寂しくて
家に帰ると猫がいる
お出迎えしてくれて
とても癒やされる
でも帰りが遅くなりすぎると
二階でぐっすり
仕方がないことだけど
少し寂しい
猫じゃらしで遊ぼうとしても
なかなか食いついてもらえず
結局、飽きられて何処かに行ってしまう
寂しい
いつも「抱っこ」と言って
抱っこしてるわけですから
言葉を発してしまうと逃げてしまう
確かに1日に数十回もするのは
嫌がられても仕方ないか
寂しい
そう言ったって猫には
届かないと感じる
都合のいい言葉は
反応するのに
自分は友達との境界線がわからず
良い距離感とはなんだろうと、
考え込んでしまう
近づきすぎると嫌がれ、
遠すぎると疎遠になる
普通とはなんだといつも悩む
疑問ばかりの生活
ポジティブになれば楽しくなる
そう聞かされていた
実際そうなのか
本当は自分の内面を誰にも相談することができず
外だけを繕っているだけで
いつか自分自身を見失ってしまうのではないか
確かにネガティブになってしまえば
周りには友達という存在の人が
いなくなってしまうかもしれない
でも、それだからこそ
その人のことを理解してくれる
本当の大切な人が、見つかるのではないかと思う
寒くなってくると
思考も遅くなっている気がする
気のせいだと思うが
今日はスマホを忘れたり
駅乗るための定期券も忘れて
戻る時間がなく、
遅刻してしまうならばと
600円しかないのに片道切符を
買い、友達に頼ることにする
つもりでいる
これから遠足があるのにも
関わらず忘れもんばっかり
楽しみすぎて忘れているのか
行きたくないから忘れているのか
まぁ行きたいからに決まっている
授業が遠足で潰れるからである
友達との待ち合わせにも遅れてしまった
約束は破るためにあるのかな😭😭
光と影
光あるところには影が存在する
光ないところにも影が存在する
影って必要なんだろうか?
日差しが強く暑い時に日陰として
今は何時かと影の角度から時計として
それほどしか思い浮かばない
影とは
物にさえぎられて、光があたらない暗い所
光によって見える姿・形。
光が物にさえぎられ、その物の後ろに生ずる像
このようなことが記載されていた
影の存在意義とは
物体の存在証明と形状認識、影があることで、私たちは物体の存在やその形状、立体感、位置関係を認識できる。影がなければ、世界は平坦で奥行きのないものに見えることになる
情報提供として、太陽の影の位置や長さから時刻や方角を知るなど、影は古くから生活に役立つ情報源である。
これらのことを踏まえると
特に物体の存在証明と形状認識は、
なくてはならないと感じ
影のおかげで、あることに
一つ知識になった
こんなの当たり前って?
そう思われるかもしれない
おもてなし
第一に思い浮かぶのは
家庭訪問
学校の先生が訪れてくること
親によるけれども
私の親は玄関で対応していた
部屋の中までいれる人いるのかな?
お茶に和菓子
お盆に乗せ運ぶ
あまり顔を合わせたくないので
隣の畳の部屋から聞き耳を立てていると
もう少し勉強しましょうと言われてる
いつもこうで
呼ばれても「わかりました」と
返事をしているだけ
コロナ禍になってから
家庭訪問はしなくなった
でも、その時のことは
よく覚えている
飼い犬は吠え
賑やかであった