空を見上げる。
雲ひとつない真っ青の空。
僕はコンビニ弁当を片手に、ベンチに腰かけていた。
10分前に昼休みに入り、やっと見つけた1人になれる場所。
昼休みは残り20分。
本当は定食屋にでも行こうかと思ったのだが、とても混んでいて、並ぶのを諦めたのだ。
コンビニに寄り、会社に戻った僕はこのベンチを見つけた。
澄み渡る青さが気持ちいい。
会社の裏ということもあり、静かで落ち着く。
コンビニ弁当を開け、手を合わせ、小さな声で「いただきます」と言う。
今日も幕の内弁当にした。
卵焼きから食べるのが僕の食べ方。
うん、いつも通り、美味しい。
しばらく食べていると、誰か来た。
同じ部署の部下だった。
彼は不器用で、仕事も遅い。
その分、丁寧なやつだった。
彼は向かいのベンチに座った。
彼も昼ご飯を食べにきたようだった。
僕が食べ終わり、立ち去ろうとすると、彼は僕に話しかけた。
「あの」
「ん?」
「相談があるんですけど…」
彼は僕が1人になるのを待っていたらしい。
ポツリポツリと彼は話し始めた。
この青く澄み切った空に似つかわしくない、とても大きな悩みを。
遠くの空へ
僕の思いが
届きますように
貴方に会いたい
僕は言葉にできない苦しみの中で生きている。
もう少しで死ねたのに。
周りの人から否定され、拒絶され、苦しかった。
今でも思い出す。
何もかもが敵だったあの日々。
味方なんかいなかった。
ただただ苦しさと辛さと。
それまでの僕の心の支えもなくなっていた。
生きていては駄目だと幻聴も聞こえた。
死のうとした。
朝起きた時に、なぜ死ねなかったのかと自問する日々。
一生癒えない傷になった。
心は前より脆くなった。
身体にも傷が残った。
それを一生抱えて生きていかなければならない。
苦しい。
将来を考えると今も消えてしまいたくなる。
今を生きている僕は前よりはマシなのだろうか。
本当は生きていたくない。
でも、もう誰にも言えない。
まさかもう一度春を迎えられるなんて思ってもなかった。
言葉にできないこの思いと、
言葉にできない苦しみを抱えて、
僕はもう少しだけ生きていかなければならないらしい。
───春爛漫の候、お元気にお過ごしかと思います。
貴方がそばにいない春。
貴方への手紙に僕は何を書こう。
僕は大学進学と同時に、県外に引越した。
そして、貴方は転勤となった。
僕も貴方も、
一緒に過ごしたあの場所にはいない。
僕らが出会ったのは、3年前の春。
校庭には満開の桜。
親密な関係になったのはそれから1年後。
僕らの接点は少なかったけど、僕は貴方が好きだった。
貴方と過ごしたあの場所は、
僕にとってはかけがえのない宝物。
満開の桜が見えるあの場所。
蝉の声が響き渡るあの場所。
鈴虫の鳴き声が聞こえたあの場所。
雪がうっすらと積もる校庭が見えるあの場所。
貴方にとっては、
なんの思い出も無いかもしれないけれど、
僕にとってはひとつひとつが思い出。
大好きな貴方と一緒の時を過ごせたあの場所。
そしてもう1つ。
僕は貴方のそばにいるのが好きだった。
もう一度、貴方に会いたい。
そんなことを書いてもいいのだろうか。
迷いながら筆を進める。
最後のひと文。
相応しい言葉では無いかもしれないが、
書かずにはいられなかった。
───貴方の笑顔が春爛漫のようでありますように。
僕は朔が好きだ。
僕は月が嫌いだ。
折角の漆黒の夜に明かりを灯す、あの月が嫌いだ。
だから、僕は、月光がない朔が好き。
僕は、自分の名前が嫌いだ。
“朧”
龍から、すぐれた人になるように。
月から、優しい光で包み込むような人になること。
僕の名前の由来。
馬鹿げているだろう?
朧には、月が曇ってぼんやりしたさま、だとか、物の姿がかすんではっきりしないさま、という意味がある。
僕は、一生、曇っているんだと、この名前から突きつけられるような気がする。
だから、僕は僕の名前が嫌い。
そして、月も嫌い。
曇っている月なら、無い方がいい。
僕の名前を決めていいのならば、朔がいい。
月のように優しい光で包み込めるような人でもない。
龍のように優れている訳でもない。
じゃあ、僕は一体何者なのだろう?
僕は誰よりも、ずっと、月が嫌いだ。
そして、誰よりも、ずっと。朔を待ち望んでいる。