"Love you"なんて気持ちはわからないけど、きっと、幸せな感情なんだなって思う。"好き"も"大好き"もかたちがないせいで、基準も誰も知らないし、誰も知ろうとしない。ただ一つ分かるのは、人が大切にしている感情の一つなんだってこと。
まぁ、likeやLoveと書いたところで、好きの定義を知ろうとしたところで、私は野暮なのかもしれないけれど。恋愛も何も分からないから、ちょっと背伸びして、"それっぽい定義"を書いてみたかっただけ。
『太陽と石ころ』
太陽のような人になりたかった
ひび割れたところに
塩が塗り込まれていく
"誰かだけの正しい"が
合いもしない傷に
すりこまれていく
太陽なら
明るく
その傷さえも
その人なりに
消化できたのかな
でも
私はそんなに強くない
月どころか
光る資格すらもらえない
ただの石ころ
太陽なんかにあたってしまえば
一瞬で
焼き尽くされちゃう
太陽まではいかなくても
せめて
傷を消化できて
誰かの塩も
すりこまずに
溶かしちゃうくらいの人に
なりたかったな
『エンジンはマイナスで』
0から何かやろうとしても、必ず2日で飽きるのが、ここ最近の私である。もともと飽き性ということもあって、いろいろ手を付けても、奇跡的に生き残ったのは3つだけ。去年、テレビで取り上げられることが多かった『推し活』でもう8年になる動画視聴、『推し活』が転じてやりだした6年目の縫い物、幼少期からなくてはならない存在になって、13年目の洋琴。どれも「暇つぶし」のつもりでローテンションから始めたのに、知らない間に年単位の趣味になっていた。「今からやるぞ!」のテンションで始めたものは全て3日どころか、2日坊主で投げ出した。
「意欲が高いと、目標達成しやすい」だとか、「やる気があればあるほどできる」と教わった義務教育だが、どうやら私はその逆で、意欲が低いローテンションじゃないと、物事を続けることすら難しいらしい。
0が1以上になるには、不安定な精神が欠かせないと知ってしまった。不安定な精神の0の状態を1にして、飼い慣らす方法を、ローテンションな今のうちに、誰か教えて。
同情とエゴ
「辛かったね」
「しんどかったね」
なんて言われるけど
その言葉の奥に
本当の同情の心があった人は
何人いたんだろうね
今じゃほとんどの労りの声が
"同情"
じゃなくて
"エゴ"
に聞こえてくる