夏は、ひと休みの季節だと思う。
少しでも休む。だって暑いのだから。
ちょっと動くだけで、ひどい時は、ただそこにいるだけでも、汗が吹き出してきて疲れてしまう。もう、ちゃんとそこに生きているだけで、がんばっている。
だらだら過ごしても、なんならやらないことだって、暑いときは許されることもある、と思う。
暑すぎると、何だか眠くなってくる。体に休めと言われている。
日差しを浴びて、たくさんエネルギーをもらうのもいいけれど、木陰に行って風に吹かれる。
涼しいところで、ひと休みしよう。
「ただいま、夏」
年間パスポートを買うくらい水族館が好きと言う。案内してくれると言うので、行ってみることにした。
熱い日差しが照りつけるなか、水族館にたどり着いた。ひんやりした空気に包まれる。水と魚の群れが涼しげで、ほっとする。
一つ一つ丁寧に水槽を見ながら行く。何度も見ている景色だろうに、目を輝かせながら説明してくれる。
でも、水族館のカフェで、ひと休みしている今、ずっと無口なのだ。水槽の前では、あんなに話していたのに。
なんとか話題をつないでみるけれと、とうとう会話が途切れた。とりあえずニコニコしてみたら、笑顔だけで返される。仕方なく目の前の飲み物を口にふくむ。ぬるく気の抜けた、ただの青い水。
ああ。今の君も、この気の抜けた炭酸水のようだ。
「ぬるい炭酸と無口な君」
思いのたけを書いた手紙を手に、海辺を歩く。
波打ち際で、打ち寄せては、引いていく波をぼんやりと眺める。じっと見ていると、自分も引き込まれそうな気になってくる。
手紙もいっそ、海が運んでくれればいいのにと思う。海にかざしてみる。すると、手紙の中の文字たちが、はらはらと波にこぼれていく。ほろほろほぐれて、あちらこちらを行き来する。
しばらくすると、海の向こうの奥深くのほうへ引き込まれていく。するする、するすると。
それを眺めていると、なんだかすーっと心が軽くなってくるのだ。
「波にさらわれた手紙」
帰省して、ふるさとの街を歩く時は、なんとなく心のどこかで期待してしまう。ばったりと会えるのではないかと。
駅、駅前の自転車置き場、バス停の前で。いるわけないかと思いながら通る。
でも、本当に会いたいと思っているわけではない。お互いきっと変わってしまっているだろう。それを受け入れる準備は、全然できていない。
あの時の記憶を景色に重ねているだけなのだ。
でも、帰るたびに、心の深いところに沈めていた思いが、静かに波打つように感じられる。
「8月、君に会いたい」
最近の日差しがあまりにきつすぎて、サングラスを買った。日傘をさしても、下から跳ね返る日差しがすごく眩しかったのだ。
メガネ店で、色々かけてみる。どれが似合うかさっぱり分からない。お店の人に勧められたプラスチックフレームのものをかけると、なんとなくしっくりきたのでそれにする。
今度は、レンズの色を選ぶ。薄めから濃い色までたくさんある。薄めのものは、目元も見えて、怪しさ?が少し減る気がする。すると、店員さんが、「眩しさなら濃いめですよ」と言う。少しでも怖く?見えないよう茶で選ぶ。茶でも色々ある中から、肌うつりの良さそうなものを選んだ。
出来上がったサングラスをかけてみると、アレ? 思ったよりレンズの色が濃かったかな?
「これで眩しくないですね」と、店員さんがニコニコしている。鏡の中には、茶色のサングラスの人が写っている。見慣れない。
早速外でかけてみる。確かに目は楽だ。でもやっぱり落ち着かない。ショーウィンドウに映る自分の姿に、ちょくちょく驚きながら歩いている。
「眩しくて」