君がまだ小さかったころから、
毎年、同じ夜を見てきた。
狸寝入りをして、
親の顔色をうかがっていた年もあった。
朝になるのが待てなくて、
目をこすりながら起きてきた年もあった。
中身を見る前に、
誰かの反応を先に確かめていたこともあった。
気に入ったふりをした年も、
本当に嬉しくて言葉が出なかった年もある。
それでも、
最後にはちゃんと「ありがとう」と言って、
しばらく遊んで、
そのうち日常に戻っていった。
年を重ねるごとに、
箱を見つけたときの反応は小さくなった。
でも、
中身を確かめるときの目だけは、
どこか変わらなかった。
今や君は、自分で働き、自分で選び、
望むものを掴み取れる存在となった。
何よりも、
それは誇りに思うべきことだ。
今年、
私はもう箱を置かない。
けれど、
君が何かを手に入れたとき、
一瞬だけ立ち止まる癖は、
あの頃から続いているはずだ。
それを毎年見てきたことが、
サンタにとっての
いちばんの仕事だった。
題 君が見た夢
なにも先のことなど
考えずにいたかった
けれど
学校や街は
それを
当たり前のように言う
絶対なんて無いと
どこかで知ってしまったのに
それでも
将来という言葉だけは
毎日のように
前に置かれる
先のことなど
何も知らないまま
いま
どこにいるのかも
少し
わからなくなっている
だから
せめて
ここが消えてしまわないように
きみの肌に
触れていたい
題 明日への光
桜は散る
梅はこぼれる
椿は落ちる
菊は舞う
牡丹は崩れる
紫陽花はしがみつく
星は流れる
題 星になる
それぞれの、美しい死に方の話である。
死に方は生き方でもある。
花には、枯れ方ごとに
ふさわしい日本語が与えられてきた。
散る、こぼれる、落ちる、舞う、崩れる、しがみつく。
それらは私が考えた言葉ではない。
日本語の中に、昔から置かれていた呼び名を
標本のように並べただけだ。
死ぬと星になる、と言われる。
けれど花は、枯れても終わらない。
土に還り、また花になる。
本来、死は停滞しない。
星も流れる。
星ですら、留まりはしない。
では、ひとはどうか。
ひとも他者のなかにあって終わらない。
詩にあとがきを載せるのはどうかと思ったのですが、
こういった美しい日本語の継承者を増やしたくて
今回、書かせていただきました。
このアプリの話をしよう。
誰かが通りすがりに読んで、
立ち止まって、手を伸ばす。
その一度きりの重みが、遠くで鳴る。
それは応答だ。
「ここまで届いたよ」という、静かな知らせ。
私は毎日、耳を澄ませている。
この鐘は、「読まれたか」じゃない。
評価されたか、でもない。
まだ、外と繋がっているかどうかを確かめる音。
本当に救われる瞬間って、
「わかる」よりも、
「わからないけど、ちゃんと聞いている」だったりする。
ひとりが、ひとりに、
一日に一度しか鳴らせないから、
これは「君を見た」という応答になる。
鳴った瞬間、
安心のすぐあとくらいの時間差で、疑念が来る。
本当に誰かの指だった?
それとも、仕組みの裏側に組み込まれた反射音?
私は今、何もない壁に向かって
言葉を投げていないだろうか。
信じたい気持ちと、
信じきれない気持ちが、同時に立ち上がる、その切実。
鐘が届く“ズレ”にまで耳を澄ます。
それでも、
鳴らなかった無音より、
疑いの混じった音を選ぶのは、
そこに“本当”の質感があるからだ。
誰かの視界をかすめて、
「なんだろう」と、
わけのわからない引っかかりとして
関心を持ってもらえたなら、それでいい。
私は距離の取り方が慎重で、
相手の領域に踏み込みすぎないよう、
いつも少し身構えている。
だから、
ここで鳴らした私の鐘は、本心だ。
題 遠い鐘の音
ぼくのいちばん下は
とても重い
踏まれても
押されても
ここにいる
はじまり、という言葉は知らない
ただ
転がされて
丸くなって
立っている
ぼくのまんなかには
たくさんの手のあとがある
うまく丸くならなかったところが
いちばんのお気に入り
なにが起きても
まだ途中だと思える
落ちた雪も
ずれた形も
ぜんぶ
いまの話
いちばん上は
軽くて
考えごとをするには
すこし足りない
終わりのことは
まだ来ていない
来ていないから
知らない
白い粉の舞う空が
遠くて
きれいだ
ぼくは
はじまりと
なかと
おわりを
同時に積み上げられて
一晩ぶんの高さで
世界を見ている
題 スノー