無人島に行くならば
「ねぇ、もし無人島に行くとして」
「え、ちょっと待って、いまそれを聞くの?」
「いいじゃん、もしもだよ」
「もしも……ねぇ……」
今井の言うことはいつも突飛である。しかし今この状況で聞くことかね?
「でさ、無人島に行くとして、何を持って行くといいと思う?」
「え……ええと」
しばし考える。
「水……かなぁ?」
ちょっとは気晴らしになるだろう。
「そうだね……水、必要だったね……」
いや急に現実に戻るなよ。
「じゃあお前は何がいいと思うんだよ」
「そうだねぇ、本、かな」
「本!?」
本が何の役に立つと言うんだ。
「……炊き出しに役に立つ、とか?」
「嫌だなあ、なんでそんな現実的なんだよ」
いや、現実的にならざるを得ないだろ。
俺達は船に乗っていた。そういう話は船に乗り込む前にすべきなのでは?
「でもさ、ちょっとは夢を見たっていいんじゃない?」
今井はいつもそうだ。クラスでも話し合いにはいつも現実離れしたことを言っていた。
文化祭の出し物も、いきなり
「デス・ゲームがいいんじゃない?」
とか突拍子もないことを言い出した。だがその発想のお陰でバトルポイゲームという、なかなか盛り上がる出し物が出せた。こいつの突拍子もなさが新しいことを生み出すことも多かったのは事実だ。職場でもこいつの発想がイノベーションに繋がることもどれだけあったか。
しかし、今はそれとは違う。
「……なあ、そんなこと聞いてもなんともならないだろ?」
「だからだよ、だから今そういうことを考えるんだよ」
その時初めて今井の息が上がっているのに気がついた。
「今井……」
見ると出血がひどい。慌ててどこからのものか調べようとすると、
「……でも、お前と一緒でよかったよ」
「何言ってんだよ、もう話すな、ちょっと待ってろ、今なにか」
「何かを探そうと立ち上がろう、とした俺の服を、今井が掴む」
「……ごめんよ、僕がクルーズなんかに誘うから」
「謝るなよ、お前のせいじゃないだろ!」
しかし、今井の声はなかった。なかったんだ…
無人島にいくならば、なんて例え話ではない。やっと辿り着いたのが、この、無人島だったんだ。折角ここまで辿り着いたのに、今井、お前……
予感
「どうしてわかったの?」
春日くんが尋ねてきた。
……そう聞かれても、僕にもわからなかった。
「えと……なんとなく……」
その答えは望んでいたものではなかったらしく、不思議そうな顔で去っていった。
また一人。
クラスのざわめきが水の中から効いている音のようだ。
俯いて、足をぶらぶらと揺らす。あとどのくらいで昼休みが終わるだろうか。
さっき、花瓶をどかしたんだ。教卓にある、ミルク色したガラスの花瓶。その場所になにかがくる気がして、隣の棚の上に置いた。
その時だった。
前川くんが蹴飛ばした誰かの上履きが飛んできた。
上履きは、さっきまで花瓶があった場所を通り過ぎて行った。
僕にはたまにこういうことがある。なにかがはっきりと見えるとか、そういうことではないんだ。
ただ、予感がする。
なにかが来る、と。
ホームルームが終わって帰ろうと教室を出た時だった。
春日くんが立っていた。友達と一緒じゃないのか。
「ねえ、教えて。さっきどうやってわかったの?」
「そう言われても……さっき答えたのと同じだよ」
なんとなく。本当にそうとしか言えないんだ。
「ふぅん、ねぇ、ちょっと一緒に来てよ」
春日くんに着いていくと、校舎の裏のビオトープの所まで来た。
「どうしてこんなとこに連れてきたの?」
「誰にも見られたくなかったんだよ」
さっきまでの声とは違う。低くて、なんだか大人のような声。
「春日くん……?」
思わず一歩下がる。
目も、なんだか鋭く冷たい光。
「まだ思い出さないの?君には役割があるだろう?」
何を言っているんだろう。
「これを 見ても」
と春日くんがポケットから取り出した。
青く光る、石。ゴツゴツした石の表面にに光が当たるとキラキラする。
「綺麗だね、どうしたの、それ」
すると、スッと表情が消えて、しばらく黙った。
「まだか」
と呟いて、そのまま行ってしまった。
やれやれ、気づかれ始めたようだ。この格好もこれまでか。
僕は「皮」を脱いだ。透明な手足が出る。窮屈な身体だったが、それもこれまでだ。
誰にも見つからないように、足早にその場を去る。
こんなところで「石」を取り出すなんて、まだまだヒヨっ子だな。そんなんじゃ、僕は捕まらないよ。
「スミマセン、逃がしました……てっきり僕らの見方だと思って……ハイ、ハイ、わかっています……ハイ…次こそは。ええ、タイムパトロールの名に賭けて」
誰か
誰か いないか どうか 気付いてくれ 私は 間違っていた 望みなど 捨てるべきだったんだ 決して 不満なわけではなかった なのに なのに なんで
捨てるつもりは なかったんだ 仕事も あった 友達も いた 恋人も いた いた欲しかった いたのに
確かに 収入は 少なかった 買いたいと思っても やりたかったことも 諦めたものもある だが 生活するだけならば 十分だったんだ
欲しかった 物があったんだ こんなに欲しくなるなんて 初めてだったんだ フェンダーの エレキギター 本当に いい音だったんだ あの音で 私は 夢を みてしまったんだ
今までの 収入では 買えなかった 仕事は フルタイムだから ダブルワークは無理だった 働いたさ 働いたけど 足りなかった
だから あの男の 言うことを 聞いてしまった 何が 高収入だ 何が 簡単な仕事だ 何が スキマ時間だ 何が 君には才能があるだ
何が 行けなかったのか あの男を信じてしまった ことなのか あのギターの 音を聞いてしまったことなのか それとも 夢を見てしまったことなのか
仕事は、電話をかけることだった。用意された、台本を読んでさえすればよかった。何十軒電話しただろうか、百軒超えていただろうか。台本の内容なんて気にしていなかった。ガチャ切りされるのが常だったが、話を聞いてくれる時もあった。
優しそうな声だった。
部屋に閉じ込められ、スマホも免許証も保険証も取り上げられ、朝起こされ、昼食を取らされ、夕食を取らされ、寝るまで、ひたすらに、ひたすらに、電話をかけていた。
あの日、までは。
本日県内◯◯市の▲▲マンションで特殊流動型犯罪グループ、いわゆるトクリュウの拠点とみられるマンションが警察に摘発されました。室内では掛け子とみられる男女10人ほどがおり………
足音
は、と気がついて振り返った。
足音がする。
どういうことだ?
足音がしていたことに今気がついたのだ。それがおかしい、と。
足音がすること自体はすこしもおかしくない。ただし、普通の場所ならば。
いま僕は船の上にいる。1人用のプレジャーボート。明石池に船を浮かべて魚を釣ろうかと係留している。
つまりここは池の上である。
足音は、どこで鳴っている?船、はありえない。僕しか乗っていない。船の上には釣り具はあるが、ボートのトランザムボートに船外機がある単純な作り。船の上は全て見渡。せる。足音を立てるものなんてどう見てもいない。
ならば……池?たとえそうであっても、この足音はまるで板の間を歩いてくるようではないか。足音は大きくなってきている。どんどん近づいてきているらというこたか?それに伴い、足音のたびにカチャカチャと何かが硬い床に当たるような音も聞こえてくる。
池は霧で覆われていた。ようやく日が昇り、気温が上昇してくると、池からの水蒸気が増えてくる。海霧と同じ原理だろう。ここは池だけど。
ともかく、霧で視界もあまり効かない。静まり返った池の上で、足音だけが近づいてくる。
釣り糸がひかれ、竿がしなるが、それどころではない。僕は足音が聞こえる方から目が離せない。
やがて。
足音と共に、荒い息遣いまで聞こえてきた。ハッハッハッ、同時に匂いもしてくる。嗅ぎ覚えのある匂い、これは、どこで。
やがて霧の中から黒いものが飛び出した。その付け根の茶色っぽいものも。そう思うまもなく、ぬ、と顔が出てきた。
犬、それも、ロジャー!五年前に死んだ、レトリバーとコリーのミックス。タレ目と鋭いマズル。その頭をよく撫でていた。
驚くとか怖いとか、そういうことを感じる間もなく、僕は手を伸ばした。
マズルから額へ。額から耳の付け根へ。頭、首、肩。ああ、この感触。しばらく忘れていた感触が蘇る。
ひとしきり撫でて気が付く。ここは池の上だ。おい、ロジャー、お前、何処から来た?
ロジャーが顔を上げ、彼が来た方へ振り向く。ロジャーの頭越しに見ると、プレジャーボートとグッタリと倒れ込んでいる男。僕だ。
あれ、それじゃあ僕は、今いるこの僕は。
ロジャーは僕を振り返り、舌を出して息をする。ハッハッハッ。
ああそうか。お前が迎えに来てくれたんだな。一緒に行こう。
「この池はなあ、よく人がいなくなるんだよ、神隠しっていうの?子供の頃から、爺さんや婆さんに、あそこには近づくなって言われるんだけど、新しく来た人はしらないんだろうなあ……」
終わらない夏
青い空に入道雲が浮かぶ。アブラゼミの声が二重、三重に響く。照りつける太陽が肌をジリジリと焼く。偶に吹く風は熱気を運ぶだけだ。熱い空気が一瞬かき混ぜられ、また止む。上空だけでなく、足元のアスファルトからも反射された熱気が襲う。逃げ場のない暑さ。熱気だけならばまだ耐えられるが、息を吸うのも苦痛になるほどの湿度が辛い。
堪らず林の中に入り込むも、日差しから解放されるだけで熱気は変わらない。加えて待ち構えていた蚊からの猛攻撃を受ける。
痒さか暑さか。
なぜこんな選択を迫られなくてはいけないのだ、とふと見た足元に、小さな丸い石が設置されていた。赤ん坊の頭ぐらいの大きさだろうか、完全な球形ではないが歪んだ丸い石。その前には萎れた花と中身が蒸発した茶碗が供えてあった。
この石、さっきも見なかったか。
は、と気付いて見回してみる。右に迫る林地と左に広がる水田。林地に沿って右に左に蛇行するアスファルトの道。道に沿って上空を這う二本の電線、電柱、畦道。
畦道に乗り捨てられたあの白い車はさっきも見なかったか。
後ろを振り返ると、さっきまで歩いてきた道が延びている。左の林地に沿い蛇行するアスファルト、水田に青い空。
行く道も来た道も代わり映えのしない風景だが、この、人気のない道は何処から延び、何処へ続くのか?そうだ、僕はいつから歩いていたか?どこへ行くつもりだったのか?水分も食事も、いつから摂っていないのか?
暑さも忘れ、僕は恐怖の中にいた。
僕は誰か、どんな人間か、誰か僕を知った人はいるのか。
空を見上げると、二羽の鳥が黒い影を見せて飛んでいる。それよりも低いところにトンボが飛び交う。一足踏み出すと無数のバッタが水田に逃げ込む。道を横切る蜥蜴。アスファルトの割れ目。
何より暑い。蚊に噛まれたところが痒い。汗だって流れている。
僕は生きている。ならばここはどこだ。僕は誰だ。なぜこんなところにいるのか。このままこの道を進んでいいのか、戻るべきなのか。
僕は僕を見失ってしまい、すっかり立ち止まっている。汗が滴る。被っている帽子が辛うじて影を落とす。
とにかくここにいても仕方がない。道を進んでいたからには、このまま進もう。何かわかるかもしれない。
僕はそのまま道を進む。道に沿って右へ左へ。蛇行しながら進んでいく。
やがて空を見上げると、青い空に入道雲が浮かぶ。アブラゼミの声が二重、三重に響く。照りつける太陽が肌をジリジリと焼く。偶に吹く風は熱気を運ぶだけだ。熱い空気が一瞬かき混ぜられ、また止む。上空だけでなく、足元のアスファルトからも反射された熱気が襲う。逃げ場のない暑さ。熱気だけならばまだ耐えられるが、息を吸うのも苦痛になるほどの湿度が辛い。
終わらない夏の中にいつまでもいる。