夫の実家へ行くと必ず、夫の小さい頃の話しをお義母さんから聞かされる。
夫が中学2年の時に足を骨折した時、お義母さんは、痛くて泣く息子をおんぶして病院へ連れて行った、と言う。
だけど夫は、痛かったけど泣いてないし、歩けなかったから兄ちゃんに自転車で病院へ連れて行ってもらった、と言う。
親子で記憶が違う。兄ちゃんはと言うと…、記憶が曖昧でとにかく怪我をした弟達を何回か自転車に乗せて病院へ行った記憶がある、と言う。
夫は、自分が骨折したのは一度だけで、怪我をして病院へ行ったのはその時だけだ、と言う。
夫の家族話しは、時計がそれぞれ違うのか、重なった事がない。
それぞれがそれぞれの言いぶんを、ガチャガチャ言って毎回終わる。それが不思議。
ひとつのクリスマスケーキを、家族6人分切り分けるのが大変だった、とお義母さんがいつも言う。ひとつのチョコの家とひとつのサンタと、食べられないもみの木と
………「メリークリスマスどころじゃなかったわよ」
プレゼントはどうしてたかと言うと、お菓子のブーツは1人ずつだったけど、おもちゃは兄弟弟妹で、ロボットひとつのみ。
夏の帰省は、エアコンの無い車に家族6人乗って、音楽はお義父さんお気に入りのカセットテープひとつで、6時間以上かけて田舎へ行った、と言う。この話しは全員頷いている。
わたしとしては、まったく信じられない話しばかりで、そんな経験したことないから何回聴いても飽きる事がない。
家族それぞれの思い出話しが分厚くて、羨ましい。
息子が自分のことを言う時、幼稚園にあがる前までは自分の名前だった。幼稚園に入ってから友達に、「じぶんのことはオレっていうんだよ」と、言われたらしく、びっくりしていた。「オレ」と言うのはお父さんだけだと思ってたらしい。。
小学校に上がると、先生から自分のことは、『ボク』と言うようにと言われたらしい。なんでなのかと聞かれたので、年上の人に対して『俺』と言ったらダメだから、と答えた。息子はそれ以上聞いてこ来ず。『なんでダメなの?』と、食い下がってくる子ではなかった。
社会人になってから、『わたし』と言うようになったと思うけど、本人から聞いた事はない。
「僕、」と言うと、小さい子をイメージする。それか、あのちゃん。
『僕と一緒に遊ぼうよ』
今日は、新月だ。新月の事を朔ともいう。なんだか今日の新月は特別なようなので、あれこれ考えずに静かに過ごそうと思う。
cloudyといえば、吉川晃司のCDアルバムCloudyHeart。たまに聴きたくなる。
新月は役割を終えた人間関係をリセットしたり手放したりするキッカケらしい。
このCDアルバムはわたしの心をザラつかせたり苛立たせたり、嫌な事を思い出させたりはしない。
心があったかくなるものはいつまでも大事にしていいと思う。
橋って、あの世とこの世を繋いでいる危うい場所みたいです。
虹の架け橋って、ペットが死んだ時に、『虹の橋を渡りました』というけど、あれのことかしらん。。
わたしはハムスターを4回飼った事があって、3匹目のハムスターは、指を出すとペロっと舐めてくれる優しいコだった。
動物に名前を付けると、動物もただの動物じゃなくなるのね。【自分】ってものになれるんだと思う。名前を呼んであげる事によって、人間の愛を知って【自分っていうカタチ】になれるんだと思う。死んでからもしばらくは【そのカタチ】を保ってるんだと思う。
【自分が死んだ】って分かるのは、人間に名前を付けてもらったからだと思う。普通の動物は、生きるのも死ぬのも一緒の世界だから。
でも、名前を付けてもらっても人間と違って、残念ながら長くは【自分のカタチ】を保ち続ける事ができそうにない。
だから、出来るだけ早く忘れてあげる方が良いようです。あまり人間が思い出し過ぎると、還る場所へ還る事が出来なくなって、段々【自分】が分からなくなってしまうから。そうなったら悲惨だから。
ペットが亡くなった時の、虹の橋を渡るって考え方は素晴らしいと思う。
悲しくて思い出してしまったら、『この世での役目を終えて、虹の橋を渡ったんだね』って、心の中でつぶやいてあげれば、そのコはもう単なる動物ではない。役目を終えた永遠の魂になれるんだと、思う。
既読は付いているけど、
亡くなった知人のLINEはなんだか消せない。引っ越しして一年後、落ち着いたので久しぶりに暑中見舞いを送ったら、たぶん旦那さんからだと思う喪中はがきが届いた。前年には年賀状をもらっていたから、あっという間に亡くなった事になる。
その人はブログ開設していたので、まだあるかと思い、見に行った。趣味に関するブログだったのに、闘病の記録になっていた。今は他人事とは思えない。