古菱

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2/10/2026, 8:32:34 AM

お題:花束

 突き抜けそうなほど青い空の下で、こちらに向かってカナタが花束を差し出す。私はなにも言えなかった。言ったところで今のカナタにはなにも聞こえないだろう。
 額に汗が浮かび上がるほどの暑さの中、カナタはきっちりワイシャツを着ている。私相手ならもっとラフな恰好でいいのに。それでも彼なりに考え抜いた服装だと思うと、いろんな感情が混ざりあって口元が緩む。そのままカナタはあるべき場所へと花束を置いた。私はそれを見下ろす。鮮やかな原色と白色の花がいくつも束ねられている。
 花束をもらったのはこれが初めてだ。
 今までカナタからプレゼントをもらったことはある。ただ、ここまで綺麗だと感じることはなかった。花なんて飾るだけで実用性はないと思ってたけど、案外悪くない。
 嬉しさのあまりこのまま空の高いところまで飛べそうな気がしてくる。私とは対照的にカナタは顔をうつ向かせていた。下から覗き込んでやると、眉根をぎゅっと寄せてなにかを耐えるような表情をしている。
 そんな顔しないでよと思ったけど、私がカナタと同じ状況だったらきっと似たような面持ちしかできないだろう。
 軽く飛んでカナタの前にある灰色の石に腰かける。足をぷらぷら揺らすと、透けた足越しにカナタの頭が見えた。
「死ぬ前に好きって言っとけばよかったなあ」
 口にするけど私の声はもうカナタに届かない。
 蝉の鳴き声に紛れてカナタが声を押し殺してるのがわかる。
 うつ向いたカナタの頬からいくつも雫が垂れて、足元に濃い染みを作った。

2/9/2026, 3:17:06 AM

お題:スマイル

 笑顔が可愛いっていうのは可愛い女子に必要不可欠な要素だ。
 可愛い女子からほど遠い私は、夕暮れの教室で重いため息をつく。
「笑顔が可愛い女子っていいよね」
「はあ」
 江田は、男にしては綺麗な字で学級日誌を書き続けている。一応反応はしてくれたものの、こいつ急にわけわかんないこと言いはじめたな、という雰囲気を隠すことなく纏っていた。そんな江田に構わず私は続ける。気配りしなくて済む江田との距離感は心地よい。
「印象いいし、女の私でもたまにどきっとする」
「お前よく笑ってんじゃん」
「私のは『ぎぎぎ』って感じ。可愛い笑顔は『にこっ』なの。全然違う」
 スマホのカメラロールを見て顔をしかめる。この前の文化祭で女友達と撮った写真で、私は不細工に前歯を見せていた。全然理想の笑顔じゃない。
 上手く笑顔を作れないから、写真を撮られるのが苦手だった。口角を上に引き上げて歯を見せればいい感じの笑顔になれると思ってたのに、顔が引きつってて全然可愛くない。歯医者の検診でもないのに、いーっの口をしてるだけだ。
 学級日誌がぱたりと閉じられる。江田は無事に日誌を書き終えたらしい。スマホから顔を上げた私と江田の視線がかち合った。
「俺はお前が笑ってんの可愛いと思うけど」
「はあ?」
「自然な感じがいい」
「この写真とか見てよ。全然可愛くない」
 とんちんかんなことを言いはじめた江田にスマホの液晶を押し付ける。引きつった顔でピースする私と友達の写った写真。「ほら絶対私よりこっちの子の笑顔のほうが可愛いって」と指さしたけど、江田はスマホを一瞥したあと真顔で私を見て言った。
「あばたもえくぼってやつなんだろうな」
「あば? なにそれ死の呪文?」
「ちげえよ。辞書引きゃわかる」
 頭の悪い私には江田の言いたいことがさっぱりわからない。
 難しい宿題を前にしたときと同じように途方に暮れる私を放って、江田は荷物をまとめる。肩に鞄をかけて学級日誌を手に江田はそのまま教室を出て行った。

2/8/2026, 12:58:45 AM

お題:どこにも書けないこと

 私の恋人には婚約者がいる。
 スマホの画面に入力したその一文、あとはボタンをタップするだけとなった段階で指が止まる。そして文字をすべて消去した。スマホを鞄に仕舞い、タクシーの窓の外を流れていくネオンをなんとなく眺める。
 どこにも書けないことを教えてください。
 匿名掲示板で偶然見つけたトピックが気になっただけだ。好きな人がいる、悩みがある、いろんな人がいろんなことを書き連ねていた。返信はあったりなかったり。書き込んだところで不特定多数に一瞬で消費されるだけなのに、それでも指が動いてしまったのは現状に不満があるからかもしれない。
 私の恋人には、私とは別に将来を約束した婚約者がいる。その存在を知らされたのはつい一週間ほど前のこと。突然現れた婚約者の存在に言葉を失った私は、「俺も昨日聞かされたばかりなんだ」と狼狽する彼になにも声をかけることができなかった。
 じゃあ別れよう。そう告げれば終わりなのに、たった一言を私も彼も言い出せない。掲示板に書き込もうとしたのは、誰かに背中を押してもらいたかったのかもしれない。
 開きっぱなしの鞄からスマホが明るくなったのが見える。画面を見れば彼からのメッセージを受信していた。「次はいつ会おうか」なんて来てるものだから、彼は私と同じ閉塞感を味わってないんじゃないかと思ってしまう。
 メッセージに返信はせず、目を閉じてタクシーの揺れに身を委ねる。きっと私はこのことを誰にも明かすことはできない。

2/7/2026, 5:18:38 AM

お題:時計の針

 ほてった身体が掛け布団の冷たさで落ち着いていく。
 隣で一緒に布団にもぐっているレンさんを見上げた。
「あと何時間いられる?」
「三時間くらいかな」
 大きな手で頭を撫でられる。その心地よさに安堵してしまいそうになるけど、三時間後にレンさんがいなくなってしまう事実は変えらない。時間が止まればいいのにと思う。
「どこか行きたいところない? 君と会うときはいつもこういう場所ばかりだから」
「こういうとこも嫌いじゃないよ。景色が綺麗だし」
「それならよかった」
 剥き出しの肩に触れるシーツは上質なようで、とてもなめらかな感触だ。
 私がレンさんについて知ってることは多くない。会うのはいつも広くて高い階の部屋だから、お金持ちなんだと思う。あと顔がよくて、意外と身体はがっしりしてる。こんな非の打ち所のないレンさんを私が一人占めできてるなんて信じていない。私みたいにレンさんと関係を持つ女はきっと他に何人もいる。ただ、それを問いただす勇気はなかった。
 存在が溶けてしまいそうなほど眠い。まぶたを擦っていると、穏やかな笑い声が降ってきた。
「眠かったら寝ていいよ」
「やだよ。せっかく一緒にいられるのに寝たらもったいない」
「隣にいるから大丈夫だよ」
 ずっとは隣にいないくせに。レンさんは嘘つきだ。思うけど、それを言ってしまったら私はレンさんを縛る面倒臭い女になってしまう。レンさんとの関係を続けるためには聞き分けと都合のいい女でいなければならない。
 ちっちっ、と時計の針が小さく時間を刻む音が聞こえる。この音を気にすることなくレンさんと一緒にいられればいいのに。そんな日が来ないことを知っていながら、私は何度も同じことを願ってしまうんだろう。
 時計の針の音から逃れたくて、わたしはレンさんに抱きついた。

2/6/2026, 3:10:03 AM

お題:溢れる気持ち

 コップから溢れて机に広がるお酒を見た私は、込み上げる笑いを制御できず口を大きく開いた。
「あっはっはっ」
「笑うなよ」
「だって笑うなってほうが無理! そんなこぼすなんて子供みたい」
 それをやらかしたのが普段はしっかりしてるシュウゴだから、なおさら面白い。今日はなぜか表面張力の限界に挑戦したみたいだけど結果は惨敗だった。瓶を置いたあと、シュウゴは無言でティッシュを手にローテーブルを拭く。お酒のせいであらゆるものが緩んだのか、その様さえおかしく思えて私は口元を手で覆った。
 一年分くらいの笑い声を出したんじゃないか、そう思いながら後ろに手をついて天井を見上げる。見慣れたシュウゴの家の白い天井。いつもと同じはずの蛍光灯が、今日はふんわり浮いて見える気がした。
「お前だいぶ酔ってんな」
「あんたほど酔ってないしー」
「酔っ払いはみんなそう言うんだよ」
 こぼしたお酒を拭き終えたシュウゴが言う。ずずっと音を立てて、なみなみと注いでしまったお酒を啜った。
 今日はシュウゴの姿もいつもと違って見える。恰好いいのは相変わらずだけど、可愛くも思えてしまう。さっきお酒をこぼしてたからだろうか。
「好きだなあ」
 気づけば口から溢れてしまった。シュウゴの顔は驚きに染まっていて、いまさら発言を取り消すことはできない。
 シュウゴは職場の同期の中で一番気の合う存在で、二人で時々宅飲みをする仲だ。いつの間にか私はシュウゴを異性として意識してたけど、今までの関係を壊したくなくてずっと好意を気取らせないようにしていたのに。
「ああ。お酒の話ね」
 なんとか取り繕うために一言付け足す。
 これで騙されてくれないだろうか。そう願いながらシュウゴを見つめていると、見開かれていたはずのシュウゴの目は決意を宿しはじめた。
「俺も好きだって言ったら、どうする」
 抑えようと決めたはずの好意が、さっき机にこぼれたお酒みたいにじわじわ広がる気配を感じた。

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