もしも、世界が終わるなら何をしよう。
好きなものを食べる? 何にするか迷いに迷って結局は普通のごはんとお味噌汁だったりして。
どこかへ行ってみる? 時間があるのなら、ステキな景色のところへ行く。海、山、行ってみたいところはたくさんある。きれいなところで、その時を待つのか。でも、知らないところは、怖いような気がする。世の中は、きっと大騒ぎしているだろう。のんきに旅なんてできないかな。
結局は、家にいるのだろうか。いざとなったら、何をしたいのかさえ分からない。きっと、いつものように過ごすだけかもしれない。
「もしも世界が終わるなら」
靴紐がよくほどける。きゅっと結んでいるつもりなのに、気づいたらプラプラ、垂れた紐が足に当たっている。面倒くさいなと思いながら、しゃがむ。後ろにまわしたバックが前に落ちてきたりして、つくづくやりにくい。なんとか結んだのに、しばらくするとまたほどけている。
一緒にいる人が「また、ほどけているよ」と言って、さっとしゃがんで結んでくれた。バックも前に落ちたりしないし、結び方もきれいだ。何だか申し訳ない。靴屋で、店員さんに結んでもらう時でさえ、落ち着かないというのに。
でも、ちょっとドキっとした。いつもこんなことする人なのだろうか。ぶっきらぼうにお礼を言って、なんだか気まずくなってしまう。
「靴紐」
どうして、あんなことになったのかと思うことはたくさんある。自分に問い続けてみるけれど、分からない。ナゾのプレッシャー? 思い込み?
そんなものに振り回されていたのだろうか。
でも、当時の自分を思うと、そうせざるを得なかったのかもしれないと思う。ずっと後悔のようなものを、心の中に溜め込みながら生きていくのだろうか。
それがあることに意味があるのか。もしかすると、その傷みがあるからこそ、分かるものがあるのかもしれない。時が経つと、その傷みは薄まってはいくけれど、消えてはいない。自分を許せない。ああ、それだ。ずっと許せない。許すことができた時、分かるのだろうか。
「答えは、まだ」
どうしようもなく、ずーんと気分が落ち込んだ時は、旅に出るのがよかった。いつもの癒やしスポットもいいけれど、日常の場所ではないところへ。
本当は、動く気もしない。でも、じっと家にいても色々と考えてしまう。誰かと一緒にいる余裕もまだない。思い切って、旅に出てみる。
まだ頭の中は、そのことでいっぱいだけど、だんだん目の前のことに気をとられてくる。
その旅では、見るものの印象が強く感じられる。ただでさえ感情が大きく動いていたのだから、心にずんずん入ってくる。美しいものは、いつもよりもっと美しく見える。気付けば、悲しみを全く忘れることはないけれど、少し後ろに追いやられている。それは、時が経って悲しみが癒えた後でも、大切な思い出として心に残った。
「センチメンタル・ジャーニー」
夜の雰囲気は、感傷的になる。二人で並んで歩く道は、ぼんやりと明るい。青暗い中、月の光が君の顔を照らし、青白い陰影を作る。その横顔はいつもより物憂げで、やさしく見える。私の顔も月の効果でよく見えたりしていないかな。
伝えたいことがあるのに、なかなか言い出せない。こちらを見て笑う君の顔をずっと見ていた。二人はこのまま変わらないのだろうか。ふと、会話が途切れる。「月がまんまるだよ」と月に話をふった。「満月かな」。
月は大きくて、ふるふると揺れているように見える。じっと見ていると、月はじんわりと温かい熱を帯びて、線香花火のようにぽとっと落ちてきそうな気がした。
君と見上げる月…🌙