毎月10万円の養育費を払う。その約束は一回限りで打ち切られた。そもそも別居している時点で愛は冷めている。そんな相手に渡すくらいなら新生活のために使う。
「あの人は絶対に大丈夫だから。すごく優しいから」性善説は虚構だ。
フルタイムでダブルワークをしても生活ができない。子供はネグレスト状態で愛に飢えている。いずれ非行に走るかもしれない。
約束を守れない人は目先の生活しか見えておらず、その選択によって多くの尊い命と未来ある子供の将来が犠牲になることに気づかない。
ささやかな約束は池に投げ込んだ小石のように波紋を広げていく。
題『ささやかな約束』
早朝、仏壇の前で祈り、神棚に対して祈る。礼節を重んじているように見えるが、お供え物が用意されていないことに気づくと苛立ちながら炊飯器へ向かう。なぜなら本当の意味で祈っている訳でも感謝している訳でもないからだ。
ただの習慣的行為。他者よりも優れた人間であると満足したいだけの"慎みの見せびらかし"。
祈りの果てにインスタントコーヒーが残っていなくて怒鳴る。故人も呆れ果てているだろう。
"そんな態度なら、もう祈らなくていいよ。さっさと行ってくれ"
題『祈りの果て』
酒場に入る。服を見れば役割が分かる。戦士、僧侶、武闘家、魔法使い、そして勇者。なら私は何なのか。パンツ一丁に木の棒と鍋の蓋である。酒場の女性店員に叫ばれ衛兵がやってくる。「この変態め!」
なるほど私の職業は変態らしい。その後、囚人に転職した。さてこれからどうしようか。出来ることが限られている方が肝が座る。
心の迷路に苦しむのは選択肢が多すぎるからだ。
限られた選択肢から選ぶ方が圧倒的に生きやすい。
題『心の迷路』
これ以上は危険だと中身を捨てる。最後まで飲むことは絶対にない。なぜなら"最後まで飲んでしまった"という思いに支配され苦しみ続けることになるからだ。不可解に思うかもしれないし、食品ロスを減らそうとする社会の風潮から逸脱したマナー違反だと指摘されるかもしれない。だがティーカップにお湯を注いで飲むことによって得られる効果は"安心感"の筈だ。飲むことで安心を得る人もいれば、残すことで安心を得る人もいる。「ああ良かった、今日はお腹が空いた状態で食事を終えることができた」ホッと一息つく。
題『ティーカップ』
そんな感情もあったね。完全に銀シールで覆われていて存在自体を忘れていた。
寂しくはないよ。ただ苦しいだけ。
昨日は、ずっと食べたかったあんぽ柿で具合が悪くなってガッカリしていた。頭のフラつきとお腹の苦しみが精神を支配していた。耐えきれずに飲み物を飲んだりキャラメルを舐めたりして気を紛らわそうとして一層苦しくなる。何時間も読書をして苦痛を追い出そうとする。"誰か助けて。この苦しみを終わらせて"
寂しくはないよ。ただ苦しみからの解放を求めて縋るように手を伸ばす。
気持ちがプツンと切れてしまった。がしゃんと身体が崩れ落ち表情からは生きる気力が抜け落ちていた。
題『寂しくて』