わないが
私が、今ここで
色んなことを考えたり、悩んだり
いいことがあって喜んだり
一人の人として、頭を動かして
たしかに生きていることが
未来にも伝わっていたら良い。
そして1000年前の人々が
今の私と同じように
何かを考え、生き生きと
自分と向き合って、風を感じて
同じ色彩の溢れる世界で
確かに生きていたことを
しっかりと覚えていたい。
「旅路の果てに」
それはどこだろうか、と考える。
旅に目的があるのなら、達成された瞬間
旅路の果てにたどり着くのだろうな。
目的がないなら、
……そう、例えば、
松尾芭蕉みたいな感じで
旅を栖とするなら、
人生を旅とするなら、
最後に見える景色が、旅路の果てなのだろうか?
かなり詩的な表現だが、
つまり、死ぬ瞬間であるか、ということだ。
私の考えは、いいえである。
人生の旅は、
途切れ途切れに、断続的に行われるものだと思う。
どこで立ち止まるかを、選ぶことができる。
目的を作ってもいいし、なくてもいい。
適当なところで終わって、後から
「ああ、あそこが旅の目的だったのだ」
と気づくこともある。
その時になかった目的だが
意識していないだけで実はあった、
ということもままある。
その断続的な旅を包括して
旅と見ることもできるが
振り返ることができない時点で
意識しすぎるものではないのだと思う。
旅路の果てを選べる。
自分が決めたところが果てになる。
そこに意味のあるものが転がっているかは
自分が
意味のあるものが転がっている場所を
選ぶか否かである、と思う。
逆光
写真が取りにくいね。
だけど、撮られている方は楽な気持ちになる。
目を開けていられるでしょう。
撮っている人の顔が見える。
私の顔が相手に見えてないって少し楽しい。
逆に撮っている人は眩しそうだ。
日が私に向かっている中で撮ると
目を開けられない。
「目開けて!」「こっち向いて!」
なんて言われるけど、無理だよ。
眩しいから。
……でも、逆光の時も
カメラのレンズが光を反射して
それすらも眩しかったりする。
一瞬の光が、目を灼く。
鋭い痛み。
チカッと目を刺して、結局目を開けらんない。