何年か前までは、半袖姿でずっといることはなかった。Tシャツを着ても、何かしら羽織るものを着て、日除けや冷房の寒さ対策をしていた。
でもこのところの暑さは、すごい。
日傘をさしても、下からもジリジリと熱が押し寄せる。二枚服を重ねるなんて耐え難く、とうとうTシャツ一枚で出掛けることが多くなった。
先日、お店でふと手に取った、半袖のシャツ。
サラサラッとした生地が気持ちよさそうで買ってみた。それが、すごく良かった。
少し大きめなのもよくて、風が吹くと、脇や裾の隙間からサーっと風がとおる。
おー! 涼しい。
半袖シャツの良さに改めて気づいた。
すっかり気に入って、最近こればかり着ている。
「半袖」
もしも過去へと行けるなら、私は、前と違う選択をすることはできるのだろうか。
やっぱり…って思って、もとのままになってしまうかもしれない。
あの出来事や、私の選択は、結局その時々でなるべくしてそうなっているのではないか。
でも、やっぱり、あの時こうしていれば…なんて考えてしまう。
それならば、何度だって過去へ行ってみよう。
何度も何度も経験してみて、もし、それが必然だったと分かったとしても、今の思いを変えたらいい。その時の私には、それがベストだったのだ。
その選択だったからよかったと思おう。
「もしも過去へと行けるなら」
以外と気付きにくくて、訳がわからなくなったり、悲しくなったり。
すごく大切なのに、時々とんでもなく怒りが込み上げてきたりする。
それを表現する方法がわからなくて、思ってもみない行動をとる。
それでも大事なときに、自分の思いを超えて、ぶわっとあふれ出てくる。
気付くと、とてつもない安心感と、うれしさに包まれる。
「True Love」
また会いたいと思っている、あんまり親しくない人との別れ際、いつも私は少し緊張する。
「またね」と言われると、軽く安心する。
「また、いつか」と言われると、ちょっと悲しくなる。〝いつか〟は、もうない気がするから。
私がそれを言うときは、あいまいで消極的な〝会いましょう〟なのだ。
でも、分からない。もっと軽い〝いつか〟かもしれない。いつかは決めないけれど、また会いましょう、なのかもしれない。
やっぱり〝いつか〟はもうこないこともある。
でもその〝いつか〟が、思いのほかすぐきたりすると、何だかとてもうれしくなる。
「またいつか」
子どもの時に初めて星座表を見た時から、夜空に星座を探してみるのがクセになった。
冬の星座が一番探しやすくて、表で見たのとぴったりだったらうれしくなった。
でも、星はあんなにくっきり見えているのに、とてつもなく遠いところにあると分かった。何光年も離れているというとんでもない計算を聞いたら、頭がぼーっとして途方にくれた。
私には星について深く考えるのは無理そうだと思った。
それでも星を見るのは、楽しかった。
細かく、プルプル光が揺れる。
あの星の一つ一つが、ステキな可能性のような気がしてくる。
ちょっとため息がでる日も、星空の下では、私はとってもちっぽけだ。たとえ、追いかけるものがうまくいかなかったって大したことない。
それより遠くにある星を、めざしていけばいいかなんて思えてくる。
そして、今日もいつものように夜空を見上げる。
「星を追いかけて」