木枠の扉から流れ込む隙間風が、蝋燭の炎を揺らす。
その光に照らされ、ほつれたソファの裂け目から覗く白い綿の影が、壁にゆらりと伸びた。
影が動くたび、ゆっくりと何かが近付いてくる気配に、背中がざわつく。
こんな炎、消してしまいたい。
けれど、消してしまえば闇の中に放り出されるだろう。聞こえるのは扉を叩く荒れた吹雪の音だけ。
こんなにも、昇る日を待ち遠しく感じたことはない。
夜明けまで、あと3時間。
先ほどまでの吹雪が嘘のように、降り積もった雪は静寂を湛えていた。
彼を失った日も、こんな日だった。
「別れたい」と言う彼に、私は「わかった」と答えた。
外はひどく静かで、その静けさが声に移っただけだった。
あの時、縋り付いて嫌だと泣いていたら今とは違う未来があったのだろうか。今でも私はあなたの隣にいたのだろうか。
でも、私はそんなことできない。できるはずがないのだ。可愛くない女。
だから、あなたに全力で縋り付き、「あの人と別れて私を選んで」と泣いて頼めるその人を、少しだけ羨ましく思ってしまった。
もし私が男なら、「わかった」と声色も変えず静かに告げる女より、自分に縋り付き「捨てないで」と泣く女を可愛いと思ってしまうだろう。
でも、二人が別れたと聞いて、「やっぱり」と思ってしまうのだ。
静けさを湛える白い世界を見つめながら、私はふふっと笑ってしまった。
白い息を吐き出しながら、先ほど買った缶コーヒーを握りしめる。
買った時は熱かったほどの缶コーヒーはプルタブを開ける前にすっかり冷め、つめたい風のせいで缶まで冷えている。
せっかく彼のために買ったのに。
今日も、彼は時間通りに現れない。
視線の先のイルミネーションにはもう明かりが灯り始め、カラフルに世界を幻想的に映し出しているのに。
先ほどまで待ち合わせをしていた人達にはみんな相手が現れ、一緒にイルミネーションを見に行ってるのに。私の彼だけまだ来ない。
つん、と鼻の奥が痛むのは寒さのせいか、寂しさのせいか。
ぽつんと取り残された気がして心細くなる。
もう帰ってしまおうか。一瞬だけそんな思いが頭によぎったとき、彼が現れた。
悪びれもせず「待たせて悪かったな」と彼が手を繋いでくる。すっかり冷めてしまった缶コーヒーのせいで凍えた指先に、彼の体温が移る。
……ああ、温かい。
このぬくもりが欲しくて、私はいつも待ってしまうのだ。時間にルーズなこの彼を。
***
物陰に隠れながら、彼女を見つめる。
寒そうに身体を震わせ、指先を擦り合わせたり、吐息を指先に吹きかけたりしている。
先ほどまで周りいた人達には皆待ち合わせ相手が現れ、彼女はイルミネーションの光を見つめながらぽつんと佇んでいる。
そろそろいいだろうか。
ホカホカと温もりをくれるカイロを握り締めながら、おれは彼女の元へいく。
「待たせて悪かったな」
ギリギリまで温めておいた手をポケットから出し、彼女の凍えた指先に触れる。温もりを分け与えるように指を絡めて繋ぐと、彼女がホッと息を吐きながら幸せそうに微笑む。
……ああ、可愛い。
早く行って抱きしめたい衝動を押し殺しながら待った甲斐があった。
その蕩けた表情が見たくて、おれはいつも待たせてしまうのだ。時間に正確なこの彼女を。
深い雪原に、自分の足跡だけが続いている。
静まり返った白の世界。
この先に何があるのかは、わからない。
共に来た仲間は皆、力尽き、歩みを止めてしまった。
それでも、ひとりだけでも進み続ければ、雪原の、その先にまだ誰も見たことのない光を見つけられる。
だから私は歩みを止めない。
そこに何があったのか、皆に伝えたいから。
灯りが消せないのは、あの人の帰りを待っているから。
いつ帰ってくるかも、帰ってくるのかどうかさえわからないのに。
それでも、あの人が扉を開けたとき、灯りのついた部屋で「おかえり」って言いたいから。
だから、この灯りだけは消せない。
たとえ、帰らない日が続いても。