お題《私の日記帳》
朝カーテンを開けて。
ベランダの植物に水をやって。
それからキッチンに降りて、紅茶を淹れて、パイを焼く。
グラスと皿を磨いてから、愛猫のサーラにごはん。
焼けるまでの間――文庫本を読みながら、熱々の紅茶で、頭を目覚めさせる。
今焼いているのはシュガーバターのアップルパイ。
オーブンから香る匂いに胸をときめかせながら、私は彼を待つ。
もうすぐ帰ってくるのだ、王立天文台から。
今日はゆっくり、朝を過ごそう。
彼の好きなものをいっぱい作って、今日は朝からりんご祭りだ。カゴいっぱいのりんごを見つめながら、夢想する。
――パイが焼けたことを知らせる音。読みかけの文庫本を片手に、私は慌てて席を立つ。
開かれたハーブ色の手帳には、彼の好きな料理レシピをたくさんしたためて。
お題《向かい合わせ》
もう二度と逢うこともない。
呼び出された中央の広場。
花売り、レモネード屋さん、飴屋さん、アイスクリーム屋さん、本屋さん。たくさん並んでいる露店から男は――レモネード、飴、アイスクリームを買って戻ってきた。
「……誰がそんなに食べるの」
「オレとお前に決まってるだろ?」
男の反応に思わず吹き出してしまう。それから広場のベンチに座り無言のまま二人で、アイスクリームを食べる。蒼天のサイダー味と月蜜のバニラ味。食べ慣れた味に、思い出す夢。
――お兄ちゃんのお目々、このアイスみたいだねぇ。
――ほんとだな。じゃあお前はこれだな、月蜜のバニラ。やわらかい感じがそっくりだ。
その日食べたアイスクリームは、今までで一番美味しかった。
淡々とレモネードを飲む。
――このレモネード、青いよ?!
――そういうハーブを使ってんだよ。母さんが確か育てたから、見にくるか?
ハーブ畑を見せてくれた。ハーブで作ったという料理をたくさん、食べたなあ。
それから立ち上がって――お互い向かい合う。
すっと手渡されたのは、色とりどりの飴。
「これやる。――じゃあな、祈ってるよお前の幸せを」
…………ぜんぶ。ぜんぶ、おれの好きな味なんだね。
本当は追いかけたい。
――でも。それはもう、おれの役目じゃないんだ。
口の中、深く溶けていくレモネード味。
お題《海へ》
私の故郷の海。
美しい翡翠の海へ還ろう。
泡となって消えれば。
泡沫となって、天に昇ってしまえば。
――それでも足を止めてしまうのは。
まだ、あなたを想っているから。
まだ――あなたを……。
この先の行く末が明るくなくても。
知っていたとしても、私の愛したあなたは今でも照らしてくれるの。
月灯りの海に祈る。
あなたとの希望を――――。
お題《裏返し》
神様に遊ばれるくらいなら、こっちが遊んであげる。
表舞台見事華やかに演じてみせましょう。
砂の楽園。
淡く染められた布が水面に散る。
月灯りを織り込んだような長い髪の少女は、氷青の瞳の少年に口づけをする。心身が溶けてゆくように、堕ちていく――美しい少女の鈴とした声とは遠いほど、その声は星屑糖(こんぺいとう)のようにあまい。
少年は思った。
この少女が神とするならば――《禁忌》かもしれない、と。
少女は神となり、少年と遊ぶ。
お題《鳥のように》
鳥は不変なのだよ。
風の国は別名《鳥の王国》。
ここへ訪れるには、風にのってこなければならない。
対の鳥がいる者ならば風に乗るのはたやすく造作もない事なのだが、風と縁のない者はまずたどり着く事さえできないのだから。
なんとか聖なる風吹く崖にやっとの思いで立つ事はできても、つまり風の国へは行けない。――無謀だよなあ、なんとかなる思考。己の馬鹿さ加減に呆れつつ、昏い昏い底から吹いてくる風にゴクリと喉を鳴らす。
これ、落ちたら助からないよな……?
俺は気づかなかった、この時すでに鳥がいたことに。
「もっと近くで、覗きませんか? いい風ですよ」
「は? そんなの死ぬじゃん――って、え!?」
頭上にいる男が、楽しそうに観察している。――鴉みたいに真っ黒だ全身。年齢に関しては青年くらいに見えるが、実際どうなのかは知らない。
「ああ失礼。人間は鳥じゃないですもんねぇ」
「悪かったな」
「いや? 悪くはないんじゃないですか。――鳥は不変ですが、人間はそうじゃないのですから」
「もーどっちなんだよお前」
「お前、ではなく――クロウです。あなたは、鳥の王国に行きたいんでしょう? もし私の手伝いをしてくれるのなら《対の鳥》になってもいいですよ、さあどうしますか」
これは夢が叶う唯一の方法かもしれない、俺はリスクなどまったく考えず即答した。
「ああ!!」