今日は冬至です。『冬至過ぎれば畳の目、ひとつ分ずつ日が伸びる』母は、よくそう言ってました。昔の人は、暮らしの中で細やかな変化を見つけ、それを頼りにがんばって生きてきたんだと思います。
母が語ってくれた昔話や、教訓や、日々の知恵などが、わたしの中で生きていて、ふと思い出しては、わたしを和ませてくれます。
【50才までに使ってきた日々の全ての言葉がその後の人生を大きく左右するんだ】その事に気づくのが、遅かったかもしれない。
愚痴や泣き言、寂しさや辛さなどは、花や山や川や風や土や、空や雲や星や月や太陽が、吸ってくれて、そういう静かなものに満足出来る生き方、
それは夫が望んでいる生き方だけど、此処から先は、わたしもそうありたい。
朝は、「おはよう」から始まって、おにぎりを作り、「いってらっしゃい」と夫を見送り、トイレと風呂の掃除をして、御神前の掃除をして朝拝をして、洗濯物を干し、ご飯を「いただきます」と言って食べ、「ごちそうさま」をして、茶碗を洗い、トイレへ行って、落ち着いたらリビングで本を読み、時間が来たら仕事へ行く。
仕事の仲間と笑ったり愚痴ったりして、お客様をお見送りして、お迎えする準備をして、
夕方は夕飯を作り、お風呂に入り、夫を「おかえり」と迎えて、夕拝をし、一緒に「いただきます」を言って、今日あったあれこれを話し、「ごちそうさま」をして、茶碗を洗い、テレビを観て、布団を敷いて、「おやすみ」と、眠る。
春は畑や庭を耕して種を植えて草取りをして、夏は水撒きをして草取りをして、秋は収穫に忙しく冬前には大掃除を終わらせ、冬には雪かきをする。
この生活のリズムのそこかしこに喜びや哀しみや、寂しさや楽しみやワクワク感が散りばめられていて、弾き慣れて来たアコーディオンのようだと思う。
それでも、天災は終わらないし、また壊されてしまうかもしれない。無慈悲なほど壊されたように見えても、本当は違うのかもしれない。
神様は、新しい何かを始めさせようとしているのかもしれない。
また、がんばろうと思う。
もうがんばれない………と、諦めるしかない人たちもいるなかで、がんばろうと思えることは、有り難いことです。
今はほんとにがんばるしかない状況です。
いつかまた、新たなカタチでお会いできることを信じてます。お身体大切に。
ありがとうございました、感謝いたします。さよなら。
急に、息子たちに会いたくなって来た、世の中の穢れという穢れをまだよく知らない、若いふたりに会いたくてたまらない…………。お義母さんも、突然に襲ってくる、いかんともし難いこの気持ち…こんな気持ちになる事があるんだろうな…。(わたしに会いたいとは思わないだろうけど、息子には会いたくなるんだと思う)
息子たちが、先月遊びに来た時には、わたしはいつものおかずを作りつつ、息子となっちゃん(嫁仮名)は、和室のリビングでふたり寝転んでテレビを観ながらいつの間にか眠ってた。
ふたり顔を見合うように、仔猫の兄妹みたいだ…………と思った。
ほんとは、女の子が欲しかった。息子には言えなけれど、妊娠がわかった時、すぐ女の子だと思って、名前をあれこれ考えた。
男の子だと分かった時、ガッカリした。たぶん、へその緒を通じてガッカリが息子に伝わったんじゃなかろうか…………息子は難産だった。2日間の微弱陣痛の末、吸引になった。
先生に馬乗りされて、、お腹をグイグイ押されて、陣痛はもう無くなってるのにいきめと言われて、気が狂うほどいきんだけど、息子は出て来なかった。なんか、思い出すと、………AV女優も顔負けの喘ぎっぷりだったんじゃなかろうか…………
そんなふうにして生まれて来た息子と、可愛いなっちゃん。
もし息子が女の子だったら、、汚らしい者に一切触れさせたくない。そう思って育てたと思う。
なっちゃんのお父様、お一人でなっちゃんをここまでよく育てあげたと思う。なっちゃんもお父様を助けて、がんばって生きてきたと思う。眩しい。
うちは肉は食べないから、食べたかったら買っておいで、といつも言ってる。
この間は餃子を10個買ってきた。大人4人で10個の餃子かぁ。。と、思ったけど、自分たちの好きなもの買ってきな、と言ったのだから、自分たちの分だけなんだろう、と思ってたら、なっちゃんは、野菜のみの餃子も10個買ってきていた。
女の子は、それだけでも可愛い。そこに居るだけで、可愛い(わたしが善い姑ってわけではない)。もちろん息子も可愛いけど、、女の子は、愛らしい。何歳になっても、その愛らしさを失わないように、守ってあげたくなる。
嫁、という存在の憎らしいほどの若さと可愛らしさ。。これは、圧倒的で、清々しいほどの敗北感に、わたしはうちのめされながらも、なっちゃんの事がとてつもなく可愛いと思う。
………女の子が欲しかった。
女の子の居るご家庭が、羨ましくて、妊活を頑張ったけど、不妊治療までは踏み切れなかった。
なっちゃんには、お父様と息子に守られて、生き生きと、そして、安心して明るい子育てをして欲しい。その外側には、わたしたちも居る。
ゆくゆくは、お仕事をおひとりでずっとされて行くお父様と、息子たちは暮らす事になったとしても(未定の予定)、なっちゃんは、きっと、野菜餃子を買ってきてくれる。
そうじゃなくなったとしたら、わたしたちが、何か、なっちゃんの心を傷つけてしまったんだと思う。
そうならないことを願うけど、現実はなかなかうまくいかないもの。そうなってしまったら、いくら謝っても、なっちゃんとわたしたちの関係は元のカタチには戻らない。息子も帰って来られなくなる。
だけど、無情にも何もかもが元のカタチには戻らないようにこの世界は出来ているらしく、なんだか分からないけど、新しいカタチになるようにも仕組まれてるらしいと、齢を重ねるとなんとなく、みんなそう感得していくもんだと思う。
身の上に何かとてつもない衝撃があって、止まったように思えたとしても、新しく新しく、そう仕組まれている………それはその人にしか、分かり得ない事なんだと思う。
お義母さんとわたしみたいに、もうあの頃のカタチには戻れなくなってるんだけど、少しずつ新しくなってる。
わたしは幼少期からあったかい普通の両親のご家庭を、心底羨ましく思ってきた、ご両親というより、優しくて広く大きい背中のお父さんが欲しかった、なので………、いつかのどこかの時点で、なっちゃんを傷つけてしまうかもしれない。
まだ何も無いところで、
恐れてはいけないけど、恐れてる。こんなわたしも、確かに、どんどん新しいカタチになっている。この間怪我をした親指は、新しい皮膚が出来てきて固くなって、それは前の親指とは違って、何かを学習した証しなんだ。
息子となっちゃんに、会いたい。。
昨日は事務所で、なんとなく誰かが中村あゆみの翼の折れたエンジェルを口ずさんでいて、いつの間にかその場に居た、パートのおばちゃんたちの合唱になった。
それは…まるで、
それぞれのドラゴンボールを持ち寄り、シェンロンを呼び出す、みたいな………大合唱、
脇に居た20代の若者数人は苦笑。
合唱が最高潮に達して、歌は終わり、それぞれが、
はぁ〜〜……………
その当時の思い出が浮かんだんだ、と思う、わたしも。
そしてそれぞれが、
「なつかしいな…」
と言って、それそれのエリアへ向かった。
昭和の時代に青春だった人は、ラジオからカセットテープへ録音して、ノートにその歌詞を写して歌詞の意味をしみじみと味わう事をしていたと思う。だからなのか、それぞれ、歌に込められた思い出が濃い気がする。だいたい昭和の歌謡曲なら、演歌でもポップでも分かる。その曲知らなーい…、ってのが無い気がする。
わたしが保育園へ行くような年齢の頃、母がカセットテープでよく聴いていた曲で、月が笑ってるとか、泣いているとか、お酒がどうのとか、涙がなんだとか小指をどうしたとかこうしたとか、、意味が分からなくて、『大人は変だな』と思ってた。
【だいたい大人は変なんです】
誰かが歌い出せば、誰とでも時を結ぶことが出来て、それはほんの一瞬だと思うけど。その一瞬でいい。
今朝はすごい早くに目が覚めて、メガネを外したのび太の目で、、昨日のテーマは何かな…と思って、『時を結ぶリガン』に見えて、スマホを一回伏せた。
33…?
時を結ぶリガンとは…………、今日は休みだし、まっいっか。
もう一度確認して、リボンだと分かった。朝早い割にはよく思い出せて書けたと思う。
30万お義母さんへ送金してきた。お義母さんもお義父さんが亡くなってから、侘しいんだろうと思う。お義兄さんの嫁様の実家とのバランスも気がかりなんだろうと思う。そう思うと、実の娘でもないわたしに我儘を言ってくれるんだから、真っ先に思い浮かんだ相手がわたしなんだから、そこは…まぁ、ありがたいのかな。意地悪したいとかではなくて、我儘。だって、もうわたしたち夫婦はヤキモチ焼かれるような新婚じゃーないっ。
夫はこの件について、特に何も言わなかった。もともとお金に興味の無い人だからたぶん、何も言わないだろうと思ってたけど、本当にお金に執着の無い人だった………。
お義母さんが、この30万をどういうふうに分けるのか、一律なのか全額お義兄さんへ渡すのか、うちからだと言うのか言わないのか、考えたけど、意味がない。もううちのお金では無いんだから、お義母さんが好きなように使えば良い。。
なんだか、スッキリして、
やっぱりイルミネーションを見に行くことにした。星空を見に行くように、味噌玉とお湯とおにぎりを持って、御歳20歳のおじいちゃんカーのルーフを開けて、イルミネーションを見上げようと思う。なんだか、ワクワクする。この気持ち、…これは、、エモい。
これも、お義母さんのお陰です。
息子たちには何もしてやれないけど、その方が幸せになれるんだと思う。自分たちで工夫して、がんばって最初は小鳥のように暮らして、厳しく鍛えられて逞しく太く、生きていって欲しい。
夫が、会社の同僚からチヂミほうれん草をたくさん頂いてきた。半分を胡麻和えに、半分を油揚げとしめじとニンニクで炒めた。
その同僚も、無農薬無肥料で野菜を作っていて、葉っぱところどころ虫に食われているし、大きさも少し小さい。
だけど、気がしっかり入って育っている、夫が、「美味しい美味しい」と言って、うちの庭でも育てられないか、何やら検討している。
「全部虫に食べられちゃうんじゃないの?」と、言ったけど、それはそれで、きっと、夫は挑戦してみたいんだと思う。
虫に食われても、ほんの少し人間が食べられるところを残してもらえれば、夫には、上出来なんだ、と思った。
わたしが、今回の地震でお金がまたかかるだの何だのとジグジグと卑屈になっていたから、神様がお義母さんを使い、わたしの執着を刺激して、それを表に出し、どうするかを見ていて、
どっちにしても、夫にチヂミほうれん草を持たせた。
もし、ジグジグのままだったら、チヂミほうれん草を料理もせずにシナシナにさせてしまって、美味しい事も気づかぬまま、イルミネーションを見に行く気にもなれなず、お義母さんとお義兄さんに憎悪を抱くことになって夫を悲しませた、という結末になってた。
たけど、カラリと心を乾かしてお金を手放したから、チヂミほうれん草の美味しいさが舌と心に伝わり、イルミネーションを見に行く気持ちにさせてもらって、何が大切だったのかも分からせてもらえた、という結末になった。
トンネルを長くするか短くするかは、わたし次第だった。どちらの長さのトンネルも、抜けた時の景色は全く同じ。ただ、長さが違うだけなんだと思う。そこは、勝ったも負けたも全く無いと思う。人と比べて卑屈になって、どっちへ行ったらいいか余計に分からなくなった。
比べる事が出来るのは、昔の自分と今の自分しかない。だけど、今回は途中で、何も分からなくなってしまった。どの自分と比べていいのか、分からなくなって、他人を羨ましく思った。でもただ、それだけ。それだけで終わった。
天災はこれで終わりじゃない、お義母さんとの関係も、終わりにはならない。
因みに、宗教団体へ多額の献金やお布施をしたとて、お祈りをしたとて、神様は何もしてくれません。今後、お義母さんへ多額の送金をしたとて、それは同じ事だと思う。このような事は、今回が最後、もうお金を無闇に送ったりしません。。
姪甥にお年玉ももぉ送りません。
お義母さんへの毎月3万の仕送りは続ける、これはお義父さんが亡くなった時からの約束だから。
わたしの毎日は何も変わらない。いつもの日常に戻った。少し………、旅をしていたような気分が残ってる。
いつの海だったか、忘れた…
ワンフレーズ思い出した……
『波消しブロックに誰かのいたずら書きを見つけた、わたしもそんな冒険をしたようだ』、あの懐かしさに近い。何もかもを真っ直ぐに信じて、疑わなかった頃だ。懐かしくて、ちょっとさみしくて切ない。
わたしの手のひらに出会った人、手相に全部記されているのかな。わたしの黒くても白くても生きてきた歴史が、この手のひらに全部刻まれいるのかな。右手の小指と薬指の下に、硬い豆が出来てる。いろんな物を握って、働いて来た手だ。
夕方、お義母さんから送金確認したとの電話があって、、ついでに、まごたちのお年玉は、2万から5万にした方がいいのでは、との話しがあった。
てっきり、お義母さんが、そうするものだと思って、「そうなんですか?」と、疲れてたし、曖昧に応えたら、そうではなくて、、わたしたちが、姪甥に対するお年玉値上げの下達だった。もう夫婦ふたりきりで、ラクしてんだから、と。
おもわず、「えっ、なんで5万なんですか?」と聞くと、
お義兄さんとこの女の子二人の全身脱毛費と美容整形費がかなりの額で、そこんとこがどうのこうの、と。。他の姪も全身脱毛始めたとのこと。
うちは、息子1人で、もうとっくに独立しているから、お年玉などいただいてない。
姪甥の人数は6人です。そのうち5人は20歳越してる社会人で、残る1人は大学生で20歳。正月に間に合わないからって、年内に、それぞれ送金すると手数料がかかるだろうからって、お義母さんとこに一括で送金してって…………これ、どのへんが優しさなのかな。姪っ子たち…………、そんなに毛がモジャモジャなのかな?ゴリラなのかな?整形がモリモリ必要なくらいゴリラだったかな?そうは見えなかったけど、、
なのに、「あんたから○○(夫)には、うまく言ってね、」と。わたしがパートで専業主婦の括りで、お金の主導権は無い、とお義母さんは思ってる。専業主婦なら、悠々自適な暮らしだと思われてる。
お義兄さんの嫁様は、専業主婦でそうなんだろうけれど、
どこでどんな話し合いがなされて、お義母さんはそんな事言ってくるんだろ。そんなに全身脱毛の事が気になるなら、日本各地に被災地たくさんあるんだから、一銭も持たせずにボランティアに出して、何もかも投げ売って働かせれば、全身の毛が無くなりますょ。顔だってどんなにか美しくなることでしょうょ。
わたしが5万ずつお年玉をあげたい、と言ったからそうなった、ということに、お義母さんはして欲しいんだと思う。
という事は、夫にも相談しないでそうしてね、と言う事だと思う。
めんどくさいから、明日、30万送金してくる。夫には、姪や甥が困ってるだろうから、と言えば、反対はしないと思う。
搾取したいならすればいいし、お金ならあるだけ送ってしまえ。野垂れ死に? 上等です。過労死? そんなことしない、仕事やお金のために生きているわけじゃないから。
またボチボチ頑張るしかない。
幸い今回は、夫もわたしも無職ではないから、あとはコツコツ働いて早く寝て、早く起きて、いつもどおりに、
わたしは自分の心のど真ん中で生きていく。