今日は母が自宅に、一時帰宅した。2階から車椅子を下ろして、埃を拭いてペコペコのタイヤに空気を入れた。約3ヶ月振りの出番。
昔は幼いわたしの手を引いて、白杖1本でどこへでも歩いて行けた母。電柱にぶつかったり、車に接触されたりと、白杖が曲がったり折れたりして、何本も母の身代わりになってくれた。今家にある最後の白杖は、物置の奥に置いてある。これも曲がっていて傷だらけ。
会うと必ず、「自分で出来ることは、自分で最後までやるから、」と、母は言う。
自分ではもう一歩も歩けないけど、必ずそう言う。今日もそう言ってた。
先程夫に、母が使った車椅子を2階へあげて欲しいと頼んだ。母の事を、わたしは人に頼んでばかりいる。
うちの花壇にもコスモスが咲いて、風に揺れてるほうがそれらしいから、切って部屋に入れようとは思わないな。
今日、パートからの帰り道。直線から坂を下るところで70キロくらいになり、前の車も後ろの車も距離が変わらないからだいたいみんな同じスピードだったと思う。
下り坂の先が緩いカーブで、そこはとても心地よいポイント。フワーとカーブを過ぎて、またすぐフワーとしたカーブに続く。。
のはすが、なんか白バイ隊員みたいなフォルムが見えて、キンチョー。スピードは65ぐらいだったかな。。
その先がちょっとしたスペースになっていて、テントが張られて長椅子が並び、パイプ椅子が整列してた。白バイ隊さんが、並んでた。。
あっ、これがネズミ捕りかー。
って、この話しを先程夫にすると、
「会場の手前でスピード測ってるお巡りさんがいたはずたよ」と。
……気づかんかった……
あそこの坂もその先のカーブもみんな70は出す!いや、出してた。
「80キロで捕まえるつもりだったんじゃない?」と、夫が言うけど、
わたし、帰ってくる時に瞬間73は出してたと思う。あそこら辺は、減速したいと思わないし。
これって秋恋?
それはどうかな。。
ブレーキは、適宜踏みましょう。
愛するって、
愛する人の鼻くそまでも愛おしい。
結婚式の指輪交換はもうやめて、鼻くそ交換にしたらどうだろうか。。
お互いにその場でほじっくた鼻くそを、相手の口に入れてあげる。もしくは、相手の鼻に指を突っ込んで、鼻くそを取り出しモグモグ。
そして、誓いのキス。
【愛する、それ故に、
鼻くそだって食べられる】永遠の愛の証
鳴り止まない祝福の拍手―――
今日もわたくしの思考は、平和だゎ。。
耳が聴こえづらくなった時、自分の声が耳の中に反響して目眩がした。鼓膜がペコペコしてる感じがして、鼻がツンと痛くて気が変になった。
「ストレスです」と言われたけれど、なんのどんなストレスなのか説明もつかない、そんな時期があった。
…
耳が聴こえづらくなっても、常にグルグル思考してたら、外が静寂だとしてもうるさくてたまらないと思う。
『もう思考を止めたい……』、そう思った事もある。
『あれ、今何考えてたっけ』、くらいの微弱でちょうどいいんだと思う。
静寂の中心で立っていられるのは、無駄な思考も無意味なお喋りもしない、そういう人。
わたしは、静寂の中心では立てない。
座禅にいったら、パシパシされると思う。
うちの近くに有名な禅寺があって、座禅会がある。行ってみようか………迷ってたとこ。静寂は子供の頃から苦手。自分が発狂しそうで、怖い。
今日は、着古しのコットンシャツを小さめのひざ掛けに作り直して過ごした。母が施設でごはんを食べる時に使ったり、薄いので肩に掛けたり首に巻いたりできる。
だけど、自分が愛用して着ていたシャツにハサミを入れる時、いろんな気持ちが込み上げて来た。
ミシンは壊れてるから、手縫いでチクチク縫い進めて、その間ずっとラジオを聴いてた。時々山を見たりして。
燃える葉といったら、わたしは山火事しか思い浮かばないけれど、母は紅葉を思い浮かべる事ができるだろうか。。