119.『時を結ぶリボン』『振り積もる思い』『光の回廊』
私は今、宇宙人に攫われていた。
具体的に言うと、UFOの謎のビームで引き寄せられている。
光の回廊にも見える謎のビームは、重力と私の意思を無視し体を宙へと浮かせていた。
でも、私の心に焦りはない。
なぜなら自分から攫われに行ったからだ。
もちろん理由はある。
宇宙人に会うためだ。
私は子供のころから、異常なほど宇宙人に執着していた。
ありとあらゆる文献を読み漁り、目撃情報があれば現地に飛んでいく。
どんなに信憑性の無い情報でも、一縷の望みをかけて確かめる。
私の青春は、宇宙人に捧げたのだ。
けれど、宇宙人はどこにもいない。
私はその度に落胆した……
――今の方法では、何時まで経っても宇宙人を見つけることは出来ない。
そう悟った私は逆転の発想をした。
宇宙人が見つからないなら、向こうから来てもらえばいい。
つまり、誘拐してもらおうと考えたのだ。
もちろん危険なことは分かっている。
宇宙人にも色々いるとは思うのだが、誘拐をするような奴らが友好的なわけがない。
もしかしたら、改造されるかもしれないし、死ぬより酷い目にあうかもしれない。
だけど子供のころからの降り積もる思いが、私を突き動かした。
宇宙人による誘拐事件を調べ上げ、誘拐しやすそうな人間を演じ――そして私は誘拐された。
ここまで計画通り。
あとは宇宙人と対峙し、あらかじめ用意していた改造スタンガンを突き付けてやるだけ。
そうすれば、夢だった『宇宙人の解剖』を叶える事が出来る!
そしてUFOを乗っ取れば、他の個体を騙して色々な人体実験――宇宙人体実験を行う事も出来る。
なんというロマン。
私は興奮のあまり、むせび泣きそうだった。
私は興奮冷めやらぬ状態で、UFO内部に引き込まれる。
私の目の前には、何も知らない宇宙人が一人。
これからどんな運命が待っているかも知らず、ニヤニヤと笑っている。
私は心の中で喝采をした。
ここから見る限り、コイツは私が何もできないと思って油断している。
今なら確実に仕留められる。
私は腰にあるスタンガンに手を伸ばす。
夢を叶えるまであと少し。
絶対に逃さない。
必殺の一撃をお見舞いすべく、宇宙人を注視した。
だが――
「痛っ!?」
突然腕をねじり上げられる。
驚いて振り向けば、そこは二人目の宇宙人。
目の前の宇宙人に気を取られ過ぎて、背後の伏兵にに気付けなかったのだ。
私は自分の迂闊さを呪った。
(罠にかかったのは私か……)
私は逃れようと身をよじるが、私を掴む腕は微動だにしない。
計算外だと焦っている間にも、一人目の宇宙人は少しづつ距離を詰めてくる。
スタンガンは手に取れず、脱出も叶わない。
絶体絶命の瞬間、一人目の宇宙人が、私に向かって手を伸ばす。
(もはやここまでか……)
私がすべてを諦めて目を閉じた、その時だった。
パシャ。
強い光と共に、妙に聞き覚えのある音が聞こえた。
前を見ると、宇宙人の手にはスマホのような機械があった。
何かを操作するたびに、謎の機械は光を放つ。
パシャ、パシャ、パシャ。
そして私を掴んだ宇宙人は、私の手をしっかりと握ったまま、機械が光るたびにポーズを変えていく。
まさか、これは……
「記念撮影!?」
私が呆気に取られている間にも撮影会は続く。
そして何十回もの撮影が終わったあと、用は終わったとばかりに宇宙人は手を離す。
私は咄嗟に距離を取るが、宇宙人たちは私には目をくれず盛り上がり始めた。
宇宙人語は分からないが、きっと『うまく撮れた』とか『大物だ』とか、そんな他愛のない話をしているのだろう。
私の事なんて、気に掛ける価値はない。
そういう態度だった。
だがこれはチャンスでもある。
油断している宇宙人にこのままスタンガンを押し付ければ、解剖できる宇宙人が二人に増える。
災い転じて福となす。
昔の人は良い事を言った。
私は気配を殺して宇宙人に近づく。
当初の計画とは違ったが、とりあえず目的は達成できそうだ。
さっきに気づいたのか、私の腕をねじった宇宙人がこちらを向いた。
そして何かを叫ぶ。
だが遅い。
私は体をバネにして飛び掛かった。
だが……
バコン。
突然、足元の床が無くなった。
またしても、宇宙人の罠だったのだ。
予想だにしなかった出来事に、私はなすすべもなくUFOの外に放りだされる。
無力な私はそのまま地面に叩きつけられると思いきや、謎のビームによってゆっくりと地面に落ちていき、気づけば無傷で地上に立っている。
驚いてUFOを見上げると、UFOの窓らしき所から宇宙人が顔をのぞかせていた。
その顔には、明らかな安堵の表情があった。
まるで、『怪我をさせなくてよかった』とも言いたげだ。
なぜ私を無傷で地球に返すのだろう?
意味が分からず呆然とする私。
そんな私を尻目に、UFOは音もなく飛び去っていた。
かと思うと、少し離れた場所で再び謎のビームを放ち、人のような物を吸い上げている。
私はそのまま眺めていたが、すぐにまた光が放たれ、人のようなものを下ろす。
そしてまた別の所に移動し、また謎のビームを放つ。
その動きを見て私は確信した。
宇宙人たちは、改造するために人間を誘拐したわけではない。
誘拐そのものを楽しんでいるのだ。
つまり……
「キャッチ&リリースだと……」
アイツら、人間を釣って楽しんでやがる。
なんて非道な奴らだ。
人間側の都合などお構いなしに誘拐し、用が済んだら捨てる。
最悪の愉快犯だ。
次に会ったら、地獄の苦しみを味合わせながら解剖してやる!
私が憤っていると、ヒラヒラと一枚の紙きれが舞い落ちて来た。
興味を引かれて手に取っていると、それは私と宇宙人のツーショット写真だった。
必死な形相で暴れる私、笑顔でポーズをとる宇宙人。
私が複雑な面持ちで写真を眺めていると、写真の下に何かが掛かれている事に気づく。
不慣れなのか所々間違えている日本語で、私宛のメッセージが書かれていた。
『広い宇宙で出会えた私たちの出会いの記録。
この写真が、生まれた時も場所も違う私たちを結ぶ、時を結ぶリボンとなりますように』
うるせえよバカ。
118.『雪の静寂』『心の片隅で』『手のひらの贈り物』
カーテンを開けると雪国だった。
夜通し降った雪は、大地一面を白く染めあげている。
庭の木々も雪化粧を施され、朝日を浴びてキラキラと光る。
突き抜けるような青空とのコントラストが、ため息がでるほど美しい。
不意に訪れた雪の静寂に、私の胸が弾む。
あの雪の中に飛び込めば、どんなに楽しいことだろう。
心の中に住む幼い自分が、早く遊びたいと駄々をこねる。
それほどまでに、私は目の前の景色に浮かれていた。
その一方で、心の片隅には冷ややかな感情もあった。
まだ親の庇護下にあるとはいえ、私はもう女子高生。
雪ではしゃぐような歳じゃないと、醒めた自分が釘を刺す。
それに知り合いに雪遊びをしている所を見られたらたまらない。
きっと、からかわれることになるからだ……
特に、友人の一人である百合子に見られる事だけは避けたい。
絶対に鬼の首を取ったように絡んでくるだろうから。
そうした懸念が、私の足を押し止めていた。
でも目の前のまっさらな雪にワクワクするのも事実。
この雪原に一番乗りの足跡を付ければ、どんなに気持ちがいい事だろう。
そんな誘惑にかられ、私は理性と情熱の間で葛藤していた。
そして私は、一つの妥協案を導き出す。
「ちょっとだけ外に出てすぐに家に戻れば、誰にも見られないはず」
誰にも見られなければ問題ない。
そう自分に言い訳しながら、ハンガーにかけてあったジャンパーを羽織る。
仮に見られても『日課の朝のお散歩ですわ』という顔をしていれば、何も心配はない。
完璧な作戦だと自画自賛しながら、玄関のドアノブに手をかける。
扉の先に広がる美しい雪景色に、胸を高鳴らせながら。
だが……
「おはよう、沙都子。
雪が降ったから、遊びに来たよ」
先客がいた。
というか百合子だった。
私の部屋の窓から死角になって気づかなかったらしい。
庭は既に百合子の足跡だらけで、あちこちが無残に掘り返されている。
美しい雪景色はどこにも無く、あるのは不格好な数体の雪だるまだけだった。
「沙都子の家は庭が広いから、きっと遊び甲斐があると思ってね。
見てよ、私の渾身の雪だるまを――」
「ざけんな!」
「ぐふ」
とっさに雪玉を握って投げつけると、百合子の顔にクリーンヒット!
私は心の中で『ざまあみろ』と毒づいた。
「何するのさ」
「アンタこそ何してるのよ。
誰に断って人様の庭の雪を荒らしてるわけ!」
「いいじゃん、こんなにあるんだから、分けてくれてもいいでしょ。
減るもんじゃないし」
「減るのよ!
アンタに分ける雪なんて無いわ。
この庭にある雪は、ぜーんぶ私のもの――」
「隙あり」
瞬間、顔に冷たい衝撃が走った。
すぐに雪玉をぶつけられたと気づき、私の中から理性が吹き飛ぶ。
「やってくれたわね。
後悔させてやるわ!」
「へっへーん。
当てれるもんなら当てて――ぶへえ」
「あら、ごめんあそばせ」
「上等!!
いつもの恨み、晴らしてくれる!」
「残念、返り討ちよ」
そしてお互いに、固めた雪玉を投げつける。
庭に飛び交う、悪意のこもった手のひらの贈り物。
相手を屈服すべく、私たちは仁義なき戦いを繰り広げるのであった。
★
「ふふふ、楽しそうねえ」
私は窓越しに、友人と一緒に遊ぶ愛娘を眺めて、思わずほおが緩む。
いつもは物静かで大人しい娘が、あんなに声を荒げて騒ぐ姿を見るのは初めてかもしれない。
そんな娘に、驚きを感じつつ安心した感情を抱いていた。
反抗期らしいものもなく、ワガママも言わない、絵に描いたような《《いい子》》。
周囲からは『立派に育てれれた』と褒められるけれど、あの年頃にしては聞き分けが良すぎることに一抹の不安を感じていた。
決して自分を出さず、どこか無理をしているのではと、親としては正直気が気でなかった。
でも庭で楽しそうに笑う娘を見て、ホッと胸をなでおろす。
友人の前であんな顔が出来るのなら何も心配はいらない。
年相応の、子供らしいはしゃぎっぷりに、あの子も普通の女の子だと実感する。
それを引き出した百合子ちゃんには感謝しかない。
娘は本当に良い友人に恵まれた。
けれど……
「それも今だけ。
すぐ終わるわ」
私は少しだけ顔を曇らせる。
二人にはずっと一緒に遊んでいてほしいけど、それは叶わぬ願い。
これから来るであろう、悲しい未来を想像し、一人ごちた。
彼女たちはすぐに思い知るだろう。
自分たちに、悲惨な運命が待ち受けている事を……
「あんなに雪をぶつけあったら、すぐに体が冷えてしまうわ。
早くお風呂を沸かさないと!」
5分後。
歯をガタガタ言わせながら、我先に家に駆けこむ二人の少女。
必死な彼女たちの様子に、私は思わず笑ってしまうのだった。
117.『星になる』『明日への光』『君が見た夢』
ドーナツは希望である。
殺伐としたニュースが駆け巡る現代社会。
先行きの見えない暗い未来に顔を曇らせる人々も、ドーナツを前にすれば誰もが笑顔になる。
まさに明日への光、それがドーナツだ。
だが、ドーナツとて万能ではない。
その殺人的なまでのカロリーは、我々の未来に暗い影を落とす。
その甘美な誘惑の先には、『肥満』という辛い現実が待っている。
ノーリスクで全てを解決できる、都合のいい話はどこにもないのだ……
こうなってしまっては、この世界には夢も希望もない。
人々は生きる気力を失い、明日を知れぬ日を過ごしていく。
もはや明るい未来などどこにもない。
この事実は、人々を絶望させた……
だがこの事実に、抗う者がいた。
「0カロリーのドーナツ。
それさえあれば、全てを解決できる!」
友人のDである。
生粋のドーナツ好きであるDは、世界平和のためドーナツを配布する活動をしていた。
効果があったのだが、それは最初だけ。
始めはドーナツを見て目を輝かせていた人々も、次第に顔を曇らせる。
彼らはドーナツの食べ過ぎでメタボになってしまったのである。
それならばと、Dが考えたのが0カロリードーナツ。
「それさえあれば、世界を平和に出来る!」
彼はそう豪語し、研究に着手した。
だが、Dは志半ばにして舞台から退場した。
試作品のドーナツを食べ過ぎて、ドクターストップがかかったのである。
無念に顔を曇らせるDを見て、俺は決意した。
『君が見た夢、俺が絶対に叶えて見せる』と……
だがそれができれば苦労はしない。
俺は、Dの遺した膨大な研究資料を読み漁り、一つの結論を下した。
『0カロリードーナツは、現代の科学技術では実現不可能である』という事を……
だが諦めることは出来ない。
0カロリードーナツは、世界を救う救世主なのだ。
なんとしても作り上げなければいけない。
しかし正攻法では0カロリーは達成できない。
そこで俺は、新しいアイディアを得るべく、ドーナツをひたすら観察することにした。
三日三晩、一睡もせずドーナツを観察し、幻覚すら見始めた頃、そして真理へと到達した。
「なんだ、こんなにも簡単なことだったのか……」
ドーナツは環状の形をしている。
つまり、その形状そのものが「0」を表しており、実際に0カロリーという事である。
よって食べても太るわけがない。
Dやそのほかの人々がメタボになったのは、ただの思い込みである。
この理論を発表すれば世界に平和が訪れ、ドーナツ史と世界史に名を残すであろう……
待ってろよ、D。
君が待ち望んだ世界を実現して見せる。
ドーナツの星に、俺はなる!
だがその前に実証実験だ。
自分の体で試し、実際に効果が出てこそ理論は確固たるものになる。
俺は理論の正しさを証明するため、3食をドーナツにした。
他の食物など一切口に入れず、ただドーナツを食べるだけの生活。
一週間も経てば、さすがに飽き始めたが、それでも食べた。
すべては友人のDのために……
そして――
――メタボになった。
116.『夜空を越えて』『スノー』『遠い鐘の音』
『きみが星空を見あげると、そのどれかひとつにぼくが住んでるから』
空を見上げていたからたろう。
ふと、昔好きだった『星の王子さま』の一節を思い出した。
でも今の私には、王子様の星を探すことはできなかった。
その視界は涙で滲んでいたからだ。
「……私、悪くないもん」
仕事場でトラブルがあった。
私だけの責任じゃないのに、同僚たちは責任を私一人に押し付けた。
一方的に咎められた私は、遅れを取り戻すための仕事も押し付けられた。
業務終了を告げる鐘が鳴ると同時に、そそくさと帰っていく同僚たち。
誰も私を気遣うことは無く、一人職場に残される。
遠い鐘の音を背に黙々と作業を続けて、仕事が終わったのは0時過ぎ。
私はへとへとに疲れ果てていた。
だが今日のような事は珍しくない。
私が勤めている会社では責任逃れが横行しており、弱い立場の人間が責任を取らされる事が常態化していた。
そして職場で一番若い私は、格好の餌食。
何か起こるたびに自分の責任にされた。
『働くという事は、理不尽に耐える事』。
そう思って我慢してきたけれど、もう心は限界だった。
公園にやって来たのも、特に意味のあったわけじゃない。
ただとても疲れていて、どこでもいいから休みたかったのだ。
そのまま横になって眠りたいほど私女は疲弊していた。
そうしてやって来た公園で空を見上げて、どれくらいの時間が経ったのだろう……
滲んだ視界の先で、光が瞬いたことに気づく。
「なんだろう?」
涙をぬぐって空を見上げる。
そして私は心底驚いた。
たくさんの流れ星が、空を駆けていたからだ。
「綺麗……」
私は、朝のニュースを思い出した。
アナウンサーが熱っぽく、今日の流星群について語っていたことを。
『そこまでじゃないだろ』とすぐに忘れたのだけど、私は考えを改める。
それほどまでに、目の前の光景は幻想的だった。
まるで子供が庭を駆けるように、楽しげに空を駆けていく流れ星たち。
夜空を越えてどこへ行くのだろう。
それは分からない。
「羨ましいなあ……」
私は思った。
自分にも幸せを分けて欲しいと。
理不尽ばかりで報われない自分に、何かご褒美が欲しい。
そう思いながら空を眺めていると、ひときわ光り輝いている流れ星があることに気づく。
そのままなんとなく眺めていたが、その星は徐々に明るくなっていき、やがて公園全体を照らすほど明るいものとなった。
「こっちに来る!?」
『マズイ』と思ったときには、もう遅い。
流れ星は、あっという間に公園へと落ちた。
幸いというべきか、私の近くには落ちてはこなかった。
少し離れた花壇に落ちたようで、その場所に砂煙が舞っている。
その様子を呆然としながら見ていると、砂煙の中からあるものを見つけ、慌てて駆け寄った。
「赤ん坊がいるわ!」
流れ星の落ちてきた場所には、幼い子供がいた、
愛らしい女の子で、肌は玉の様に美しく、パウダースノーの様に柔らかい。
雰囲気もどことなく上品で、将来は美人になると思われた。
「まるでかぐや姫ね」
信じられない気持ちだったが、私は確信した。
この子は、流れ星からの贈り物。
幸せを求める私のもとに、天使のような女の子を遣わせたのだ。
「ありがとう、お星さま。
私、頑張るわ」
空を見上げてお礼を言う。
きっとこの子は、私に幸せを運んでくれるだろう。
愛おしい我が娘を抱き上げると、何か握っていることに気が付いた。
「これは…… 百合の花?」
赤ん坊は、一本のバラを大事そうに抱えていた。
その時、星の王子さまの言葉を思い出した。
『みんながたった1本のバラを探している』。
よく覚えていないけど、そんな言葉だったはず。
この娘はバラじゃないけれど、もう自分の花を見つけたらしい。
「この花、とても綺麗ね……
そうだわ!」
私の頭に天啓が降りた。
「良いことを思いついたわ。
あなたの名前は――」
✿
「だから私は百合子っていうの。
感動したでしょ?」
「……私は何を聞かされているの?」
私の熱演を聞いて、友人の沙都子が困惑気味に尋ねてくる。
想定内の質問に、私ははっきりと答えた。
「私の誕生秘話だよ。
私のこと、『人間とは思えない』って悪口言うから」
そう言ってドーナツを丸々一個頬張ると、沙都子が「やっぱり人間じゃなくてリスよ」と呟いた。
「ただの軽口から、まさか本当に人間じゃない可能性が出てきて、さすがの私も動揺しているわ。
まさか本当の話とか言わないわよね?」
「それこそ、まさかだよ!
お母さんから子守唄代わりに聞かされたけど、信じてたのは小さい頃だけ。
高校生にもなって信じないよ」
「まあ、そうよね」
沙都子は、安心したように息を吐いた。
「ただね。
この話は少しだけ真実があるの」
「まさか、『自分は名前の通り、百合の様に可憐です』とは言わないわよね?」
「興味深いね。
その件について、後でじっくり話し合おうか?」
「いいアイディアだわ。
ボロクソに言い負かしてやるから覚悟しなさい!」
「そこまで言う?」
「いいから続きを話なさいよ」
なんか釈然としない思いを抱えながら、私は話を続ける。
「この話は嘘ではあるんだけどさ、仕事で責任を取らされたのは本当みたいなんだ」
「ええ。
妙なリアリティがあったから、そうじゃないかと思ったわ」
「それに関して後日、職場を相手取って裁判起こした」
「えっ」
「パワハラセクハラもすごかったらしくてね、がっぽり慰謝料を取ったみたい。
完全勝利だって」
沙都子は驚いた顔をして、私を見る。
「これは、お父さんから聞いた話なんだけどね。
それ以降も宝くじが当たったり、懸賞に当選したり、お父さんが昇進したり……
私が生まれてしばらくの間、いろいろ良いことがあったんだって」
「まさか……」
沙都子が、ゴクリとツバを飲んだ。
「だから、この話はほとんど嘘なんだけど、流れ星が願い事を叶えたのは本当なんだよね。
お金が増えて、超幸せって言ってたから」
「さすがに、偶然だと思うけど……」
「私もそう思うけど、お母さんは信じてることは間違いない。
私のことを、未だに『星の王女様』って呼ぶんだもの」
115.『雪原の先へ』『凍える指先』『温もりの記憶』
雪山で遭難した。
吹雪の真っただ中で、周囲は数メートル先すら見えなかった。
今いる場所の見当もつかず、目的も無いままひたすらに彷徨っていた。
まさか冬の山がこんなに危険だとは……
防寒は気を付けたつもりだが、ほとんど役に立っていない。
がくがくと体は震え、凍える指先は既に感覚がなかった。
奇跡でも起こらない限り――いや、奇跡が起こっても間に合うかどうか……
もはや、ここまで……
俺は死を覚悟した。
その時だった。
(あれは……?)
吹き付ける雪の向こうに、なにか茶色いものが見えた。
天の助けか、脳が見せた幻か……
遠いこの場所からは、判別が出来なかった。
だが今の俺には、他に頼るものはない。
たとえ幻であろうとも、行ってみない事には始まらない。
俺は最後の気力を振り絞り、雪原の先へと向かう。
そして無限とも思える時間をかけ、目的地へとたどり着いた先にあったのは避難小屋であった。
(これで寒さがしのげる……)
俺は内心で神に感謝しつつ、中に入る。
屋内は外と同じくらい寒かったが、風がないおかげでかなり快適だった。
小屋の中央には、たき火の跡があった。
火を点けるための道具は揃っていたので、薪を放り込んで火を点ける。
たき火の暖かさが、凍りかけていた俺の体を溶かしていく。
だが、思っていた以上に疲れていたらしい。
体に熱が戻っていく感覚とともに、睡魔が襲ってきた。
(暖も取れたし、少しくらい寝てもいいだろう)
体を横にして、夢の世界に身をゆだねる。
そしてどれくらいのそうしていただろう……
突然小屋の扉が、キィーッと開いたのである。
(別の遭難者が来たのか……)
寒気で目を覚まし、意識がまどろんだまま扉を向くと、一気に目が覚めた。
入って来た人影は、およそ人間とは思えなかったからだ。
人影は女性だった。
だが顔には生気がなく、肌は病的なまでに白い。
陰気な気配を漂わせ、フラフラと歩いている。
なにより決定的だったのは、その女が防寒着の類を一切着ていないことだ。
(まさか、雪女!?)
この山には雪女伝説がある。
『吹雪の中、小屋で寝ていると雪女がやって来て、寝ている男を氷漬けにして、自分のモノにする』という伝説が。
それを聞いた時は、『所詮伝承だろ』と思っていたが、まさか実在するとは思わなかった。
山に対する備えはしていたが、雪女の対策なんてしていない。
逃げようにも外は吹雪。
助かる保証なんてどこにもないし、そもそも体が疲れていて、少しも動けそうになかった。
だが、吹雪の中で死ぬよりはマシなのだろう。
温もりの記憶を抱いてしねるのだから。
ところがである。
雪女は横になっている俺を興味なさげに一瞥しただけで、たき火を挟んで俺の向かい側に座った。
そして、俺なんて存在しないかのように、なにやら作業をし始めた。
(何をするつもりだ?)
雪女はたき火の脇に転がっていた鍋を手に取り、その中に雪を入れ始めた。
そして十分な雪が入った後、そのまま火にかける。
湯を沸かしているようだった。
そして湯がぐつぐつ沸騰したのを見て、満足そうにコクリと頷いたかと思うと、傍らからラーメンの袋を取り出した。
(まさか、ラーメンを食うつもりなのか!?)
この時点で、俺の恐怖はすっかり薄れていた。
雪女の行動に興味津々で、自分の置かれている状況も忘れ、雪女をじっと見ていた。
それほどまでに、目の前の光景は興味深いものだった。
だがそれがいけなかったのかもしれない。
不意に雪女と目が合った。
そして雪女は目を見開き、
「うわ、生きてる!?」
と文字通りひっくり返った。
まさかそんなに驚くなんて、思いもよらなかった。
しかし死んだと思っていても無理はない。
確かに微動だにしなかったもんな……
「なんか、ごめん」
何がごめんなのか分からないが、とりあえず謝る。
すると雪女はバツが悪そうに、こちらを見た。
「なんで死んだふりしてたんですか!
鍋をひっくり返すところでしたよ!」
「そんなつもりじゃなかったんだが……
どうせ殺されるし、抵抗は無駄かと思って」
「殺す?
なんの話です?」
「雪女は男を氷漬けにするんだろ?」
「やだなあ、何時の話をしているんですか?
今は令和ですよ。
そんなことはしません」
朗らかに笑う雪女。
そこは、人間を害そうという意思は感じられず、俺はほっと胸をなでおろした。
「ところで、貴女は何をしているんですか?」
俺が姿勢を正して聞いてみると、雪女は再びバツの悪そうな顔をした。
「……雪女って、ラーメン禁止なんですよ。
体に悪いので」
「え?」
「だから、こうして隠れて食べているんです」
雪女って、ラーメン食べちゃダメなのか……
確かに、ラーメンと雪女は相性が悪そうだもんな。
俺が納得すると、雪女は決意を秘めた目で、鍋を差し出してきた。
「という事で、このことは黙っててもらえますか?
これ、あげるんで」
☆
翌日、俺は無事に下山できた。
長時間吹雪の中にいたので検査入院となったが、特に後遺症はないと言われた。
雪女にもらったラーメンのおかげかも知れない。
雪女はどうなったかと言うと、
「あんまり外に出ていると怪しまれるんで帰りますね」
と吹雪の中を出て行った。
もちろんラーメンを食べてからだ。
ラーメンを食べている彼女は幸せそうだった。
きっと好きなのだろう。
だから、彼女のコソコソしている様子に、少しだけ同情した。
好きなものが、好きな時に食べられない。
それは、とても辛い事だから。
別れ際の寂しそうな彼女の顔を思い出しながら、俺は決意した。
もう一度、あの避難小屋に行こうと……
そして、あの小屋にご当地系のインスタントラーメンを持っていこうと……
会えないかもしれないし、また吹雪にあうのもゴメンだけど、あの雪女になんとかお礼をしたいのだ。
ラーメン好きの彼女なら、きっと喜んでくれるはずだ。
と、そこで気づく。
下山してから、彼女の事ばかり考えている事に……
「まるで恋しているみたいだな」
なるほど、雪女伝説はあながち間違いではなかったようだ。
氷漬けにはされなかったけど、暖かい手作りのラーメンによって、俺の心はまんまと彼女のモノにされたのである
「一生ラーメンを食べさせてあげるって言ったら、結婚してくれるかな」
俺はそんな事を思いながら、スーパーへと足を向けるのであった。