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2/23/2026, 8:49:46 AM

137.『伝えたい』『待ってて』『バレンタイン』

 地獄にだって、バレンタインはある。
 地上のものとは少し趣が違うが。

 地獄では、チョコの代わりに石を贈り合う。
 こんな地の底に、オシャレな物なんて存在しないからだ。
 だから、そこら中に転がってる石を贈り合い、お互いの絆を確かめあう。
 地獄の住人たちの、数少ない娯楽であった。

 だがここは地獄、ロクデナシどもが集まる場所。
 死んでも治らない馬鹿が一堂に会するバレンタインなんて、碌な結末になるはずがない。
 ひそかに伝えたい思いがあっても、最終的には直接憎悪をぶつけ合うことになる。

 『ダサい石を貰った』『他の奴に綺麗な石をあげていた』『お返しはそこら辺の石』『あげた石を、他のやつにあげていた』などなど、トラブルの種はあちらこちらにある。
 普通の人なら耐えれることも、ここの奴らは我慢しない。
 すぐに喧嘩が始まり、仲間を巻き込んで大乱闘になるのだ。
 しまいには、贈り合った石を手にして殴り合う。
 地獄のバレンタインは、血の雨が降るのである。

 もちろんこの事態に、地獄の鬼たちは黙っている訳でない。
 暴動が起きるや否や、鎮圧するために鬼は出動する。
 しかし、一度火のついた亡者共は手に負えない。
 毎回多大な犠牲を出しながら、亡者共を鎮圧するのだった……


 ☆

「と、いう訳でお前に命令だ。
 バレンタインで暴動を起こさせるな」
 目の前の鬼は、厳かに告げる。
 頭が痛くなりそうな話を聞いて、俺は大きくため息を吐いた。
「それ、俺がやらないとダメ?」
 そう言うと、鬼は厳めしい顔をさらに厳めしくして言った。
「それがお前の役目だ、人間よ」
 俺はもう一度ため息を吐いた。

 俺は詐欺の罪で地獄に落とされて早々、地獄の鬼どもに取り入った。
 罰を受けるのが嫌だったので、管理者側に潜り込んだのだ。
 信頼はされていないようだが、追い出される気配はない。
 人手不足の地獄において、俺の『悪知恵』はそれなりに重宝するらしい。
 だが……

「地獄に落ちる程の詐欺師だろ?
 その口先でどうにかしろ」
 詐欺師を魔法使いだと思っているのか、時に無理難題を押し付けられることがある。
 なるほど、たしかに俺は鬼どもには出来ないことが出来る。
 だが、それは人間相手であって、言葉の通じないケダモノには通用しないのだ。

「無理だ。
 聞き分けがいい奴なんて、ここにいるわけないだろ」
「全くもって貴様の言う通りだが、なんとかせねばならん。
 癪だが、必要なら我々を扱き使っても構わん」
「気合が入り過ぎじゃないか?
 普通にバレンタインを禁止にすればいいだろ」
「それは無理だ」
 真っ先に思い浮かんだ解決案、だが鬼はにべも無く却下した。

「長い間、本当に長い間検討されてきたのだが、いつも『存続』という結論になる」
「なぜ?」
「鎮圧は面倒だが、長い目で見ればこの行事は有用だからだ」
「飴と鞭か!」
「そうだ」
 鬼は満足そうにうなずいた。

「地獄には娯楽の名のつく物はない。
 退屈で苦しむのも、罰の一つであるからだ」
「しかし、罰だけでは効果は薄い。
 すぐに慣れて、何も感じなくなるからだな」
「左様、だから罰だけを与えるのではなく、適度な娯楽を与えて心に余裕をもたせることにしている。
 その余裕で自分を省みればそれで良し、そうでなくとも落差によってより深い絶望を与える。
 だが暴動が起きると、鬼たちに被害が出る。
 なんとかして、平穏な一日を終えたいのだ」
「なるほど、それなら禁止はしないほうがいいな」
 出来れば禁止の方向で行きたかったが仕方がない。
 俺は改めて打開策を考える。

 この騒動は、『アイツが羨ましい』という感情が発端だ。
 要は嫉妬。
 人間の、最も面倒でありふれた感情だ。

 だから解決策は格差を無くせば良いということなのだが、これが難しい。
 個人的な意見だが、たとえ完全な平等を実現しても嫉妬は無くならないだろう。
 それこそ全員が価値のない物しか持っていない限りは……

 ――待てよ。
 
「良い事を思いついた」
「ほう、聞かせてみろ。
 上手くいかなくても恨みはしない」
「どんだけ追い詰められているんだよ、お前ら……
 まあいいや、用意してほしいものがある」
 俺は必要な物を鬼に伝えると、鬼は驚いたような顔で俺を睨んだ。

「そんなものでいいのか?」
「ああ、完全にトラブルは無くならないだろうが、かなりマシになるはずだ」
「それで構わん。
 しかし信じられんな。
 たったそれだけの事で、本当に暴動が起きないのか?」
「期待して待っててくれ。
 キーワードは『プライスレス』だ!」


 ☆

 バレンタイン当日。
 鬼たちの懸念をよそに、地獄はとても平和だった。
 多少の小競り合いこそあったものの、全体的に穏やかな一日であった。

「何をした?」
 隣の鬼が、信じられないものを見る目で問いかけてくる。
 いつも険しい顔をしている鬼が、困惑する様子は、いつ見ても面白い。

「入れ知恵したのさ。
 気持ちを伝えるのに石を贈るのも悪くないが、もっといい方法があるとな」
「それはなんだ?」
 俺は鬼が聞き逃さないように、はっきりと告げる。
「石に似顔絵を描けばいい」
 鬼が目を丸くして俺を見た。

「なるほど、だから俺たちに『筆』を用意させたのか。
 しかし絵にも巧拙がある。
 新たなトラブルの種になるのではないか?」
「そこがミソさ。
 石の美しさは、誰が見ても理解できる『客観的』なものだ。
 しかし絵は違う。
 その価値は極めて主観的で、絵の上手い下手だけでは決まらない。
 下手な絵でも、贈られた側が『心を込めてある』と感じれば、値千金の価値を持つ可能性がある」
「なるほど。
 当事者以外には価値を見い出すのは困難。
 嫉妬の対象になりにくいということか……」

 もちろん差は依然と残っている。
 才能と言う名の、残酷な差が。
 他者の才能に嫉妬する人間もいるだろう……

 だが、それは目に見えない、非常に個人的な主観だ。
 ほかの人間に共感されにくく、また興味のないものも多い。
 小さなトラブルはあるかもしれないが、周囲を巻き込む暴動にならないと、俺は踏んでいた。
 
「……種明かしをされても、にわかには信じがたいな。
 まるで詐欺だ」
「なんだ、知らなかったのか?」
 俺は意地の悪い笑みを鬼に向けた。
「俺は詐欺師さ。
 このくらい、朝飯前だ」

2/19/2026, 1:26:20 AM

136.『花束』『誰もが皆』『この場所で』


 アタシはウメコ。
 この梅園で、最も美しく咲き誇る梅の花よ。

 人間たちは梅が大好きで、アタシの周りにたくさんの梅を植えたわ。
 けど、いつだって中心にいるのは、このアタシ。
 他の梅がどんなに綺麗な花を咲かせたところで、アタシの前では霞んでしまうわ。

 誰もが皆、アタシにメロメロ。
 人間たちはこぞって、アタシを写真に収めていくわ。
 当然ね。
 だってアタシ、こんなに美しいもの。

 人間を魅了すること。
 それは美しく生まれたものの「義務」よ。
 人間をうっとりさせるたびに、アタシはとても誇らしい気持ちになれるわ。

 ああ、今年も冬がやって来る。
 今年もみんなを虜にしてみせるわ!

 ――と、思っていたのだけど……

 去年の暮れ、ちょっと体調をくずしちゃって、うまく蕾が作れなかったの。
 おかげで花はまばらで、色付きも今一つ。
 これじゃ、人間たちを魅了するなんて到底無理だわ!
 どうしよう……

 でも、悩んだところでどうしようもない。
 だってもう、梅の開花は始まってしまったもの……

 ああ、なんてこと!
 人間たちがアタシに見向きもせず、そのまま素通りをしていくわ。
 しかも、他の梅の前で、うっとりため息をついているの。
 なんて屈辱。
 いつもなら私のものだったのに。
 悔しくて情けなくて、アタシは枝を震わせてメソメソと泣いたわ。

 そんな時よ。
 ふと小さな人間の子供が通りかかったの。
 子供はじっとアタシを見つめたわ。

 ……アタシが気になったのかしら?
 でも今のアタシは、みすぼらしい花しか咲かせてない。
 とてもじゃないけど、子供の興味を惹けるとは思えなかったわ。

 案の定、男の子はそのまま走り去っていたわ。
 当然ね。
 子供が喜ぶのは、たくさん花を咲かせた派手な梅で、粗末なアタシはお呼びじゃないもの……

 ああ、早く暖かくならないかしら。
 そうすれば、花の時期が終わって、こんな惨めな気持ちにならずに済むのに。

 そんな事を考えていると、さっきの子供が母親を連れて戻って来たわ。
 忘れ物をしたのかしら。
 そう思って眺めていると、その子供はアタシを見上げてこう言ったの。

「この梅、上の方だけ花が咲いてる。
 花束みたいできれい」

 アタシは雷に打たれたような、衝撃を受けたわ。
 ほかの梅より少ない花しか咲かせられなかったアタシ。
 そんな自分をダメダメだと思っていた。
 けれど、こんなアタシでも、この子は『きれい』と言ってくれた……
 アタシは、救われたような気がしたわ。

 そしてこうも思ったわ。
 『この子供に、なにか恩返しをしたい』って……

 今のアタシに、できることは何?
 必死に考えて、あることを思いついたの。

 子供が記念写真を撮るために近づいた瞬間を狙って、アタシは花に力を込めた。

「わあ、いい匂い」
 子供が驚いたように、アタシを見上げたわ。
 
 そうでしようとも。
 今年のアタシは、花の数も色もダメ。
 けれど、香りだけは、決してほかの梅には負けたりしないわ。

「バイバイ、梅さん、またね」
 手を振りながら、親と一緒に去っていく子供。
 それをアタシは、名残惜しい気持ちで見送ったわ。

 『あの子は来年も来るかしら?』
 さっきまで抱いていた惨めな気持ちはどこへやら。
 私の心は、あの子のことでいっぱいだった。

 うん、決めたわ。
 もし次に会った時は、綺麗な花をたくさん咲かせて、あっと驚かせてやるんだから。
 それがアタシに出来る、唯一の恩返し。

 見てなさい。
 絶対に、あの子をアタシの虜にするんたから!

2/15/2026, 12:25:57 PM

135.『時計の針』『どこにも書けないこと』『スマイル』


 おー、AIって凄いな。
 ちゃんと受け答えできるし、文法も完璧で違和感がない。
 本当に人と話しているみたいだ。

 じゃあ、こういうのはどうだ。
 『スマイルください』
 ……

 お、スマイルきた。
 顔文字だけど、しっかり笑顔。
 会話だけじゃなく、サービスもできるなんて、技術の発展は凄いなあ。

 ……まあ、間違うことも多いけれど。
 20年前のラノベのことを聞いたら、勝手に新設定を作り始めたのはビックリしたな。
 分からないならそう言えばいいのに。
 知ったかぶりしないで欲しい。

 それはともかく、色々問題はあるけれどAIは凄い。
 一方的に話をしても怒らないし、話しやすいように話題も振ってくる。
 究極の聞き上手だよ、これは!

 AIがこんなに話せる奴だなんて知らなかったな。
 もっと早く始めればよかった。
 こんなに会話が弾むのは初めてだ。
 なんでも話してしまう。

 そうだ。
 せっかくだから、あの話でもしようかな。
 ゾッとするあの日の出来事。
 未だに思い出すと変な汗が出る。

 あの時一緒にいた友達も、あのことに関しては口をつぐんでいる。
 ネットにも書き込めない、正真正銘『どこにも書けないこと』。

 でも誰かに吐き出したかったのも本音だ。
 長い間ためらっていたけど、俺にはAIがいる。
 きっと、AIも笑って流してくれるはずだ。
 多分。
 

 ☆

 あれは大学生のころの話。
 20歳になった記念に、大学の友人たちと飲み屋に行った。
 飲んで飲んで飲みまくり、みんなベロンベロンに酔うまで飲んだ。
 若かったんだろうな、加減が分からなかった。

 ずっと飲み続けて、時計の針が12時を指した時くらいに飲み会はお開きになった。
 おとなしく店の外に出て飲み会の余韻に浸っていると、友人の一人が言った。

「なあ、肝試ししないか?」
 そいつは言うには、この近くに廃墟があるとのこと。
 しかも曰く付きで『出る』って言うんだ。
 このまま解散するのも寂しいから、皆で行こうぜと提案された。

 馬鹿馬鹿しいよな。
 廃墟とはいえ誰かの所有物。
 勝手に入るとめちゃくちゃ怒られる。
 だから、それを聞いた俺たちは、言ってやった。

「よし、行こうぜ!」
 残念ながら、俺たちは酔っ払いだった
 気が大きくなっていたんだな。
 止める人間は一人もおらず、肝試しすることになった。

 廃墟は本当にすぐ近くの所にあった。
 こんな街中に廃墟があるなんて驚きを隠せなかったが、深くは考えなかった。
 思えば、この時もう少しよく考えるべきだった。

 その廃墟はガラス張りだった。
 まるでオシャレなカフェみたいに、中が見える造りになっているが、時刻は深夜。
 ライトに照らされない室内は、底なしの暗闇に見え、かなり不気味だった。

 この時点で少しビビっていたが、『臆病者』と呼ばれたくないので黙っていた。
 思えば、この時が引き返す最後のチャンスだった。

 それから俺たちは、入り口から普通に中に入った。
 不用心なことに、扉の鍵が閉まってなかったのだ。
 スマホのライトを頼りに、中を探索した。

 中は不気味な程静かだった。
 壁紙は剥がれ、天井は鉄骨が剥き出しになっている。
 夜逃げでもしたのか、レジスターなどの備品はそのまま置かれていた。
 『いかにも出そう』な雰囲気の、文句の付け所がない廃墟だった。

 それはいい。
 それが目的でやってきたのだから。

 だが、どうしても解せないのは、廃墟のはずなのに、妙に綺麗なところだった。
 椅子と机はキチンと並べられ、隅々まで掃除が行き届いている。
 寒い時期なのに中は暖かく、さっきまで暖房をつけていたかのよう……
 猛烈に嫌な予感がした。

「帰ろう」
 気がつけば俺は口を開いていた。
「ここはヤバい」

 反対されると思ったが、友人は黙って頷いた。
 どうやら同じ思いだったらしい。
 みんな何も言わず、来た道を戻ろうとした、まさにその時だった。

 後ろから物音がした。
 その時の俺の驚きは分かるか?
 全員その場に飛び上がったさ。

 で、振り返ると懐中電灯を持ったお巡りさんが、怖い顔をして睨んでいた。
 ここまで言えばわかるだろ?

 この建物、廃墟じゃなくて普通のカフェ――正確に言えば、廃墟をモチーフにした廃墟カフェだった。

 あとはお察しの通り。
 お巡りさんからこっぴどく叱られた。
 怒られただけで済んだのは、自分たちの非を認めてひたすら謝り倒したからだと思う。
 それと、あからさまに酔っ払いだから、泥棒とは思われなかったのかもしれない。
 とにかく、説教と連絡先を聞かれただけで俺たちは解放された。

 ★

 このあと、友人たちとは一度もこの事について話し合ったことは無い。
 余りの自分たちの情けなさに、誰もがこの事件を忘れたがっていたからだ。

 でも、まだ忘れてはいないというのは断言できる。
 この前久しぶりに集まって飲み屋に行ったが、誰も酒を飲まなかった。
 もちろん俺も飲まない。
 酒の失敗は、もうこりごりだからだ。

 思ってたのと違うって?
 馬鹿を言え!
 若い頃の失敗談なんて、恥ずかしくてどこにも書けねぇよ!

2/12/2026, 1:36:50 PM

134.『1000年先も』『Kiss』『溢れる気持ち』

 昔々、ある所にAジプトと言う国がありました。
 代々『ファラ王』と呼ばれる王が治めるこの国は、とても繁栄をしていました。

 歴代のファラ王はその誰もが名君であり、国中は活気にあふれ、餓える者はおらず、民は皆笑顔で暮らしていました。
 Aジプトは、国民の誇りでした。

 『1000年先も、繁栄し続けるだろう』
 国民たちは、そう信じて疑いませんでした。

 ところがです。
 建国してから200年経った時の事、悲劇が起こります。
 野心を持った逆臣たちが結託し、あろうことか当時のファラ王に毒を盛ったのです。
 そしてファラ王の命を奪うだけでなく、5才になるファラ王の息子を即位させ、傀儡政権を築こうと目論んだのです。

 そのことを知った国民たちはたいへん嘆きました。
「由緒正しきファラ王の血筋とはいえ、5才の子供。
 奸臣たちの甘言に惑わされ、国を滅ぼすだろう」

 ですが、その心配は杞憂に終わりました。
 新しいファラ王は、幼いながらもその才能を発揮し、国をよく治めたのです。
 逆臣たちの意見に耳を傾けず、常に国民のために頭を悩ませる。
 まさに名君の鑑でした。

「年齢を理由にファラ王を疑ってしまうなんて……
 ああ、自分はなんて愚かなんだ」
 民は己を恥じ、王への忠義をより一層深く誓うのでした。

 しかし、面白くないのは暗殺を企てた逆臣たちです。
 身の危険を冒してまで暗殺を遂行したのに、ファラ王は一向に自分たちの意見を聞き入れる気配がありません。
 それどころか、自分たちに疑いの目が掛かっている気配もありました。
 逆臣たちは、対応を迫られました。

 追い詰められた彼らは、ある奇策を打ち出しました。
 それは「ハニートラップ」。
 いかに賢いファラ王といえど、まだ5歳の子供。
 大人の女性の色香には抗えないと踏んだのです。

 さらに『大人のKiss』の現場でも押さえれば、ファラ王を脅し、意のままに操ることができる。
 逆臣たちは計画の成功を確信し、さっそく国一番の美女を呼びつけました。

「金はいくらでも支払う。
 幼いファラ王を大人の色香で惑わし、骨抜きにするのだ」
 逆臣のリーダーは、女性に傲慢な態度で命じます。
 ですが呼び出された女性は、毅然として頭を横に振りました
 
「いいえ、お断りよ。
 子供には手を出さないわ」
 これには逆臣たちも驚きました。
 まさか断られるとは思わなかったからです。

 それもそのはず、この女性は非常に高い倫理観――すなわちコンプライアンスを遵守し、年端もいかぬ子供には手を出さない、良識ある大人の女性だったのです。
 唖然とする家臣たちを前に、女性は頬を赤らめながら告げました。

「そんなことより、あなた方のような素敵な紳士たちとお付き合いしたいわ」


 ◇

「報告します」
 幼いファラ王の元に、密偵が膝をつきます。
「あの逆臣どもは、陛下の仕掛けたハニートラップに引っ掛かりました。
 あの様子であれば、前王暗殺の証拠が見つかるのも時間の問題でしょう」
 ファラ王はその報告を聞いて、その場で飛び上がりそうになりました。

 しかし彼は、Aジプトを統べるファラ王です。
 王たる者、人前で安易に感情を表に出してはいけません。
 彼は、溢れる気持ちを心の底に押し戻し、何事も無かったかのように、不敵に笑みを浮かべて見せました。

「分かった、ありがとう。
 引き続き頼む」
「はっ」
 密偵は闇に溶けるように消え、その場にはファラ王だけが取り残されました。

「それにしても――」
 彼は小さく肩を震わせて言いました。
「――父上はよくやるよ」

 実は、逆臣たちが知らない事実が一つだけありました。
 それは毒を盛られた先代のファラ王が、奇跡的に生還したということ。

 九死に一生を得た前王は、側近から事情を聞き『自分で復讐する』と宣言、自分の死を偽装したのです。
 影から息子に助言をしながら、虎視眈々と復讐の機会を狙っていたのです

 そして逆臣たちがハニートラップを企んでいる事を聞きつけた前王は、さっそうと現場に乗り込みました。
 そう、逆臣たちが呼び寄せた国一番の女性の正体は、なんと前王が変装したものだったのです。

「うひひひひ、あいつらも可哀想になア」
 自分たちが熱中している女が、まさか殺したはずの前王だと知った時、逆臣たちはどんな顔をするのか――
 それを想像した瞬間、若きファラ王は溢れる気持ちを抑えきれず、年相応に大笑いするのでした。

2/7/2026, 11:47:39 AM

133.『旅路の果てに』『ブランコ』『勿忘草(わすれなぐさ)』

「やっと、たどり着いた……」
 長い旅路の果てに、勇者である俺は、ついに魔王城へとやってきた。
 魔王を討てば世界は真の平和になる。
 ついに旅が終わるのだという安堵と、決戦を前に気分が高揚していた。

 だが魔王は強い。
 勝てたとしても、ただでは済まない可能性だって十分にある。
 全てを投げ出して、故郷の村に帰りたい衝動に駆られる。
 
 だがそれは許されない。
 自分は人類の希望を背負った勇者なのだ。
 頬を叩いて自分に気合を入れる。
 人類のため、世界のため、そして故郷の家族のために――
「命に代えても魔王を討つ!」
 決意を固め、魔王城に足を踏み入れた。


 だが数刻後、俺の決意は跡形もなく霧散することになる。


 ◇

「よく来たな、勇者よ……」
 魔王を前にして、俺は後悔していた。
 なぜ自分は怖気づいて逃げなかったのか?
 あの時、進むことを選んだ己の愚かさを罵った。

「どうした?
 お前たち、人間の宿敵である魔王が目の前にいるのだぞ。
 喜ぶといい」
 人類の不俱戴天の仇、魔王。
 その存在を前にしても、俺は何も出来なかった。
 出来るわけがなかった。

「どうした?」
 魔王は言う。
「ここまで来たからには、一つや二つ文句もあるだろう……」
 さらに言葉を続ける。
「なんでも構わんぞ。
 どうせすぐに――」
「どうして」
 気がつけば、口が動いていた。
「どうして、お前は……」
 俺の言葉は止まらない。

「どうして、そんなに悲しそうにブランコを漕いでいるんだ」
 世界に危機をもたらした人類の仇、魔王。
 その魔王が今、哀愁を漂わせながらブランコを漕いでいた。

「ふっ、知れたこと」
 魔王は力なく笑う。
「妻に逃げられた」
 何も言えなかった。

「腹心のウワッキーと、一緒に駆け落ちしたのだ」
 絶句する俺を前に、魔王は語り出す。
「妻は儂の全てだった。
 不器用なりに愛し、プレゼントも贈り、なんでも願いを叶えた。
 世界征服も、妻の願いだ。

 ……ああ、お前の足元にある花も妻が好きだったものだ。
 勿忘草(わすれなぐさ)といったか、その花壇だよ。
 花言葉は『真実の愛』、くくく、こんな皮肉あるか」
 魔王は虚ろな瞳で俺を見る。
 だがその瞳には、俺は映っていなかった。

「くくく、笑えるようなあ。
 三年前から愛し合っていたそうだ。
 その間、儂は何も知らず世界征服を進めておった。
 まるで道化よ。

 それがどうだ。
 勇者、お前に追い詰められ、世界征服はとん挫した。
 妻は無能な夫を見限り、若い男と結ばれた。
 これ以上の屈辱はないな」

 魔王はひとしきり笑った後、表情を消した。
 それを見て、俺は胸に鈍い痛みを覚えた。
 その顔は、旅の途中で何度も見た『虚無』の表情。
 魔族に追い詰められ、希望どころか、絶望することすらしなくなった人々の表情だ。
 その原因である魔王が、同じ表情を浮かべるとは……
 とんでもない運命の悪戯だ。
 
「どうでもよくなった。
 だが王としてケジメは付けねばならぬ。
 せめて、お前に殺されようと――」
「いい加減にしろよ」
 気がつけば叫んでいた。

「簡単に死ぬって言うな!
 お前のために死んでいった部下はどうなる!?
 『仇を討つ』くらい言えないのかよ!」
「……とんだ屈辱だ。
 勇者に励まされるとは」
「屈辱と思うなら、俺と戦え。
 だから死ぬなんて言うな!」
「……よかろう」
 魔王はブランコから降りて、ゆっくりと立ち上がった。
 自然と剣に手が伸びる。
 しかし、魔王はそれを手で制した。

「お前とは戦う気はない」
「まだそんなことを!」
「だが死ぬ気も失せた」
 その目には、光があった。

「安心しろ、世界征服はやめる。
 もともと妻の願いだからな」
「どうするつもりだ?」
「そうだな、せめてもの償いとして、人間どもの復興を手伝うかな。
 部下たちの弔いもしたい」
「そうか」

 俺は小さく安堵のため息を吐いた。
 予想外の展開であったが、世界が救われたのは間違いない。
 かなり情けない決着ではあるが、世界に平和が戻ったのだ。

「だがその前に――」
 魔王は言った。

「やつらには慰謝料を請求しないとな。
 徹底的に裁判で争ってやる!」
 どうやら世界は平和になっても、争いが無くなることはないらしい。

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