旅は続く
あの駅を出てからしばらく車窓の外に流れる美しい風景を眺めていたのに、真っ暗なトンネルに入ってから随分時間が経っている。長いトンネルで出口の光はまだ見えそうにもない。
窓を見てもそこに映るのは自分の顔だけ。窓に映った自分の顔は、よく知っているはずなのに、知らない顔のようにも思えた。こんな顔だったろうか僕は。あまり見たくなくて、仕方なく前の座席の背面を眺めていた。
……しかし、あまりにも長いトンネルだ。真っ暗な中にずっといると、移動してるのかどうかさえ分からなくなる。
本当はもうこの車輌は停車しているんじゃないか?
いったんそんな風に考えてしまえば、この心地よい揺れもガタゴトという車輌特有の音も、幻想のような気がしてくる。長い旅路のリズムが身体の奥でまだ鳴り続いているだけなんだろうか。もし本当に止まってしまったのだとしたら?
この旅はたどり着く先ではなく、移動そのものに意味がある。そう言ったのは駅で送り出してくれた人だったか。あの駅を出たのは随分前だから、何もかも朧気だった。
少し怖くもあったが、僕は意を決して席を立った。この車輌は本当に止まってしまったのか、長いトンネルの先に出口の光が見えるのか、僕自身の目で確かめるために……続く
モノクロ
無彩色の世界は美しいと思わないか?
光と影が際立ち、沈黙が支配している静謐な世界だ。
友人の言葉に、それはどこか死を思わせる世界だと思ったが僕は口には出さなかった。
友人がモノクロ世界に取り憑かれたのは、カメラを趣味にしてからだった。カメラを始めたばかりの頃は色鮮やかな写真も撮っていたが、最近ずっと彼はモノクロ写真ばかり撮っている。
確かに、モノクロは美しい。
白と黒で構成された美しさは、現実から切り離されたストイックな魅力がある。
沈黙さえ映し出しているような余白、静かな濃淡だけの世界。かと思えば強いコントラストに縁取られ、何気ないショットでも決定的な一瞬を切り取ったかのようにドラマティックにする。
つまり、まさにそれがモノクロ写真は解釈的ということなんだ、と友人は続けた。カラー写真が記述的であるのに対し、モノクロ写真は解釈的──これは写真家の間では知られた言葉らしい。
色彩が削ぎ落とされているからこそ、光や影、構図や質感から写真に何が映し出されているか読み取ろうとする。モノクロ世界に向き合うとき、人は知らず知らずのうちに深い思考と想像力の中に降りていくんだ、そう友人は言った。
なるほど、思考と想像力か。と僕は思わず呟いた。
それに、と友人は言った。色は意味を持ちすぎるんだよ。無彩色の方が安心する。
……だから君はモノクロばかり撮るのかい?現実は色に溢れている。
僕の問いに友人は、しばらく考え込んで何も答えなかった。
あの時の会話をよく覚えている。今日は君の個展だ。すごいじゃないか、おめでとう、君の初個展の開催を祝わせてくれ。友人として誇らしいよ。たくさんの人が集まって君の撮ったモノクロの世界に魅了されている。君もいたらよかったのに。
人々は一つ一つの写真の前を長い時間をかけて、ゆっくりと鑑賞するんだ。きっとそれぞれ内的感性を集中させているんだろう、モノクロ写真は解釈的ってやつかな。
後悔していることがある。
あの時君に伝えたらよかった。
君が白と黒の明暗だけで映し撮った世界に、僕も不思議な安らぎを覚える一人なのだと。あの静かな世界に浸っていたかった。
君は本当に色を欠いた世界に行ってしまった、たった一人で。無彩色の余白に、僕を漂わせたままで。
永遠なんて、ないけれど
永遠はあるんやで〜ボクの愛がそうや、誰か受け取ってや! 神様より
涙の理由
伸ばしっぱなしだった髭を剃った俺を見てパニックになった娘。顔を涙でぐちゃぐちゃにして、パパはどこ!?と大号泣。
あれから十数年。
隣に立っただけで舌打ちされる日がくるなんて。
コーヒーが冷めないうちに
「あなたの淹れるコーヒーって、本当に美味しい」
凝った淹れ方でもないし、高い豆や道具を使っているわけでもないのに、妻は私の淹れたコーヒーをいつも美味しそうに飲んでくれた。
音を立てて啜ったあと、満足気な笑顔で決まって同じことを言う。
「ああ、人に淹れてもらうコーヒーって、どうしてこんなに美味しいんだろ」
そして、必ずこう続くのだ。
「人に淹れてもらうからだよね、ありがたいわあ」
「じゃあたまには、君が淹れてくれてもいいんじゃないか?」
そう言うと、妻はまた笑いながら答えた。
「私は美味しいコーヒーを飲みたいの」
妻はコーヒーじゃなくても、緑茶でもほうじ茶でも紅茶でも、同じことを言ったものだ──彼女が亡くなって、もう三年が経つ。
今の私には、コーヒーやお茶を淹れる相手もいないし、私に淹れてくれる人もいない。だけど今日も一人じっくり、ゆっくりとコーヒーを落とす。どんなに高い豆を使っても、どんなに丁寧に落としても、妻と一緒に飲むコーヒーでなければ味気ないというのに。妻の笑顔を思い浮かべると、自然と思いが言葉となってこぼれ落ちてきた。
コーヒーの
香りは立てど
味気なし
おっ……五七五。これは下の句を作ったら、一首完成できるのでは。
思わず指で文字数を数えていると、どこからか妻の笑い声が聞こえたような気がした。
「コーヒー、冷めちゃうよ」
はっと振り返ってみても、そこにあるのは、一つだけのカップ。もう湯気もない。
……私はまだ温もりの残るコーヒーを口にしながら、歌を完成させた。
濃い目が好きな
君よ何処に