君が見た景色は、多分間違っている。
思ってもいない言葉と態度で、あたかも真実のように始まった現実は、そのまま続いてしまった。
何とか変えようとしても、それは、綿の海を転がるかのようにくるくると大きくなっていった。その固まりから、すーっと糸を引き出して、ネジれたものを少しずつほどいていく。でも、その下のほうからまたネジれてしまう。
それを繰り返して、絡まりながら必死にもがいていた。だから、君が見た景色は、真実ではない。
「君が見た景色」
思いを言葉にしようとして、なにを選んでいいのか分からない。色々と浮かぶ言葉はあるけれど、違う。これも違う。焦れば焦るほど、言葉はバラバラになって出ない。沈黙が積み重なる。
言葉がない空間は、余白が生まれる。その余白が層をなして不思議な深みになる。その空間に思いだけが漂う。
きっと言葉にしたほうがいい。
でも、たまにはそんな空間にいるのもいいかもしれない。
「言葉にならないもの」
子どものころ、スイカ割りをした。
ずっとやってみたかったので、楽しみだった。
海辺でビニールシートを敷いた上に、大きなスイカが用意されていた。順番にたたいていったが、なかなか割れない。
自分の番になった時、目隠しすると周りの人が「もっと右」とか「まっすぐ」とか誘導してくれる。砂浜は歩きにくく、足元がぐらぐらする。「そこ!」という声がしたので、思いっきり棒を振った。ゴンと当たったけれど、丸い形の端を力がするっと抜けた。
「あー」というがっかりした声がする。スイカは少しだけへこんだけれど、割れなかった。ついに次の人で、隅っこがグシャっとした変な形で割れた。スパーンと真ん中で割るのは難しいと分かった。
グシャグシャに割れたスイカは、生ぬるくて甘かった。そして、少しだけ海の香りがした。
「真夏の記憶」
コーンに乗せたチョコレートのアイスクリームが大好きだ。でも、上手に食べるのは難しい。よく服にこぼすのだ。特に夏は、お店で受け取ってすぐに溶けてくる。手に持ったコーンのフチから垂れてくるのを、スプーンでちょこちょこすくいながら食べる。
ちょっとゆるくなったのもいいけれど、冷たいかたまりを口に入れたい。急いで、慎重に食べ進める。それでも追いつかなくて、どんどん溶けてくる。とうとう、ポタっとこぼれ落ちる。
あっ。みるみる胸元に茶色い色が広がる。茶色は目立つのに、それでもやっぱりチョコレートアイスを選んでしまう。
「こぼれたアイスクリーム」
追いつめられて、感情がぎりぎりのとき。
公の場では、涙なんか見せたくないし、悲しい表情もしたくない。なんでもない顔をして、いつも通りに色々なことを進める。
でも、感情の器はすれすれで、ちょっとしたことで、こぼれそうになる。ぐっとこらえて、平常心に戻そうとする。
他の人には、気づかれたくない。かなうなら、自分だけのバリアを作ってその中にいたいくらいだ。なのに、ふとした時に、誰かが「大丈夫?」と声をかけてくれることがある。
「大丈夫」と言いつつ、感情の器が大揺れに揺れて、溢れてしまう。目にじわっと涙が浮かぶ。
やさしさなんて、いらないのに。心の底に溜まっていた固いかたまりがとけていく。
「やさしさなんて」