「焚き火の上で杖を一振りすると、あっという間に雪は溶け、木の葉は茂り、植物はみなすずなりに実をつけはじめました。」
昔話のそんな一説を、みんなで灯火を囲んで聴いた。
“楽園”には学校がなかったから、お話を聴くのはいつも一日が終わった日暮れの時間で、子どもたちはみんな、もう力仕事ができなくなってしまった、“口ばかり”と呼ばれる話し手の家に集まって、昔話を聴いたんだよ。
こうやって、ロウソクか、囲炉裏の火か、何かしらの灯火を囲んでみんなで話をしたものだ。
あの時はまだ楽園も万全な体制で、楽園内で反乱者なんて信じられないくらい治安が良くて、政府への不平不満なんかもなくて、楽園が、それ以外の土地からやっかみを受けるくらい栄えていた時だった。
楽園内はいつだって明るくて、賑やかで、移住者に溢れていた。
本当さ。
今じゃ、見る影もないがね。
こうなってしまったきっかけは、意外と最近だが、今から3年前のことだ。
ある人間がね、11月を怒らせてしまったんだよ。
あの大きな焚き火のもとで。
灯火を囲んでいた月たちに失礼を働いた人間がね。
その人間は一応、人間の暮らす楽園地域の代表ってことになっていたから大変だ。
それからこの地域は、永遠に11月が続くことになった。
秋が延々と続くんだよ。
それはそんなにいいものじゃないさ。
土が栄養を蓄える冬も、植物が成長する夏も、動物が恋をする春も、来なくなってしまったんだから。
今じゃ楽園は、ただ紅葉だけが色づく、ただの秋山に成り下がってしまった。
昔は楽園の人間も、こうして灯火を囲んで話していたものさ。
楽園の人間だけでなく、精霊も、獣も、私たち蓑虫だってね。
今では、この地に住み、灯火を囲んで話す余裕があるのは蓑虫ばかりになってしまった。悲しいことにね。
さあさ、これで私の辛気臭い昔話は終わりだよ。
客人も、しばらく灯火を囲んで温まっていくといい。
11月は案外、冷えるからねえ。
蟻とキリギリスと熊とヤマネ…
もっこもこの冬用布団を押し入れから引っ張り出し、乾燥機のチューブを伸ばす。
冬支度をする生き物は、蟻とキリギリスと熊とヤマネと…あと何がいただろうか。
ともかく、冬支度をする冬眠勢の生物の手際の良さと比べたら、俺の冬支度の仕方は、なんだか間違えているような気がする。
ヒトの作った家で寒さを凌ぎ、ヒトの作った布団を暖め、ヒトの作った制度に守られる。
俺は寄生生物だ。
俺たちの種族は、もともと蟻やキリギリスや熊やヤマネやハムスターや…秋になると冬支度をする生物を選んで寄生していた。
生物が冬支度の用意をしたその蓄えを、いくらか拝借して、春になって寄生先の生物が余所者を排除する余裕が出る前の晩冬に、ありったけ蓄えて逃げ出す。
そんな生態をしているのが、俺たちの先祖だ。
ある日のある時代、どういうわけか、俺たちの先祖に、ヒトに寄生する奴が現れた。
長い間、寄生虫や汚いものを避けて暮らしてきたヒトという種族は、寄生に関して無防備だった。
寄生は成功し、ヒトに寄生する特異な俺たちは増えた。
こうして生まれた寄生生物の、その子孫が俺、というわけだ。
無防備なヒトという種族には、冬に限らず一年中寄生できた。
ヒトの脳に達し、社会に溶け込むことができれば、それこそ、その個体の寿命が訪れるまで、俺たちはぬくぬくとヒトとして過ごすことができた。
やたらめたら薬を飲むヒトの生態に適応した俺たちには薬物耐性が備わり、ヒトの中で俺たちは栄華を極めた。
考える余裕が生まれた俺たちは気づいた。
俺たちはもともとの種族からあまりにかけ離れてしまった。
それだけではない。
俺たちはヒトとして快適に過ごすために、同族の寄生先の生物をことごとく駆除した。
ルーツから遠く離れた同族殺し。
その気づきは、ヒトに寄生する俺たちの精神に影を落とすことになった。
俺たちの数は減った。
自分の生き方に絶望して、ヒトの身体ごと自ら命を断つ個体が複数現れた。
特にこういう、冬支度の時期になると、その数は増えた。
みんな考えてしまうのだろう。
自分がやっている冬支度は、間違えていると。
違和感を告げる大昔の本能と遺伝子に刻まれた罪悪感が、俺たちの冬支度を否定し、自殺に走らせる。
俺は乾燥機のスイッチを入れる。
テレビでは、生物番組をやっている。
冬眠をする生物の特集を組んだ番組だ。
俺は間違えている冬支度を進める。
きっと明日にも、いくらかの同族が死ぬだろう。
そう思いながら。
とりあえず時を止めてもう一度
考え直したい秋の暮れ
腕時計、電池交換しようとす
夕に子は言う「時を止めて」と
ススキの穂ざらざら揺れる月見酒
時を止めて、と風に頼みたき
水面にはらり落ちたるもみじの葉
時を止めれば描けていたのに
大人たちそのまま時を止めてと言う
子供の社会も人間社会
「今日日、この匂いをキンモクセイだと答えられる人間は少ない」
秋に棲む黄金色の鬼は、そう言って、秋晴れの空を見つめていた。
なんとなく寂しそうに見えるそんな横顔を見ながら、私は黙って焼き芋を頬張った。
初めて認識したキンモクセイという花は、大人たちが大仰に褒め称える花にしては、小さくて、地味で、華やかさに欠けていた。
空は真っ青な秋晴れで、見える範囲では快晴だった。
目だけでこちらを伺っていた鬼は、呆れたようなため息をひとつ吐いて、キンモクセイを見上げた。
「まあ人間は、思い込んだら、何事にも尾鰭をつけて大袈裟に言うものだしな」
秋に棲む鬼は、そんなことを言って、ふっと微笑んだ。
私は、黙って焼き芋の皮を爪で摘んで剥いた。
ホクホクの焼き芋の黄色い中身は、ほんのり甘くて美味しかった。
「…花より団子の人間ってかなり多いよな」
私が黙って差し出した焼き芋の半分を、鬼は慎重に受け取ってそんなことを言った。
私は話したくなかったから、俯いて、頷いた。
鬼は苦笑して、焼き芋を齧った。
キンモクセイは大人が言う割にはずっと小さくて、地味で、華やかさに欠けていて、匂いすらも素朴だった。
私みたい、何もできない私みたい、そう思った。
けれど、そう思ったことを、秋にも大人にも誰にもバレたくなくて、私は黙ったまま焼き芋を齧った。
鬼が微かに顔を歪めて、それから、ずっと穏やかそうな表情でキンモクセイを見上げた。
真っ青な秋晴れの中に、キンモクセイの匂いがした。
僕の友達は化け物だ。
普段の外見は、どこからどう見ても人間にしか見えないけれど、化け物だ。
僕は、それを知っている。
どこにでも溢れている人が、人であるか人ならざるものなのかを見分けるコツは、その人の影を見ることだ。
地面に映る影でも、水面に映る影でも、鏡に映る虚像でも、とにかく、そういう映る影を見れば、人と人でない人は見分けられる。
けれど、そうやって正体を見分けられたところで、肝心なその人が自分にとって危険なのかどうかは分からない。
人間だって悪い奴は悪いし、人じゃない生物だって、大半の奴は普通の人間と変わらない、普通な奴だからだ。
そして、僕の友達は、人に化けて生きている化け物であり、化け物にも人間にも一番多い、ごく普通の、凡庸な奴だった。
アイツの影はいつだって揺らめいていて、無数の目玉がこっちを向いていた。
アイツに初めて会って友達になった時、アイツだって、僕だって、どっちも幼い、妖怪だか人外だかなんて知らない、小さい小さい時だったから、僕たちは同じくらいの歳の子をみんな巻き込んで、無邪気に遊んでいた。
影踏みだってしたことがある。
鬼になってアイツの影を踏もうとする時は、無数の目玉がこっちを睨んでくるので、みんな踏むのを戸惑ってしまう。
それで、アイツはいつも、影踏みになると最後まで残った。
そして、僕がアイツの影を踏むまで、影踏みは終わらないのだった。
僕たちが大きくなって、大人に近づいていくにつれて、アイツが化け物であるということ、影が尋常ならざるものであるという記憶は、僕たちの仲間うちで、どんどん薄れていったようだった。
しかし、僕だけは覚えていた。
アイツが気のいい化け物で、影踏みがめっぽう強くて、水辺に行く時、いつも水面に映った顔を見られないようにしているということを。
僕はアイツとずっと一緒にいるものだと思っていた。
おかしいとは思っていたのだ。
アイツと疎遠になる友達が増えてきて、アイツのことすら忘れてしまう人が増えてきた。
そんなある日の夕方、僕はアイツのルーツを知った。
「宇宙人なんだ。」
夕日に照らされた無数の目がゆらめく影を見つめながら、アイツが行った。
それを聞いて、何故だか僕は、アイツが近いうちにどこか遠いところへ行ってしまうような気がした。
だから、その日の晩、こっそり、星に願った。
「行かないでくれ。」と。
僕はあの日すでにアイツを止められないことを知っていたのかもしれない。
行かないでと願ったのに、次の週になって、アイツはスッパリ消えてしまった。
戸籍からも周りの人間の記憶からも。
アイツの影を、僕は今でも覚えている。
揺らめく影に、無数の瞳がこちらを覗くあの影を。
影から聞こえてくる、気のいい、凡庸で、友人を大切にするのに、どこかいい加減なアイツの声を。
行かないでと願ったのに。
あれから、僕は、少し未練がましく星を見上げるようになった。
今日もどこかでアイツが元気にやっていることを願いながら。