114.『きらめく街並み』『消えない灯り』『白い吐息』
「うーん、今回もお客様は無しか……」
ホームに止まった電車を見て、俺はため息を吐く。
駅員として朝から改札口に立っているが、一向に利用客がやって来ない。
『楽な仕事をしたい』と若い頃は思っていたが、全く仕事がないとなると精神に来るモノがある。
だが、こればっかりは仕方がない。
なぜなら、この駅は利用者の少ない『過疎駅』。
こういった事は日常茶飯事だからだ……
利用者が極端に少ないこの駅は、数日利用者がゼロなど当たり前。
酷い時には数か月もの間、誰も来ないことがある。
電車は律義に停まるのだけど、皆素通り。
逆に乗っていく人も皆無なので、駅員としてすることがない。
ここまで来ると駅員はもはや必要ないのだが、俺の強い希望でこの場に立たせてもらっている。
本来必要のない仕事をしているので、報酬などはない。
純然たるボランティアだが、知り合いや近所の人が、食べ物などを分けてくれるので困ることは無かった。
だが理解を得られているとは言いがたい。
俺が駅員に志願したときは周囲からは大いに困惑されたし、今でも『いてもいなくても変わらないだろ?』とよく言われる。
利用者がいない日が続けば、自分でも存在意義を疑うことがある。
報われることの少ない、利用者のいない駅の駅員。
はたから見て、おかしい奴だとは思われているだろう。
だが、俺はへこたれはしない。
俺はこの駅の駅員をすることに、使命感を抱いているのだ。
よく考えて欲しい。
初めて来る土地では、誰もが大きな不安を抱く。
知り合いのいない寂れた街に、ポンと放り出されるのだ。
不安と恐怖に押しつぶされ、自分には未来がないのだと錯覚しても、不思議ではない。
かくいう俺も例外ではなく、初めてここに来た時は泣きそうになった。
頼れるものが何も無く、駅前で右往左往していた。
あっちでキョロキョロ、こっちでキョロキョロ、完全に不審者であった。
そうして駅の前でオロオロしていると、たまたま通りかかった近所の人に助けてもらえた。
この街の事を、丁寧に、ゆっくりと説明してくれた。
おかげで俺は、こうして心穏やかに暮らせている。
あの人には感謝してもしきれない。
俺は幸運だったのだと思う。
まったく人の気配のない駅前で、親切な人に出逢えたのだから。
すぐに気持ちを切り替える事が出来た。
でも他の人はそうじゃないかもしれない。
誰とも会えず、どこに行けばいいかも分からず、途方に暮れる事だろう。
それはきっと、悲しい事だ。
だから俺はここにいる。
ここに来た人が、不安で押しつぶされないように。
真っ暗な夜の海原から見える灯台のように、暗闇の中でも消えない灯り。
俺は、それになりたいのだ。
ここには、都会の様なきらめく街並みはない。
109もないし、書店も映画館だってない。
無い無い尽くしの街だけど、人の優しさはある。
それだけは、知って欲しいと思う。
おっと、考え事をしている内に、新しい電車が来たようだ。
ハラハラしながら様子を窺っていると、電車から降りてくる人影が見えた。
だが降りる駅を間違えたことに気づいたのか、すぐに車内に戻ろうとする。
だが無情にもドアはすぐに閉まってしまい、電車は発進してしまった。
人影は呆然と電車を見送るが、諦めたのか改札口に向かって歩いてきた。
とぼとぼと歩いて来るお客様。
落ち込んで大きなため息を吐いているのか、ここからでも白い吐息が見える。
始めて来た土地で、きっと不安と恐怖でいっぱいに違いない。
俺はそんなお客様を元気づけるため、自分に出来る精いっぱいの笑顔で出迎えた。
「きさらぎ駅へようこそ、お客様。
もう二度と帰れませんが、お客様が快適な生活を送れるように全力でサポートさせて頂きます」
113.『贈り物の中身』『冬の足音』『秘密の手紙』
『オシャレは常に命がけ』。
それが今を生きる、私たち女子高生の合言葉。
今も昔も女子高生は、『カワイイ』を追求してきた
アクセサリー、改造制服、メイク、髪染め……
教師や親からの説教など、なんのその。
たとえ、小遣いをカットされようと止まることはない。
どんな困難が待ち構えようとも、カワイイ道を突き進むのが、女子高生という生き物なのだ。
だというのに、最近の女子高生はなってない。
冬の足音が聞こえてくる今日この頃。
寒いからと言って、スカートの下にジャージを着こんでくるクラスメイトが増えたのだ。
嘆かわしい。
何が嬉しくてジャージを履かないといけないのだ。
ダサすぎる!
中には人肌に似せたストッキングを着込む友人もいる。
当たり前のように『オシャレでしょ?』と振舞うが、私の目は誤魔化せない。
努力は認めるが、それはニセモノ。
本物の美脚を見せつけるのが、真のオシャレ!
たとえ真横から冬の足音が聞こえようとも、素肌で冬の街を練り歩くことこそが、女子高生の生き様ではないのか!
見よ!
この無駄のない足を!
筋トレに励んで作り上げた自慢の足だ。
鍛えられた筋肉で構成された足は、ほんのり蒸気が立ち上がっている。
新陳代謝が活発で常に暖かく、ジャージを履けば汗で蒸れるほど。
やはり筋肉、筋肉がすべてを解決する。
――ただ鍛え過ぎたのか、周囲からの評判は悪い。
友人からは『キモイ』とバッサリ切り捨てられるし、男子から『俺より逞しい』と自信を喪失させてしまっている。
思ってたとのは違う反応に、私はしょんぼりした。
オシャレをして、モテモテになるのを夢見ていたのに、誰もが私を遠巻きに見る始末……
まさに本末転倒であった。
「来年の冬は、無難にジャージを履こう」
私は決意するのだった――
そして、決意を固めた日の放課後。
帰ろうと下駄箱に行くと、そこには手紙が入っていた。
「これは…… まさか……」
愛をしたためた秘密の手紙――まさかラブレター!?
驚きと興奮で体中が熱く沸き上がり、頬が紅潮する。
男子の反応を見て正直諦めていたが、まさか本当にモテるとは思わなかった。
私の元に、冬を通り越して春が来た!
感動に打ち震えつつも、私は誰にも見られないようカバンの中に手紙を入れる。
知り合いに見られたら大変なことになるからだ。
女子高生はオシャレも好きだが、コイバナも大好きなのである!
幸い、周囲に怪しんでいる人はいなかった。
私はさりげない動作で校内に戻り、トイレに入る。
そこならば誰にも邪魔が入らないからだ。
手紙にはこう書かれていた。
『あなたの素敵な足に惚れました。
伝えたいことがあるので、空き教室まで来てください。
待ってます』
指定の時間は10分後。
場所は遠いが、走れば余裕で間に合うはずだ。
私のオシャレに気づくとは、きっと素晴らしい男性に違いない!
待っていろよ、まだ見ぬ運命の人よ!
私は急いで指定の場所に駆けつける。
口から出そうなほど高鳴る心臓を押さえ、私は教室のドアを開ける。
そこにいたのは――
大人しそうな、小柄で地味な女の子だった。
私は意表を突かれた。
完全に男子だと思っていたからだ。
呆気に取られていると、少女は私に気が付いた。
「ありがとうございます。
手紙、読んでくれたんですね」
彼女は緊張しているのか、ギクシャクとまるでロボットの様に近づいて来る。
その顔には、緊張と不安と期待がこもっている。
やはり告白なのだろう。
しかし悪い気はしない。
同性は範囲外なのだが、こうして好かれるのは純粋に嬉しかった。
だが彼女の気持ちは受け入れられないのも事実。
彼女もそれは覚悟しているはず。
せめて茶化したりせず、誠実に断ろう。
そう思っていると、彼女は歩みを止めた。
「先輩の事、ずっと見てました。
その、足がとてもステキで……」
彼女の顔が赤くなるにつられて、私の顔も赤くなる。
なんと、本当にこの子は私の足に惚れてくれたと言うのか!?
ちょっとだけ気持ちが揺らぐ。
『理解してくれない男子より、やはり分かってくれる女子の方が……』
そんな事を考えていた。
「これ、受け取ってください!」
一瞬考え事をしたのが悪かったのだろう。
彼女が箱を勢いよく差し出してきたので、反射的に箱を受け取ってしまった。
「先輩の事を考えて選んだんです」
そう言ってモジモジする彼女は可愛らしい。
少しだけ罪悪感を抱きつつも、受け取った物をそのまま突き返すの気がひける。
私は少し悩んだ後、箱の中身を開けることにした。
「えっ?」
私は眉をひそめる。
中身は、どう考えても告白に似つかわしくないシロモノだった。
彼女はどういうつもりで、これを渡してきたのだろう?
好意的に見ても告白の際に渡してくるような神経が分からない。
『どういうつもりなのか?』
私が説明を求めるように視線を向けると、彼女はハッとした顔をして、自分のポケットを漁る。
そして一枚の小さな紙を取り出した。
「我が山岳部に入部してください。
先輩なら、富士山だって登頂できますよ!」
出されたのは、部活の入部届。
それで私は全てを悟った。
彼女が言った、『先輩の足が素敵』という意味も……
贈り物の中身の意味も……
もう一度、箱の中を見る
そこに入っているのは、登山用のごつい靴。
底が厚く、金具までついた、オシャレの『オ』の字もない、実用に即した本格的な靴だ。
「登山は、時に命を落とすこともある過酷なスポーツですけども……
先輩の逞しい足なら大丈夫!
どんな岩山も踏み越えられます」
キラキラして、期待を込めた目で見つめて来る彼女。
『これは断れそうにないな』と、私はため息を吐いた。
「オシャレって、本当に命がけだなあ……」
112.『失われた響き』『君と紡ぐ物語』『凍てつく星空』
プロの漫画家になって、初めて担当編集者さんに会った時の事を、今でも鮮明に覚えている。
「初めまして、ヨミ先生。
君の担当になった竜造寺です」
そう言った彼は、名前に似合わずキラキラしたオーラを纏う爽やかな人だった。
例えるなら、少女漫画からそのまま抜け出してきたような王子様。
女性なら、誰もが彼に夢中になるくらい容姿が整っていた。
漫画にしか興味のない私ですら、胸がときめいたのだから相当なものである。
けれど少し怖い印象も受けた。
その笑顔は綺麗だけど、あまりに完璧すぎて、まるで凍てつく星空のよう。
綺麗だけど恐い。
それが第一印象だ。
「漫画家の君と、担当編集のボク。
君と紡ぐ物語で、世界をあっと言わせよう」
でも、それ以上に思ったのが、『この人とならすごい漫画が描けそうだ』という確信。
歯の浮くような気障なセリフも、彼が言うとさまになる。
初めての連載に不安だった私も、この人ならばと武者震いがする。
これなら○ンピース超えも夢ではない。
本気でそう思った。
だけど――
「打ち切りになりました……」
現実は非情だ。
私の渾身の力作も、世間に出ればただの凡作。
ごく少数の熱心なファンに支えられ、何冊か単行本を出すことができたが、実情は常に打ち切り候補。
人気は下から数えたほうが早かった。
それは主に、私の力量不足によるものだ。
絵は上手い方だが、驚くほど登場人物に深みがない。
熱心なファンですら苦言を呈するほど。
それは私のコミュ障に由来するもので、これまで人づきあいをサボっていたせいでもある。
『○ンピース超えも夢ではない』。
いかにそれが無謀な夢だったか思い知る。
アンケートの結果を聞くたびに、身の程を思い知らされる。
思い上がりもいい所だ。
「私の力不足です」
だが私の担当編集はそうは思わなかったようだ。
彼は悲痛な顔で私を見る。
「漫画の打ち切りは担当の責任!
ならば、ボクは責任を取らなければいけません」
そう言うや否や、彼はポケットからナイフを取り出した。
「かくなる上は、エンコを詰めて――」
「やめて!」
咄嗟に飛びついて、指を切ろうとするのを阻止する。
「離して下さい。
これでは責任が取れません!」
「それは担当の責任の取り方ではありません。
ヤクザの作法です!!」
そう私の担当編集者は、まさかの「こわーい」人種の人。
元ヤクザなのだ。
初対面で怖いと思ったが、本当に怖い人だったとは……
こんな方向で怖いとは思わなんだよ。
「竜造寺さんは私の担当ですよね。
なら打ち切りの悔しさをバネに、改めて面白い漫画を世に出すことこそが、担当の責任の取り方ではありませんか?」
「それは……」
(これ、どっちが担当だか分からないな)
私は心の中でそう思いながら、彼を宥める。
なんで自分が言ってほしい事を、自分で言っているのか分からないが、ともかく指を詰めさせないよう説得する。
「今回の事は残念でしたが、龍造寺さんが指を詰めても何の意味もありません。
それよりも次回作の話をしましょう。
私、良いアイディアがあるんですよ」
嘘である。
アイディアなんて無いし、なんなら漫画家を辞めようとすら思っていた。
けど、それを言ったら彼が物理的に腹を切りかねない。
だから私は、口からデマカセを言って、彼の蛮行を止めようとした。
「そう…… ですね……」
功を奏したのか、ナイフを持った手から力が抜ける。
私はすぐさまナイフを奪い取り、机の上に置く。
とりあえずこれで指を詰めることは無い。
「……分かりました。
担当として、私は責任を取ります」
そう言って、彼は自分の頬を叩く。
そして気持ちを切り替えたのか、思いつめていた表情はどこにもなかった。
「ヨミ先生がそう言うと思って、既に枠を確保してあります。
次回作も頑張りましょう」
ニコっと彼は笑う。
人気の無い漫画家の連載枠の確保。
およそ信じがたい事実だが、彼の事だ、きっと編集長を脅したのだろう。
編集長、胃に穴が開かなければいいけれど。
「それで?
どんなアイディアがあるのでしょう」
ギクリと私の肩が跳ねる。
さきほど蛮行を止めるために、『アイディアがある』とは言ったが、残念ながらそんなものはない。
けれど今さらないとも言えず、私は思いつくままでっち上げる。
「えーと、今作の評判の悪いところは登場人物に深みがない事にあります。
そこで次は、魅力的な登場人物を作ってから漫画を描こうかと思っています」
「なるほど。
面白い漫画には、面白いキャラが必要不可欠ですからね。
それで具体的には?」
「えーっと」
もう少し掘り下げてくれてもいいのに。
矢継ぎ早に繰り出される質問に、私は窮地に立たされる。
「魅力的な登場人物。
それは……」
「それは……?」
もはや後は無い。
なるようになれと、私は竜造寺さんを指さした。
「元ヤクザが、カタギになろうとしてトラブルを起こす漫画『仁義なきコメディ』を描こうと思います」
◇
「ヨミ先生!
新しい漫画の出だしは上々ですよ。
SNSでも話題になってます」
竜造寺さんの言葉に、私はほっと胸を撫でおろす。
嘘を誤魔化すために勢いだけで描いた漫画なので、色々複雑な思いはある。
だが書いた漫画に人気が出たことは素直に嬉しかった。
「シリアスとのバランスも完璧です。
ヤクザの世界に伝わる『失われた響き』とはなんなのか?
その正体の考察で大賑わいですよ」
適当に頭に浮かんだフレーズがそこまで受けるとは……
まったく正体を考えてないけど、真面目に考えておかないといけないな。
私がこれからの展開で思い悩んでいると、竜造寺さんが神妙な顔で声をかけてきた。
「ところでヨミ先生。
ボクは、この漫画の楽しめそうにありません」
「というと?」
「なまじヤクザの世界を知っているせいで、いろいろ目に付くんですよね……」
「あー、たまに聞く話ですね。
専門知識があると、どうしても細かい所が気になってしまうとか……」
「はい。
ですから、やたらエンコを詰めたがるヤクザがどうしても滑稽に映りまして……
フィクションだと思っていても、ありえないです」
「……もしかして気づいてない?」
「何の事です?」
「いや、分からないんならいいんです」
急に話を切り上げた私を、竜造寺さんは訝しむような目で見つめるが気づかないことにした。
下手に知られて、指を詰められたらたまったものではないからだ。
私はそのまま話を終わたかったのだが、彼にはまだ言いたいことがあったらしく、そのまま言葉を続けた。
「それはそうと、取材のために、ボクは先生に知り合いのヤクザの話をしましたよね」
「はい、その節はとても助かりました。
それが何か?」
「よく考えたら、かつての仲間の事を話すのは、義理人情に反しているのではと思いまして……
まるで仲間を売っているみたいじゃないですか」
「それで?」
「責任を取って、エンコを詰めようと思います」
「やめんか!」
111.『時を紡ぐ糸』『心の深呼吸』『霜降る朝』
すいません、隣の席に座ってもいいですか?
カウンター席でラーメンを食べるのが好きでして。
無理にとは言いませんが、よろしければ……
……ありがとうございます!
では隣に失礼します。
店長さん、しょうゆラーメンお願いしまーす。
麺細目、バリ堅で!
トッピングは、うーん、今日は無しで。
これで良しと。
ふふ、やっぱりお昼時は多いですね。
本当はもっと早く来たかったんですけど、母の目を盗むのに時間がかかってしまって……
母さんったら、私がラーメンばかり食べるものだから、『不健康だ!』って怒るんですよ。
酷いと思いませんか?
私はこんなにもラーメンを愛しているのに!
……どうかしましたか?
私の顔をじっと見てますが、顔に何かついてますか?
……私が綺麗、ですか……
もう、いやですねえ。
ここはラーメンを食べる場所であって、冗談を言う場所じゃないですよ。
……冗談じゃない、ですって?
もう、私を褒めたって何も出ませんよ。
あんまり私を褒めると、氷漬けにしてコレクションしちゃいますよ!
……そんなにビックリしないでくださいよ。
ただのジョークです、雪女ジョーク。
ええ、そうです。
私、雪女なんですよ。
……え、雪女がラーメン食べても大丈夫なのかって?
何言っているんですか?
常識的に考えたらすぐに分かるでしょう?
だめです。
ラーメンを食べるたびに、体調を崩します。
死にかけたこともあります。
ですが、それでも私はラーメンを食べます。
ラーメンは美味しいから。
明日死ぬと分かっても、私はラーメンを食べます。
それほどまでに、ラーメンを愛しています。
ラーメンは偉大な料理です。
この料理が発明されてから、あらゆる改良が施されました。
しょうゆ、とんこつ、みそ、しお……
スープにはたくさんのバリエーションがあります。
麺も同様です。
あの地味な見た目に、どれだけ改良が施されたか分かりますか?
太さの種類もさることながら、硬さまでたくさんのバリエーションがあります。
究極のラーメンを作るため、数多の料理人が最高の麺を追い求めました。
この一本一本に、どれほどの情熱と歴史の積み重ねが詰まっているか分かりますか?
まさに時を紡ぐ糸です!
あ、話し過ぎちゃいましたね。
私ったらラーメンの事になると、どうしても熱が入っちゃうんです。
ラーメン好きな雪女なんて、幻滅しちゃいますよね……
……え、そんなことない、ですか?
あなたもラーメンには目がない、ですか!?
私、感激です!
どれだけラーメンを熱く語っても、仲間に呆れられるだけ。
悲しみのあまり冷気が漏れ出して、何度、霜降る朝を迎えたことでしょう……
でも私は今日、ここで同志に会えました。
私は今日と言う日を絶対に忘れません!
ラーメンを食べながら、じっくりと語り合いましょう!
ああ、興奮しすぎて溶けてしまいそう。
落ち着け、私。
まずは心の深呼吸。
すーはーすーはー。
それにしても、今日みたいな記念すべき日に、トッピング無しは寂しいですね……
店長!
やっぱりトッピングは、全部乗せでお願いしま――
……あの、店長。
何です、そんな申し訳なさそうな顔をして。
……ラーメンは出せない、ですって!?
ここはラーメン屋、そんな無法が通るわけがないでしょう!
ラーメンを出さないラーメン屋なんて、断じてありえません!
……入り口を見ろ?
……私にお客さんが来ている?
何を言っているんですか。
こんな所に、ラーメンの崇高さを理解しない仲間が来るわけが――
あっ。
いえ、知らない雪女ですね。
間違っても母ではありません。
縁もゆかりもないただの他人です。
無視して構いませんよ。
さ、ラーメンを出さないなんて意地悪は言わないで、早く作って下さい。
雪女ですが、ちゃんとお金を持って――
待って、お母さん!
もう少しだけ待って!
私はここでラーメンを食べるの!
ミニラーメンで我慢するから!
ちょっとだけ、ちょっとだけだから!
あっ、叩かないで!
分かったから、大人しく戻るから!
ううう、なんでお母さんに場所がバレて……
はっ、まさか店長、私を売ったんですか!?
あれだけこの店の売り上げに貢献し、SNSでアピールして知名度を上げた、この私を裏切ったんですか!
お客さんが来るようになったのは、誰のおかげだと思っているんですか!
許さない!
絶対に許さない!
私を裏切った人間を絶対に許さない!
覚えていろよ、愚かな人間どもよ!
絶対に後悔させてやる。
絶対に後悔させてやるからな、ニンゲンドモォォォォォ――
(雪女は、母親と思わしき女性に引きずられて、店を出ていく)
(それを見た店長が、申し訳なさそうに話しかけてきた)
騒がしてしまって、申し訳ありません。
あの子の代わりに、私がお詫びいたします。
誤解しないでほしいんですけど、本当は優しくていい子なんですよ。
ただラーメンの事になると、暴走しがちなだけで……
……見たら分かる、ですって?
まあ、そうですね。
そのくらいラーメンが好きって言う事なんですが、まあ、食べ過ぎましてね。
そのせいで体を壊して、食事制限が出ているんですよ……
普段は家族が見張っているんですが、たまに隙を見て来店してくるんです。
『死んでも食べたい』と言ってもらえるのは、料理人として光栄なんですけどね。
本当に死なれると困るから、家族に通報することになっているんです。
……びっくりしたけど気にしてない、ですか。
はは、そう言ってもらえると助かります。
それよりラーメンが食べたい?
大丈夫、分かってますよ。
ただその前に、入り口の方を見てもらえませんか?
ほら、男の方がいるでしょう?
はい、あの険しい目つきでこちらを見ている男性です。
知らない人ですって?
いえいえ、あなたのお父様ですよ。
誤魔化しても無駄です。
あの方が、あなたにお話があるとか……
それも、ラーメンについてですって。
ほら、行ってらっしゃい。
ここにいても無駄ですよ。
ラーメンは絶対にお出ししませんから。
そんなに恨みがましい目で見ないでください。
ちゃんとお父様と一緒に、病院に行ってくださいね。
お医者さんから許可が出たら、その時はお出ししますよ。
……病院に行くくらいなら死んでやる、なんて言わないでください。
本当に死んだら、二度とラーメンを食べられないんですから。
110.『手放した時間』『君が隠した鍵』『落ち葉の道』
「うわっ、なんだこれ!?」
朝起きてリビングに行くと、そこには落ち葉の道が出来ていた。
いや、本当の落ち葉じゃない。
私の赤い靴下が、あちらこちらに散乱しているのだ。
まるで泥棒が入ったかのような有様だけど、私には心当たりがあった。
これは飼い猫のレオの仕業。
靴下に異常な執念を持っている、イタズラ好きの猫だ。
今回も、寝る前に取り込んだ洗濯物を、レオが荒らしたのだろう。
肝心の犯猫はどこにも見えないが、きっとその辺りで寝ているはずだ。
イタズラを終えたら、一仕事を終えたとばかりにどこかに隠れて寝てしまうのだ。
しかも巧妙に、である。
そのうち出てくるだろうと思い、私は散らかった洗濯物を再び畳む。
何回もレオを叱っているのだが、まったく反省の色はない。
隠れている事からも分かるように、レオはこれが悪い事だとは分かっている。
けれど内なる衝動を抑えられないのか、こうして定期的に靴下が荒らされるのだ。
でも、私はそんなに怒ってなかったりする。
レオが、私の気を引こうとしてイタズラしているのは分かっているからだ。
なにより、私が憎からず思っている事がレオにはバレバレなのだ。
なんだかんだで、私はこうして靴下を集める時間が好きだった。
レオはもともと実家で飼っていた猫だ。
私が小学生のころ、子猫のレオを親が引き取って、それ以来彼は私の弟になった。
でも私が猫アレルギー発症してしまったことから、レオはおじいちゃんの家に預けられた。
アレルギー症状は出なくなったけど、年に数回しかレオに会えず、私は寂しい思いをした。
けど私たちは今一緒に住んでいる。
大学進学の際、おじいちゃんの家が近いので住まわせてもらっているのだ。
アレルギーの件も、医者の指導の下なんとかやっている。
根本的な解決ではないけれど、私たちは楽しくやっていた。
レオのイタズラも、多分寂しかった事への裏返しなのだ。
私が手放したレオとの時間。
それを埋めるように、私に甘えているのだ。
「それにしても、今日は赤色の靴下ばっかりだな……」
私がぶつぶつ言いながら靴下を片づけていると、すぐに大学に行く時間になった。
いつもならレオも姿を現す時間なのだけど、今回は特に疲れていたのか、最後まで起きてこなかった。
私はさっと朝食を摂って、玄関に向かう。
おじいちゃんとおばあちゃんは朝早くから出かけているので、今日は私が鍵をかけないといけない。
私は、鍵が入れてある小物入れに視線を向けた。
「あれ、鍵がない……」
芯から冷えるような感覚があった。
昨晩確かにここに置いたはずなのだ。
それなのに、鍵がないのはどういう事だろう。
おじいちゃんが持っていった?
いや、ここに置いてあったのはスペアキー。
持っていくはずがない。
「どうしよう、鍵をかけずに行けないよ」
どこかに落ちているのだろうか?
そう思い、周囲を見渡しているとあるものが目に入った。
片方だけの、赤色の靴下だ。
「なんでこんなところに」
そういえば、荒らされた靴下を回収したとき、一組だけ片方が無かった。
ペアの片方がなくなるのは日常茶飯事なので、特に気に留めてなかったのだが、
まさかこんな所にあるとは……
私は帰ってから整理しようと、靴下を摘まみ上げる
「……何か入っているな」
持った瞬間、硬い感触があった。
なんだろうと不思議に思い、何気なく中身を取り出す。
そして私は中身を見て、仰天した。
「な、なにい!?」
鍵だった。
『なぜこんなところに?』と思っていると、のそっと、レオが現れた。
その顔は、どこかドヤ顔で『必要だと聞いたので入れておきましたよ』と言わんばかりである。
そう言えば、今日荒らされたのは赤色の靴下。
いつもは色関係なく荒らすレオが、赤色だけをターゲットにしているのは珍しいと思っていたが、まさか……
「レオ、お前サンタのつもりか?」
ニャオ。
レオが答える。
猫語は全く分からないけど、タイミングは出来過ぎだ。
怒る気も失せて、私は思わず笑ってしまった。
「ではありがたく。
君が隠した鍵を使って家をでますね」
レオは満足したのか、喉をゴロゴロならして私を見送る。
離れていた数年間の間に、我が弟は随分と成長したようだ。
きっとこれからも、私を驚かせてくれるに違いない。
次は、どんなサプライズをしてくれるのだろう。
期待に胸を膨らませながら、私は大学へと向かうのだった。