ここは『君と紡ぐ物語』の中、つまり僕と君が主人公の、二人は幸せに暮らしましたとさ、ってベタなエンドロールを出しっ放しの、世間的にはありふれた話だったはずで。
僕があの日、彼という新しい登場人物を君に紹介してしまったことで、紡ぎ糸がよれ、物語に綻びが出来てしまったのだ。
そして君は、それを上手に隠しているつもりで、けれど表向きは、僕とのハッピーエンドを続けていて──ふーん、そんな二重構造の話だったなんてね、さて。これから……どうしようか?
ここにある綻びを指さして、それから? いや、それとももう少し、綻びに気づかないフリをしてみようか?
『霜降る朝』にランドセル背負いつつ見つけたシモバシラ、あれを踏むときのあの音がまさに『失われた響き』だよな、って思った。シモバシラ、都会ではもう滅多に見つけられないし、見つけたとして、踏んでいい場所じゃないことのほうが多いのかな?
──『心の深呼吸』をしてみましょう。
「だって!」
「はあ? なんでオレが、」
──深呼吸のコツは、まず初めに息をゆっくりと吐き切ること。心も同じです。心の二酸化炭素をゆっくりと吐き切りましょう。
「心の二酸化炭素って、愚痴とかってこと?」
「吐き切るまでグチグチ言い続けるんか」
──心がカラッポになりましたか?
「ほとんどバイト先の店長の悪口だったかも」
「まぁ……お互いしゃーねーだろ」
──今度は、心の酸素を吸い込みましょう。あなたの好きな物を、あなたの五感で、思う存分吸収します。
「ボクはやっぱり、推し活だね!」
「ふーん。推し、か。オレにとっては……」
──パートナーとお互いの良いところを認め合ったり、ハグをしたりするのも効果的です。
「ボクに懲りずに、いろんなコトに付き合ってくれるの、すっごくうれしい! ありがとね!」
「お、おう。オマエのそういう素直なところが、オレは、」
「よし! じゃ次は、ハグしてみよっか!」
「っ、マジか……?」
「パートナーってヤツじゃないとあんまり効果ないかもだけど、」
「あーいや、まぁ試しにやってみてもいい……ゲフッ、急に飛びついてくんな!」
「わー、ボクと違って筋肉あるよねー」
「えーと……心の酸素が……濃いめ……」
「んん? なんか言ったー?」
家の中に出る蜘蛛を殺しちゃいけない、って言うあれはね、あの蜘蛛はアナタやアナタの家族専属の『時を繋ぐ糸』を吐く蜘蛛だから、なんだよ。
ほら。ふいに、自分が子どもだったころのことやなんかを、思い出すことがあるだろう? あれはアナタの蜘蛛が、吐いた糸を過去へ向かって投げて、パッと捕まえるから。まぁ投げ輪が上手くない蜘蛛もいれば、糸をしっかり網に仕立てている蜘蛛もいるし、それぞれなんだけど。それでボクらは、その蜘蛛の糸経由で、過去に繋がって……。
ああ、それでね。実はね、ボクはうっかり、ボクの小指くらいの大きさの蜘蛛を、潰してしまったことがあって。そしたら別の蜘蛛がやって来て、そいつは、糸で過去を絡め取るのが嫌なくらいに上手くて。余計なことすんなよ、って言いたくなるくらいに、ボクの嫌な過去ばっかりを、ボクに繋いでくるんだよねぇ。そう、まるでボクを、狂わせようとしてるみたいに……。
──オマエは。
時を繋ぐ糸吐く蜘蛛を、殺めた者。
……って、そんな声も糸経由で、うるさいくらいに聞こえてくるし……あーうん、そっかそっか。
もし、代わりに来てくれたこの蜘蛛を、ボクがまた潰してしまったら。そのときはまた、新しい蜘蛛がやって来て、その蜘蛛は、もっと大きな声でボクを責めて、もっと上手にボクの忘れたい過去だけを絡め取ってくる……だってさ!
わかった、わかった。ボクはもう蜘蛛を潰したりなんかしない──けど、ハサミでこの糸を切るくらいの抵抗は、させてもらおうかな?
駅から住宅地へと続く並木道の途中に、私の店はあって。この道に延々と植わっているのはユリノキなんて可愛らしい名前の、だけど昔からある並木道だけあって、そこそこ育っている立派な木で、夏にはその大きな葉っぱで直射日光を遮ってくれたりもするのだけれど。
「……わあ。今日も、大量」
店先はまさに『落ち葉の道』って感じで、アスファルトのはずの地面が見えないほどの、大きな葉の、たくさんの落ち葉が……。
あーもう、店の体面的にも、この状態はマズい。
でもバイトさんたちの出勤時間まで、まだだいぶ時間あるんだよねぇ。
出勤したばかりの私は、コックコートに着替えずに私服のまま、ホウキとチリトリのセットを手に、店の外に出る。ユリノキ、別名ハンテンノキ──なんでもこの大きな葉が、半纏の形に似ているからだそうで。
「いいデザインの葉っぱなんだけどねぇ……」
ふう、とため息をつきつつ、チリトリをガコンガコン言わせながら落ち葉を回収して、ゴミ袋に入れて……うーん。正直、メンドクサイ!
あーあ。こんなことなら、もう一つの物件のほうがよかったかも? なーんて……候補を最後の二つに絞って、考えに考えた末、いまのこの物件を借りて開店したわけなんだけど。もしあっちだったら、並木道じゃないから、こんな苦労はしなくて済んだはず、で……。
「あー……でも、それじゃダメだ」
「なにがダメなんですか?」
独り言に合いの手を入れられて顔を上げると、スバルくんが立っていた。
「おはよう。あれ、もうそんな時間かぁ」
「おはようございます。ユウナさんそれ、代わりますよ。あと、なにがダメなのか気になるんですけど」
「え? あーうん、まぁ独り言だからさ? こっちはもう終わりそうだから大丈夫、仕込みのほう頼むねー」
スバルくんを無理矢理店の中に押し込み、私は掃き掃除を再開する。
顔がニヤけそうになりながら、思い出すのは──面接のときの、スバルくんのこと。
『志望の動機、ですか? レストランで働いてみたかったのと、あとは……お店の場所が、住んでるアパートから近かったので』
そう、もう一つの物件だとスバルくんのアパートからは、電車の乗り換えもあって通いづらくて、だから──スバルくんとは、会えなかったかもしれないのだ。
「うん。この物件に決めて、よかった!」
掃き終えたアスファルトにひらり、と落ちてきたユリノキの葉を、指でつまみ上げながら。
私はそんな独り言を、盛大につぶやいたのだった。