祈りの果て
祈ることに果てはない。
特に、大切な人がいるなら、
その人の幸せや無事を祈ってしまう。
祈ったところで何かが変わるわけではないけれど、
神様仏様、何でも良いからすがって、
少しでも不安な気持ちを和らげたいのだ。
子供が生まれてから、
毎日子供の成長と無事を祈っている。
元気で大きくなることを、祈っている。
毎日ニュースで小さな子どもが不幸に遭う事件を見るたびに
心の底から我が子の健やかな成長を祈っている。
大切な存在がいる限り、
祈ることに果てはない。
永遠なんて、ないけれど
ずっとずっとこの時間が続けばいいのに
そう思っていた時間はいつのまにか遠い過去
無邪気に友達と毎日のように遊んでいた子供の頃、
県外で一人暮らししながら、
勉強、バイト、毎日のように友達と遊び、
軽音楽部の仲間と練習して、舞台に立った、
私にとってまさに青春時代と呼べる大学時代、
大学を出て、もう10年以上になる
初めて恋人と付き合った甘い恋愛の日々、
結婚してみんなに祝福された新婚生活、
どれも過ぎ去ってしまった素敵な思い出たち
2度と戻ってくることはない青春のかけら
今、娘は1歳半になる
愛しくてたまらない可愛い娘だ
私にくっついて離れないこの小さな手も、
ずっと小さなままではいない
いつか私の手など必要ないほどに
立派に成長して巣立っていくのだろう
時の流れは残酷に、ただ淡々と進んでいく
それは、とても儚い
その渦中にいるときは、
この時間が終わるなんて思いもしないのだから
終わってしまって、その時間の大切さに気づくのだ
人はなんて悲しくて、儚い生き物なんだろう
だからせめて、
永遠には続かないこの時間の幸せを、
噛み締めながら前を向いていく
きっと未来には別の幸せが待っているのだから
秋色
服屋さんに秋の色の服が並んでいて、
そういうところから視覚的に、
少しずつ秋の訪れを感じた。
まだまだ暑い日が続いているので、
終わらない夏だと感じていたけれど、
気がつけば9月も中旬、暦の上ではもう秋なんだ。
紅葉の色をしたカットソーに目を奪われて、
ついつい買ってしまったり、
夏が好きな私だけど、
なんだかんだ秋の訪れをうきうきと待っているらしい。
誰もいない教室
昼間は騒がしい教室も、
夕方になって子供が帰った後の教室は、
静まり返っている。
ただ、子供達の机と椅子が、
寂しそうにたたずんでいる。
中学3年生の担任の先生が、
卒業式の前日、夜に教室で一人、
黒板に素敵な黒板アートと、
クラス全員の名前を書いていた。
「何度怒ったか分からないし、
トラブルが起こった時に何度も悩んだ。
でも、この子達からもらったものも、
数え切れないくらいある。
それも、明日で最後なので」
そう言いながら、その担任の先生は
誰もいない教室で微笑んだ。
その担任の先生の微笑みは、
誰もいない教室の机や椅子と同じように、
少し寂しそうな微笑みだった。
信号
急いでいる時の運転で、
赤信号がとても長く感じてしまう。
焦っているから、イライラしたりする。
少し早く出たらいいだけの話なのだが、
私は昔からどうもそれができない。
ある種の病気なのかもしれない。
時間ギリギリまで何か用事をしていないと
気が済まないのだ。
時間に余裕がある時の赤信号は、
別になんとも感じない。
同じ赤信号でも、
状況によっては気持ちの持ちようが
全然違ってくる。
明日こそは時間にゆとりを持つぞ!
と、今日も望みのない目標を立てながら眠りにつく。